今日、大河ドラマの「風林火山」が終わりました。第四次川中島の戦いでまさか3回分も引っ張るとは思わなかったけど、両軍ともにあれだけの死傷者を出して得に何も得るところはなく、一体あの戦いは何だったんだろうという気がします。
あの戦いに意義があったとすれば、武田・上杉の両軍ともに、正面切って戦っても相手には勝てないということを悟る結果になったということでしょうか。
ただ、川中島の戦い以後の武田氏が、北は難しいということで今度は南の駿河に侵攻し、その挙げ句に北条氏とも戦うことになって時間や兵力を損耗した挙げ句、その間に織田信長が先を越して上洛し勢力を拡大させてしまい、結局織田信長に武田氏が滅ぼされてしまったということは、武田家の「軍師」山本勘助の物語の結末としては、もっと強調されてもよかったのではないかと思います。
大河ドラマの話はこのくらいにしますが、先日、日弁連の選挙絡みのFAXが黒猫のところにも届きました。
内容は、裁判員の辞退事由を定める政令案について、日弁連が「自分には人は裁けない」などと言っている人に裁判員の仕事をさせても、思想・信条の自由を侵害することにはならないという趣旨の意見を出している、何という政府の御用団体的発想だ、というようなものでした(現在そのFAXが手許にないので、内容はうろ覚えに過ぎませんが・・・)。
ただ、政府は思想・信条や宗教上の問題で、どうしても人を裁くことができないという人には、政令の運用により裁判員を辞退する途を開く必要があると考えているので、日弁連の見解は政府の御用団体的というより、むしろ政府の見解以上に人権抑圧的なものといえます。
なぜに、日弁連がそこまで裁判員制度を熱烈に支持するのか。
これまでの刑事裁判制度では、有罪率が99%を超えており、一部の例外を除いては、刑事弁護はあまりやりがいのない(弁護士の腕によって結果の変わる余地があまりない)仕事だったわけですが、これまでの裁判員制度に関する模擬裁判の結果では、同じ事件なのに無罪の判決から求刑を上回る刑が言い渡される判決まで出たりするなど、裁判体によってかなり結論にばらつきが出そうなことが明らかになっています。
そうなると、裁判員候補者のうち、被告人に不利な結論を出しそうな人を選別して不選任の請求をしたり(注:裁判員法36条では、検察官及び被告人は、裁判員候補者について、それぞれ原則として4人まで、理由を示さないで不選任の請求をすることができます)、公判手続きでも、裁判員の心証に訴えるような弁護活動をしたりすることによって、第一審の結論は弁護人の腕次第でかなり左右できる余地があるということになります。
(もっとも、裁判員には従来型の刑事弁護のノウハウはほとんど通用しないようであり、むしろ素人である裁判員には、理論より情に訴えるような弁護活動が効を奏することになるような気がします。アメリカに留学して、向こうの刑事弁護のやり方を見てきた人が有利になるかもしれません。)
そうすると、これまではお金にならない事件であった刑事弁護事件も、これからはお金になる事件になるかもしれないわけです(もっとも、うまく裁判員を騙して被告人に有利な一審判決を出させても、あまりにひどいものは控訴審で破棄されるでしょうが、一審判決がことごとく破棄されて裁判員制度は無意味だという批判が出ないようにするには、少なくとも量刑については裁判員の判断を尊重せざるを得ないでしょう)。
もっとも、そういう刑事裁判制度のあり方が正しいのかと言われれば、話は別です。
裁判が素人判断になることによって、えん罪の可能性は下がるどころかむしろ上がるでしょうし、高度な裁判員対策型の刑事弁護技術を身につけた弁護士を雇えるのは、一部のお金持ちだけでしょうから、結局「お金で刑事の判決を買える」制度を作ることになります。金持ちは無罪、貧乏人は重罪というわけです。
国選弁護では、現状でも手抜きの弁護をする人が少なくないですから、国選弁護人はあまり当てにならないでしょう。刑事司法の世界でも「格差社会」は広がることになります。
今の刑事裁判制度下では、たとえ大金持ちの被告人が腕利きといわれる弁護人を何人も付けたところで、結局実刑になるものはなってしまうわけですが、これからは、裁判員が付くような重罪事件については、お金で腕利きの弁護士を雇えるかどうかでかなり結論が変わってしまうことになります。
現状では、刑事裁判の弁護士費用を捻出するために借金をして、自己破産などをする人はそれほどいませんが(ただし、全くいないわけではありません)、弁護士の腕次第で刑事裁判の結果が変わるとすれば、親族などの刑事裁判の弁護士費用を工面するために借金をしてしまう人も増えることでしょう。
