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Real Reality in a Dream

「夢の中のリアルな現実」?? …その肌感を求めて彷徨う日々の記録

discommunication

2006-06-16 22:09:49 | think
「その人が何を考えているのか、まったく理解できない」ということは、意外と、身近なところで頻繁に起こる出来事のような気もする。
そして、年をとるにつれ、そういうのはなんとなく自分自身でうまく乗りこなしていくようになってきたものだと思っていた。
 「人それぞれだしな…」
 「俺に別に害はないしな…」
そんなふうに、往々にして、「その人がそう考えるのが、納得できない」という次元のものであるうちは、まだまだ処理しやすいと云えるかも知れない。

ところが、「何を考えているのか、まったくわからない」という場合には、やはり、正直困り果ててしまう。
想像力の限界というか、想定の範囲外というか…。

しかしまぁ、そんなことをあれこれ考えるのに時間を費やすのは、おそらく無駄だろう。
最低限のルールを逸脱していると感じられる態度に関して、同情の余地はない。
不愉快な思いをさせられてまで、それでもなおその人の立場に立とうとするなどということは、聖職者がやればいいことだ。

これはある程度の真摯さでもって人と接することを心掛けていると自任できる以上、けっして、悪い意味で自己中心的なわけではなかろう。

…なんてね。
そういう態度がdiscommunicationを生むのかもね。

findings

2006-06-10 00:31:46 | think
結局のところ、僕は僕にないものを、求めているに過ぎない。
あるいは、僕が捨ててきたものを。
あるいは、僕が持ち得なかったものを。

それは、レールを外れられない人間が、自由奔放に生きていると思われる人達に対して持つ、羨望と憧れのようなものに過ぎないのかも知れない。

そう。僕は確かに、不良の真似事もしたし、水商売もやったけれど、でも、家出もしなかったし、カラダも売らなかった。好きな女の子はいたけれど、駆け落ちして一緒に暮らしたりはしなかった。結局はまともな大学にも行ったし、会社にも入った。煙草も吸うし酒も飲むけれど、クスリに手を出したりもしなかった。骨折もしたし、入院もしたけれど、病気を抱えて生きているわけでもないし、これといって何かを失ったわけでもない。
安全な場所に足場を確保した上で、少しそこから外れたところに首を突っ込んできただけだ。

僕は、僕が通ってこなかった道を通ってきた人を、羨ましさと憐憫とが混淆とした目で眺めている。単にそういうことなのかも知れないのだ。

それは別に、間違っているわけではない。
単に、それを「選ばなかった」というだけで、別に「選べなかった」わけではない。

………その言葉に、嘘は、ないか???
ただ単に、強がっているだけでは、ないか???

「選ぶということは、捨てるということなんだ」とかつて高校の教師が言っていた。一つの選択をするということは、他の全ての可能性を捨てるということなのだから、と。

問題は、「それを、僕が、僕自身で、選んだんだ」と、真に胸を張って云えるように僕が今本当に生きているのか、ということに尽きる。

………さあ、どうなんだ????

「正しいことをしたければ偉くなれ」と『踊る』で和久さんが言っていた。
そして、そうした世界で僕がこれまで出会ってきた人達は皆、「僕に、それをやって欲しいと思う」と言ってくれていた。

だとすれば、それに応えるべく、僕は今、本当に死に物狂いでやっているか???

人生において、一人の人間に出来ることには限りがある。
与えられている時間も、そうだ。

僕は、僕がやるぺきことを、精一杯、やる。
だいぶ前に、そう決めたはずじゃなかったのか???

まだまだ、甘い。
甘えてる場合じゃ、ないでしょう???

