黒猫のつぶやき

法科大学院問題やその他の法律問題,資格,時事問題などについて日々つぶやいています。かなりの辛口ブログです。

英語教育のはなし

2012-12-02 23:42:51 | 時事
 法科大学院関係の重い話が続きましたが,今回は雑談です。英語を専門にしているわけでもなければ,特に英語が得意なわけでもない人間の戯れ言ですから,適当に読み流して下さい。

 今年の7月ころ,アノニマスという国際ハッカー集団が,日本にサイバー攻撃を仕掛けたということで話題になりましたが,彼らの声明文を読んだところ,最後に'expect us'という表現が使われていました。皆さんは,これを何と訳すでしょうか?
 expectを辞書で調べると,大抵「期待する」という訳語が真っ先に出て来ます。したがって,この訳語を使ってexpect usを直訳すると「私たちに期待して下さい」となります(実際,自動翻訳ソフトを使うとこのような訳が出て来ます)。
 しかし,実際にはこの訳は誤りです。英語のexpectには,日本語の「期待する」のように,良い結果を予想するという意味合いが当然に含まれているわけではなく,悪い結果を予想する場合も含みます。そして,アノニマスは,サイバー攻撃を仕掛けると宣言しているのですから,もちろんこのexpectは悪い結果を指します。
 辞書によっては,expectの訳語に「(悪い結果を)予想する」というものも載せており,これを使えば「自分たちに(悪い結果を)予想しろ」という訳になりますが,これでは日本語になっていません。
 実質的な意味を考えれば,むしろ「覚悟しろ!」というのが最も適切な訳であり,実際にテレビではこの訳が使われていたのですが,辞書を見てもexpectの訳に「覚悟する」という言葉はあまり載っておらず,英語を使い慣れていない人がこれを適切に訳すのは結構大変です。

 日本の英語教育は実践的ではない,ということがよく言われます。大抵の大学では入試で英語が必須科目となっており,多くの受験生がかなりの時間をかけて英語を勉強しているのに,それだけでは英語を聞き取ることも話すこともできないばかりか,日本の英語教育において最も重視されている「日本語に訳すこと」すら時に支障を来たします。
 そのため,お金と意欲のある人は一生懸命英会話スクールに通いますが,それでもなかなか英語を話せるようになりません。結局,英語を修得するには海外留学するしかない,ということになってしまいます。なぜ,このようにおかしな事態が生じているのでしょうか。

 原因の一つは,日本の英語教育が「古すぎる」ということにあります。英単語の訳や文法など,日本における英語教育の基礎は明治時代に確立したものであり,抜本的にはその頃から変わっていないそうです。
 日本に来た外国人が,日本語を勉強するため明治時代に書かれた日本語の教科書を一生懸命読んでいたら,誰だってそんな勉強のやり方はおかしいと笑うでしょう。しかし,多くの日本人はそれと似たようなやりかたで英語を勉強しているのです。
 すなわち,学校の英語教育において,まず明治時代に作られた英単語の日本語訳や文法などを一生懸命丸暗記し,その後実践で英語を使う場面になると,学校で教わっていたことの多くが間違いだった,あるいは実情に沿っていなかったことを嫌と言うほど体験します。
 実に壮大な労力の無駄遣いであり,これでは日本人がいくら英語の学習を重視しようと,過去のしがらみにとらわれず実践的な英語教育を行っている発展途上国に語学力で負けてしまうのは,ある意味当然のことと言えます。

 原因の二つ目は,過剰なまでの「日本語訳重視」にあります。明治時代の知識人は,西欧の優れた文明を一刻も早く日本に取り入れることを至上命題としていましたから,英語を日本語に訳す能力が何より重視されたという事情がありますが,日本の英語教育はその伝統を今でも引きずってしまっているのです。
 ちょっと話が変わりますが,日本維新の会は,その前身である大阪維新の会時代に,「維新八策」で世界水準の英語教育を政策の一つに掲げています(選挙の政権公約にこれが反映されているかどうかは分かりませんが)。一応,英語教育を何とかしなければいけないという問題意識は持っているようです。
 ところが,その「日本維新の会」の英語名を決める際,明治維新が一般的にMeiji Restorationと英訳するのが一般的であることから,これに倣ってJapan Restoration Partyと訳してしまいました。
 Restorationという単語は,一般的に「王政復古」という意味であり,日本以外では1660年のイギリス王政復古や1814年のフランス王政復古,1975年のスペイン王政復古などを指す用語として使われています。
 明治維新でも,たしかに幕藩体制が崩壊して天皇制(王制)の復古が行われているので,明治維新をJapan Restrationと訳すこと自体が不適切とまでは言えないのですが,日本維新の会が実質的に目指していることを考慮すれば,Restorationという訳を当てるのは明らかに不適切であり,そのため日本維新の会は(明治時代の)大日本帝国復活を目指すのか,と揶揄されることになりました。
 他の候補としては,維新をrevolution(革命)と訳すことも考えられますが,これだと共産主義革命を目指すものと誤解されるおそれがあります。いっそのこと英訳は諦めてJapan Ishin Partyにしてしまった方が良かったかもしれません。