刑事事件の弁護士費用のために借金をさせて、その依頼者から自己破産事件を引き受けてさらに弁護士費用を取るなどという、いろんな意味で極悪非道なビジネスすら成り立ってしまいかねません。
日弁連が、「基本的人権を擁護し、社会的正義を実現することを使命とする」(弁護士法1条1項)弁護士の組織だというのであれば、裁判員になることを嫌がる国民までも動員して、不公正な刑事司法を作る結果となりかねないこのような制度には、むしろ全力で反対しなければならないような気がするのですが、なぜ日弁連が前記のような態度を取り続けているのかは、黒猫にもよく分かりません。
以前は、このような意見を出した日弁連の関係者は誰だと追及するつもりでしたが、黒猫自身が色々なトラブルに巻き込まれてしまい、それどころではなくなってしまいました。
今度の日弁連会長選挙にも、例の法曹大増員にも裁判員制度にも反対という候補者は出馬するようです。以前の黒猫は、さすがにこのような発想は過激すぎるし妥当でもないと思っていたのですが、法科大学院制度も裁判員制度もだんだんその欠陥が見えてくるようになるにつれ、だんだん考えが変わってきました。
あの戦いに意義があったとすれば、武田・上杉の両軍ともに、正面切って戦っても相手には勝てないということを悟る結果になったということでしょうか。
ただ、川中島の戦い以後の武田氏が、北は難しいということで今度は南の駿河に侵攻し、その挙げ句に北条氏とも戦うことになって時間や兵力を損耗した挙げ句、その間に織田信長が先を越して上洛し勢力を拡大させてしまい、結局織田信長に武田氏が滅ぼされてしまったということは、武田家の「軍師」山本勘助の物語の結末としては、もっと強調されてもよかったのではないかと思います。
大河ドラマの話はこのくらいにしますが、先日、日弁連の選挙絡みのFAXが黒猫のところにも届きました。
内容は、裁判員の辞退事由を定める政令案について、日弁連が「自分には人は裁けない」などと言っている人に裁判員の仕事をさせても、思想・信条の自由を侵害することにはならないという趣旨の意見を出している、何という政府の御用団体的発想だ、というようなものでした(現在そのFAXが手許にないので、内容はうろ覚えに過ぎませんが・・・)。
ただ、政府は思想・信条や宗教上の問題で、どうしても人を裁くことができないという人には、政令の運用により裁判員を辞退する途を開く必要があると考えているので、日弁連の見解は政府の御用団体的というより、むしろ政府の見解以上に人権抑圧的なものといえます。
なぜに、日弁連がそこまで裁判員制度を熱烈に支持するのか。
これまでの刑事裁判制度では、有罪率が99%を超えており、一部の例外を除いては、刑事弁護はあまりやりがいのない(弁護士の腕によって結果の変わる余地があまりない)仕事だったわけですが、これまでの裁判員制度に関する模擬裁判の結果では、同じ事件なのに無罪の判決から求刑を上回る刑が言い渡される判決まで出たりするなど、裁判体によってかなり結論にばらつきが出そうなことが明らかになっています。
そうなると、裁判員候補者のうち、被告人に不利な結論を出しそうな人を選別して不選任の請求をしたり(注:裁判員法36条では、検察官及び被告人は、裁判員候補者について、それぞれ原則として4人まで、理由を示さないで不選任の請求をすることができます)、公判手続きでも、裁判員の心証に訴えるような弁護活動をしたりすることによって、第一審の結論は弁護人の腕次第でかなり左右できる余地があるということになります。
(もっとも、裁判員には従来型の刑事弁護のノウハウはほとんど通用しないようであり、むしろ素人である裁判員には、理論より情に訴えるような弁護活動が効を奏することになるような気がします。アメリカに留学して、向こうの刑事弁護のやり方を見てきた人が有利になるかもしれません。)
そうすると、これまではお金にならない事件であった刑事弁護事件も、これからはお金になる事件になるかもしれないわけです(もっとも、うまく裁判員を騙して被告人に有利な一審判決を出させても、あまりにひどいものは控訴審で破棄されるでしょうが、一審判決がことごとく破棄されて裁判員制度は無意味だという批判が出ないようにするには、少なくとも量刑については裁判員の判断を尊重せざるを得ないでしょう)。
もっとも、そういう刑事裁判制度のあり方が正しいのかと言われれば、話は別です。
