源義経が平泉に身を寄せた話や弁慶が衣川での立ち往生
の話は歴史上の語り草になってるが、義経を討つに兄弟の
頼朝が平泉に来て当時の平泉政権の藤原泰衡も一緒に討伐
の戦いは余り歴史に興味のない方は知らない。当時の史実は
関係書物でお調べ願うとして、平泉政権最後の泰衡が源頼朝
に討たれたところが私のすんでる町だそうだ。その泰衡の
最期の首を洗った井戸と言われる場所がのこっている。
< 今も 管理されて、言い伝えられてる >
そして、晒されて後に ミイラ化されて、近親者により先祖の
まつられる中尊寺へ弔われたとのことだが、そのときに首級ミイラ
と共に蓮の種も添えられてあったとそうです。昭和25年に歴史の
研究調査での発見された種子から 芽が出て,それが850年の歴史の
眠りから花を咲かせたのです。
< 850年も前の種から咲いた蓮の花 >
その花を中尊寺から株分けされて、 850年もの昔の戦いで閉じた
平泉政権当主だった泰衡の討たれたこの町にも咲かせることが
出来てるんです。 行って見てきました。古に思いをはせて!
歴史の語り伝えって深く知りたくもなりますね!・・