Happyの法則

2006-03-29 21:15:47 | think
「幸せの扉は内側に開く」と誰かが言っていた。
でも、僕らは皆、その扉を「押して」開けようとする。
だから、開かない。
それは当たり前のことなのだ。
だって、その扉は、外側ではなく内側に「引いて」開けるのだから…。

この話は、とても示唆に富んでいると思う。

もちろん、さらに正確に言えば、その扉は僕らが「引く」ものですらない。
…「気付いたときには、いつのまにか、開いている」 そういう種類の扉だ。

※参照:三つの変化
(…ここで記載した「肯定性への転回」も、それに近いことを云っている。)

幸福とは、求めるモノではなく、感じるモノだ…
とも言えるかも知れない。

ハッピーの法則。
それは、世界の襞をリアルに感じられるように、常に自己を開いておくことだろう。

A Review of my Life (until yesterday)

2006-03-26 11:46:44 | think
そうか、もしかしたら僕は、この場所でこれまでの時間を総括したかったのか。
それは例えば卒論を書いて次のステップに行こうとしていたときと同じことなのか。

大学を出て以来の、僕の中で起こった最大の変化は、そう、言うまでもなくあなたとのことだ。だが、それを自分の中でどう理解するべきなのか、あるいは、どう纏め、さらには、どう忘れるべきなのか、それに迷っていたからこそ、このページが始まったということか…。

なるほど。

だとすれば、やるべきことは一つ。

Queen in the classroom

2006-03-19 02:22:03 | think
女王の教室」、世の中的には賛否両論なのだろうが、とにもかくにも、「議論を提起している」という意味では大きな役割を果たしていると言えるのだろう。

教育を語ることが実は非常に難しいのは、あらゆる人々が少なくとも「教育を経験してきた」と思っていることだ。そして実際それはそうなのだが、しかし、だからこそ、皆が評論家風に浅はかな意見を述べていたりすることを目にすることが多い。

嫌悪感を感じるとすれば、それはなぜなのかを、一回立ち止まって考えてみるべきだろう。

しかし、「教師」というのは不思議な人種で、要は、彼らは幼稚園以来「学校」という場所でしか生活をしたことがない特殊な人達だ、ということだ。
それはある意味「専門性」でもあるし、悪い意味で言えば、ただの世間知らずだということを、知った方がいいかも知れない。

もちろん、尊敬すべき教師は、沢山いるけれど。

意味を持つということ

2005-12-08 22:46:47 | think
起こった出来事は全て、話すことによって初めて意味を獲得する。
・・・あるいは書くことによって。

いずれにせよ、コトバにすることで、初めてそれが「起こった」ことになる。

そして僕にとってそれは、ただひとり「君に」話すことによってだ。

君に伝えたいことが、こんなにたくさんあるハズなのに、
僕はたぶん、もうすぐそれを忘れてしまう。

無邪気になれないのは

2005-11-27 22:01:13 | think
負い目のせいか。。。

誰かの救いになることで、自らが救われようとしている。
そのことに気付いた時点から、全ての優しさは、欺瞞になる。

今も僕は、助けてくれと、叫んでいる。

PRIDE

2005-11-19 15:22:08 | think
どこまでも、プライドの為に動く。

見栄ではなく、
目指すもののために、正しいと思うことのために、理想のために。

・・・それが、ルール。
これまでも、これからも、けっして変えない、ルールだ。

懺悔

2005-11-06 01:04:04 | think
過ちは、消えない。
傷つけてしまった人達への懺悔。

同じ闇を抱えた人達の波長。
それが、なんとなく僕の波長とシンクロするのか。

幸せにはなれない人間。
もしくは、幸せになってはいけない人間。

・・・あなたもきっと、そう考えてしまう種類の人だったのかも。

あなたも、あなたも、そして、あなたも。

でも、だからこそ、僕はあなたを赦せる。
しかし、僕は、けっして赦されてはいけない。それを求めることは、不誠実に過ぎる。そんな気がする。

100%の真実

2005-10-25 19:21:18 | think
世の中に100%なものなんてないけれど、しかし、唯一、これだけは絶対に正しいと確実に言えることがある。

「本当に偉い人は、けっして"偉そう"ではない」

京都で長く夜働いていた時代に、僕はこの確信を得た。

さて、翻って・・・
傲慢になっていないか???
気配りはできているか???
人を傷つけていないか???

常に立ち止まって自問してみよう。


あ、もう一つ。
「No Music,No Life」ってのも真実かも。