「その人が何を考えているのか、まったく理解できない」ということは、意外と、身近なところで頻繁に起こる出来事のような気もする。
そして、年をとるにつれ、そういうのはなんとなく自分自身でうまく乗りこなしていくようになってきたものだと思っていた。
「人それぞれだしな…」
「俺に別に害はないしな…」
そんなふうに、往々にして、「その人がそう考えるのが、納得できない」という次元のものであるうちは、まだまだ処理しやすいと云えるかも知れない。
ところが、「何を考えているのか、まったくわからない」という場合には、やはり、正直困り果ててしまう。
想像力の限界というか、想定の範囲外というか…。
しかしまぁ、そんなことをあれこれ考えるのに時間を費やすのは、おそらく無駄だろう。
最低限のルールを逸脱していると感じられる態度に関して、同情の余地はない。
不愉快な思いをさせられてまで、それでもなおその人の立場に立とうとするなどということは、聖職者がやればいいことだ。
これはある程度の真摯さでもって人と接することを心掛けていると自任できる以上、けっして、悪い意味で自己中心的なわけではなかろう。
…なんてね。
そういう態度がdiscommunicationを生むのかもね。
そして、年をとるにつれ、そういうのはなんとなく自分自身でうまく乗りこなしていくようになってきたものだと思っていた。
「人それぞれだしな…」
「俺に別に害はないしな…」
そんなふうに、往々にして、「その人がそう考えるのが、納得できない」という次元のものであるうちは、まだまだ処理しやすいと云えるかも知れない。
ところが、「何を考えているのか、まったくわからない」という場合には、やはり、正直困り果ててしまう。
想像力の限界というか、想定の範囲外というか…。
しかしまぁ、そんなことをあれこれ考えるのに時間を費やすのは、おそらく無駄だろう。
最低限のルールを逸脱していると感じられる態度に関して、同情の余地はない。
不愉快な思いをさせられてまで、それでもなおその人の立場に立とうとするなどということは、聖職者がやればいいことだ。
これはある程度の真摯さでもって人と接することを心掛けていると自任できる以上、けっして、悪い意味で自己中心的なわけではなかろう。
…なんてね。
そういう態度がdiscommunicationを生むのかもね。