 この例でも分かるとおり,日本語と英語はその言語体系や歴史的背景が全く異なりますから,日本語の単語と英単語が一対一の関係に収まることはほとんどなく,「日本語の○○は英語で●●と言います」と一概に決めつけることはできません。明治時代に作られた英語の日本語訳・日本語の英訳というものは,当然ながら明治時代特有の思想的・文化的背景に基づいた「意訳」がなされているわけですが,日本では一度訳語が定まってしまうとそれが半永久的に固定化されてしまうため,現代ではもはや適切でない訳語がいつまでも生き残ってしまいます。
 また,翻訳という作業は両言語の思想的・文化的背景を的確に理解する必要がある高度な知的作業であり,単に英語を使いこなしたいというのであれば翻訳作業は専門家に任せ,単に英語を聴いてフィーリングで理解できれば十分なのですが,実際の英語教育ではひたすら英語を日本語に訳す,日本語を英語に訳すといったことが重視されます。
 このような英語教育を受けても,国際社会で真に必要な英語を聴いて理解する能力,英語で表現する能力といったものは一向に身に付かないばかりか,受験英語の知識だけで翻訳という高度な作業ができるものと誤解し,日本維新の会がやったように馬鹿げた失敗を犯してしまいます。まさに百害あって一利無しです。

 原因の三つ目は,文部科学省の規制による教育内容の硬直化です。現場で英語教育を行っている人の中には,既にこのような弊害に気付いている人もいるのですが,英語教育では文部科学省の検定に合格した教科書しか使うことができないため,現場の判断で英語教育の改革を行いたくてもできないのです。
 このような現状を打破するためには,諸外国における英語教育の例なども参考にしながら,古い辞書は捨てて実情にあった訳語をゼロベースで作り直す,また新しく作られた訳語も絶対的なものではないという認識の下,学校教育で翻訳の授業は基本的に行わず,大学入試でも英語の日本語訳,日本語の英訳と言った問題の出題は原則として禁止する,その代わり外国で実際に使われている英語に接する機会を可能な限り増やす,日本国内でも英語を第二公用語とし公共の場では英語の併記を義務づけるなどといった大胆な改革が必要となるでしょう。中学以降の英語教育が旧態依然としたままでは,いくら小学校1年生から英語教育を義務づけたところで,何ら問題の解決にはならないのです。
 もっとも,そのような改革を阻むのは文部科学省の役人と学者たちであり,彼らは既得権益を守るため改革に抵抗し,英語教育は異文化を理解するためのものであり実践的な英語力を身に付けるためのものではないなどと主張しています。法科大学院のみならず英語教育の場面でも,やはり文部科学省を廃止し既存の学者をお払い箱にしなければ,必要な改革はいつまで経っても進められないのです。

 日本維新の会に関しては,教育改革を行う必要があるという問題意識だけは持っているようですが,自分の政党名すら適切に訳せないあたり,問題の所在を適切に把握しているとは思えません。学校教育における問題の所在を分かっていない人が,教育委員会を廃止して自ら教育改革に乗り出したとしても,おそらくまともな成果は期待できないでしょう。
 もっとも,この点について他の政党が有益な政策を提言しているわけではなく,自民党で教育改革と言えば皇国史観の歴史教育を強制することしか頭にないでしょうし,共産党や社民党であれば逆に反戦教育の徹底くらいしか頭にないでしょう。政治の力で腐った英語教育にメスを入れるのは,一体いつのことになるのでしょうか。