何年か前に、こんなことを書きました。
「あなたが俺に何をくれたか」って話は、ちゃんと伝えておかないとね。
(財布、とか、ネクタイ、とか、時計、とかそういう話ではなく。。。)
実際、腕時計は今でもしてるし、財布も使っているので、現実的には一番身近にリアルに存在してるんだが、それはさておき。
つまりは、「あなたは何が出来たのか」ってことなんだけど。
(そういえば、「どこが好きなの??」なんて、昔よく訊かれていたもんね。)
いっぱいいっぱい、いろんなものを貰ったんだけど。。。
尾崎豊『Forget-me-not』の話、昔したことがあったよね。
・・・「ビルの向こうの空を探してた」のは、誰??
・・・「街に埋もれそうなわすれな草」って、どんなもののこと??
そういうことに気付かせてくれる存在だったんだよ、別に何をするでもない、素のままのあなたが、ね。
だから、そもそもは頑張る必要なんかなくて、存在としてそのまんまで良かったんだけど。
端的に言うとそういうことかな。
「ビルの向こうの空」は、もちろん今でも僕はずっと見つめてるし、仕事を通じてなのかなんなのかはわからないけれど、その向こう側に、行きたいと思ってる。それは変わらない。
だけど、「忘れかけてたものというか、たぶんどこかに置いてきてしまったものが、自分にはあるはずだ」ってことは、ホントはずっと知ってたんだよね、アタマでは。
でも、あなたと会って、話すようになって、話してる内容とかそれはほんと些細なことなんだろうけど、だけど、とっても大事なことを思い出させてくれたというか、教えてくれたというか、そういう気がしていました。「まっすぐな気持ち」とか、そういうことかなぁ、言葉にすると。
「まっすぐ」ってのも違うかなぁ、「純粋」っていうとちょっと褒めすぎだしねぇ…。
なんだろう、「フラットな」というか「装飾のない」というか、そういうことかな。
…「単純な」ってことかもしんないけど。
だから、確かに普段何してるのかとか、わからないからいろいろ不安なことはたくさんあったし、何も話してくれないのが哀しかったことももちろんだけど、でも、一緒にいる時間とか、逢えなくても電話で話してる時間とか、そういう時間がとっても大切でした。ケンカばっかりしてたような気もするけどね。
で、良くも悪くも毎日俺のことを見てくれていたと感じていたし、応援してくれてたと感じていたし、だから、なんとかここまで頑張ってこれたんだと思ってる。だから、逢える回数とかは、問題じゃなかったんだ。
…それが、「あなたが出来たこと」、「僕にしてくれたこと」かなぁ…。
そういえば、つい先日南青山に行く途中に渋谷を通って、例の尾崎の碑があるトコも通りがかったけど、あの場所にはいまだにギター抱えて歌ってる人達がいます。
東邦生命ビル、だっけ?? 歩道橋の上、ね。渋谷から
青山学院に行く道すがら、彼がいつも下を走るクルマを眺めてたって場所です。