裁判が素人判断になることによって、えん罪の可能性は下がるどころかむしろ上がるでしょうし、高度な裁判員対策型の刑事弁護技術を身につけた弁護士を雇えるのは、一部のお金持ちだけでしょうから、結局「お金で刑事の判決を買える」制度を作ることになります。金持ちは無罪、貧乏人は重罪というわけです。
国選弁護では、現状でも手抜きの弁護をする人が少なくないですから、国選弁護人はあまり当てにならないでしょう。刑事司法の世界でも「格差社会」は広がることになります。
今の刑事裁判制度下では、たとえ大金持ちの被告人が腕利きといわれる弁護人を何人も付けたところで、結局実刑になるものはなってしまうわけですが、これからは、裁判員が付くような重罪事件については、お金で腕利きの弁護士を雇えるかどうかでかなり結論が変わってしまうことになります。
現状では、刑事裁判の弁護士費用を捻出するために借金をして、自己破産などをする人はそれほどいませんが(ただし、全くいないわけではありません)、弁護士の腕次第で刑事裁判の結果が変わるとすれば、親族などの刑事裁判の弁護士費用を工面するために借金をしてしまう人も増えることでしょう。
刑事事件の弁護士費用のために借金をさせて、その依頼者から自己破産事件を引き受けてさらに弁護士費用を取るなどという、いろんな意味で極悪非道なビジネスすら成り立ってしまいかねません。
日弁連が、「基本的人権を擁護し、社会的正義を実現することを使命とする」(弁護士法1条1項)弁護士の組織だというのであれば、裁判員になることを嫌がる国民までも動員して、不公正な刑事司法を作る結果となりかねないこのような制度には、むしろ全力で反対しなければならないような気がするのですが、なぜ日弁連が前記のような態度を取り続けているのかは、黒猫にもよく分かりません。
以前は、このような意見を出した日弁連の関係者は誰だと追及するつもりでしたが、黒猫自身が色々なトラブルに巻き込まれてしまい、それどころではなくなってしまいました。
今度の日弁連会長選挙にも、例の法曹大増員にも裁判員制度にも反対という候補者は出馬するようです。以前の黒猫は、さすがにこのような発想は過激すぎるし妥当でもないと思っていたのですが、法科大学院制度も裁判員制度もだんだんその欠陥が見えてくるようになるにつれ、だんだん考えが変わってきました。
しかし、黒猫さんの、弁護士が国選弁護だと手を抜くという発想は違うと思いますよ。確かに、かなり高齢の弁護士に、そのような方がいたことは間違いありませんが、特に難しい事案は、刑事弁護委員会に所属していて、やる気も実力もある弁護士が、自腹を切りながらやっているというのが実情ですよ。
ただ、裁判員対象事件のように、非常に手間のかかる事案を、極めて低額の報酬(記録の謄写をすれば、赤字になるので自腹になるのですが・・・)で引き受ける弁護士がどれだけいるのか、ということです。
今まで国選弁護制度は、弁護士のボランティア精神に支えられてきましたが、過当競争にさらされた弁護士が、赤字になるような裁判員対象事件を、どれだけ積極的に引き受けることができるのか甚だ疑問です。
つまり、圧倒的大多数の被告人は、国選弁護人に頼らざるを得ないのが実情ですが、裁判員対象事件は時間的制約も大きいので、とても受任できません。
弁護士のボランティア精神を前提とした現行の報酬体系では、絶対に成り立たないと思います。
なお、上のコメントにもあるように、裁判員制度対象事件は国選事件となるものが殆ど。金で有能な弁護士を雇って無罪判決を勝ち取るケースが出てくるような現象は起きないでしょう。
ともあれ、黒猫さんも日弁連の異常にお気づきのようで同慶の至りです。法科大学院問題に限らず、どんどん鋭い突っ込みをお願いします。
費用等を差し引けば,それこそコンビニのアルバイト店員並みの時給ですね。
しかし、もし不合格者が3桁、特に200人を超えるような事態になってしまったら、法務族の議員達も怒り出すでしょうし、来年の日弁連会長選挙でも、現執行部の威信が低下し、司法制度改革の全てに反対する過激な主張をしている候補が勝ってしまうかもしれません。
また、新司法試験合格者には、二回試験すら通過できない水準の者が多いとなったら、法律事務所からの求人はさらに減るでしょうし、企業内弁護士としての就職など夢のまた夢です。そうなったら、もはや法科大学院制度は崩壊するでしょう。
今回の試験結果について言えば、不合格者が59名で、不合格率が過去最悪とのことですが、かろうじて 法科大学院制度が存続できる範囲内に収まったといえるのではないでしょうか。
高山氏の誘いは断りましたが、平山会長の二枚舌には辟易しました。今回は、高山さんが勝ちますよ。