大学4年の夏に、友人と初代シビックで訪れて以来か・・・
能登半島1週のんびり旅だったが当時の記憶も半ば朧だ。
今は道の駅となり、海鮮館などもあって多くの観光客で
賑わいをみせていた。
大学4年の夏に、友人と初代シビックで訪れて以来か・・・
能登半島1週のんびり旅だったが当時の記憶も半ば朧だ。
今は道の駅となり、海鮮館などもあって多くの観光客で
賑わいをみせていた。
トンネルを幾つも抜けて砺波市へでると、
素晴らしい田園風景が広がる。
ゆったりとした間隔をとって、大きな樹木に覆われ、
屋敷林に囲まれた農家が実に小気味良く点在する。
その配置は規則的ではなく、永い年月を経て造られた
この地に住む人々の英知の結果だ。
しばらく続くこの景色、みてても飽きる事はない。
学生時代の友人が住む福光まで156号線を何度となく
走ったものだが・・・・・・その友も1昨年逝ってしまった。
沢山のトンネルを抜け、道はどんどん砺波平野に高度を下げる。
東海北陸道が全線開通して、北陸へ抜けるのも随分と楽には
なったが幾つかの素晴らしい景色は処どころ、トンネルの
合間、合間に一瞬、現われるにすぎない。
ドライバーだったら幾つかの景色は見失う事になる。
紅葉の頃もう一度、訪れるとしよう。
勿論、旧道を通ってゆっくりと・・・・・
難工事の末、全線開通となった東海北陸道を
日帰りバスツアーで出かけた。
氷見での昼食メインの旅行にて、何処にも寄り道はなし。
いつもだとこの辺りは地道をのんびりとマイペースにて
釣り目的で訪れるのだが、バスならではのお気楽ツアー。
スケッチもバスに揺られながらの速写となる。
雰囲気だけ、自分だけにわかる絵。
これもたまには良い。
お祝いのお返しで先日頂いた。
Y君、友人の息子で、幼い頃から知る。
院生終了後6年ほど大学に残り、
先頃 、新設の大学にて教鞭をとる事となり、同時に結婚。
御酒(うさき・泡盛)とオードパルファムを送る年齢に達した
と思うと感慨深いものがある。
彼の”話の種にでもなれば・・・・” どおり調べたら、
大学ブランド商品は2004年の国立大学の独立行政法人化以降、
大学名と研究成果をアピールする手だてとして全国の大学で
広がりつつあるという。多種多様な商品がある中、酒類は特に多く
神戸大、新潟大、静岡大は日本酒、鹿児島大は焼酎、
東大は泡盛、京都大、名大はビール、同志社大はワインを、
そういえば、ビールは以前頂いた事があった。
東大のこの御酒とオードパルファムはどちらも本気度の伝わる
商品で、人気度も高いという。
Y君、とても良いお品をありがとう。
なにやら、表が騒がしい。
ウィーン、ウィーンと季節外れのチェーンソーの音だ。
出てみると、例の槿(むくげ)を切り倒しているではないか。
それは、天下の公道、歩道と車道の間の植栽帯・・・・
この辺りは殆どトウカエデが植えてある。
20年ほど前、空いた処に亡き母が植えた槿(むくげ)だ。
そういえば、昨日父親の処に市の職員風の人が二人来て
何やら話しているのを見かけたような・・・・
訊ねてみると、やはり市の職員で、何処でどう聞きつけたか
父の処へ、バス停の目線から邪魔になるから切り倒したい
のだがという承諾を取りに・・・・・・・・・
高さ4.5メートルくらいまで大きくなり、
毎年この時期になると結構長い間にわたり
花を楽しませてくれ、道行く人も楽しんでいたに違いない。
母の思い出が身近な処から一つ減るのも寂しい気も
するが、事情を察すると致し方ない。
私が感心するのは、そんな場所に平気で植えてしまう母
の”おおらかさ”とそれを覚えていたご近所の人の事。
それとこの程度の事に限って言えば、
役所の怠慢?もご愛嬌かなという事。
未明に雷鳴の音で目覚めた。
近くで鳴っているのだが、雨は降らない。
明るくなるのを待ってそのまま、散歩に出る。
白鳥庭園の際の小道 。
4本の楠 が緑のトンネルを作る。
堀川に架かる松重橋から下流方向・南をみる。
広くなってる右手には松重閘門(絵には描かれていない)。
今は使用されていないが、中川運河との船の往来を可能
にした水位調節用の閘門だ。
再開すれば、ふたつの運河が繋がり、名古屋港まで
ぐるりと1周できて、運河としてより楽しくなると思うのだが。
現在は夜間ライト・アップのみで存在感を示すにとどまる。
本棚にあった例の赤と緑の本をここ2,3日読んだ。
そうゴールドの帯もそのままに・・・・
サラ・ヴォーンのミスターケリーズを聞きながら・・・
そうこうしてたら”ノルウェーの森”映画化決定のニュースを知る。
村上春樹が21年前に描いたベストセラーで、
描かれた時代は遡る事その18,9年前。
熱烈なファンというわけではないが、作家とは全くの同年で
在京の私学・・・描いた時代も、描かれた時代の中にも
そこかしこに行動パターン、嗜好が重なる部分が多い。
戻りたい部分と触れたくない部分、双方が混在する時代。
マンの魔の山、フォークナーの8月の光・・・・・
ラバーソールも久しぶりに針を降ろしてみよう。
一時でもあの頃にもどれるだろうか?