asahi.com「君が代不起立、来賓を調査 埼玉・戸田市教委」と言う記事を読んでの感想。
記事によると、
だそ~です。
欧米で国家斉唱の時に起立するのは、強制されている訳ではなく、本当に国民が敬意を払っての自発的な行動なんですが。「銀河英雄伝説」で、ヨブ・トリューニヒトが国家斉唱の時に起立しなかったヤン・ウェンリーに対して、私的な組織を使って報復しようとしたシーンを彷彿とさせますな。
#日本国憲法に籠められた意味を完全にはき違えている、こんな輩が教育長とはねぇ。戸田市の民度を疑ってしまいますが(もしくは、民意が人事に反映されていないと言う事なのかも)。
記事によると、
13日の市議会で「君が代斉唱の際に起立していない来賓がいる。市教委は把握しているのか」との質問に対し、伊藤良一教育長は「(起立しないのは)はらわたが煮えくりかえる」「儀式の秩序を乱すこと」などとしたうえで「事実なら把握しなければならない」と答弁した。
だそ~です。
欧米で国家斉唱の時に起立するのは、強制されている訳ではなく、本当に国民が敬意を払っての自発的な行動なんですが。「銀河英雄伝説」で、ヨブ・トリューニヒトが国家斉唱の時に起立しなかったヤン・ウェンリーに対して、私的な組織を使って報復しようとしたシーンを彷彿とさせますな。
#日本国憲法に籠められた意味を完全にはき違えている、こんな輩が教育長とはねぇ。戸田市の民度を疑ってしまいますが(もしくは、民意が人事に反映されていないと言う事なのかも)。
不況の期間と、それに続いて拡大し続ける貧富の差に比例して民族主義が益々幅を効かせるようになっていますから…。
民族主義の恐ろしいところは頭を使わなくても感情と暴力でなんとなく突き進んで行くことができることです。一方、民主主義と言うのは理性と経済力と暴力(民主主義自体は暴力を否定していないと思いますので…)の微妙なバランスを取る必要があるので気を抜くとあっと言う間に崩壊してしまうので、これまた恐ろしいですね。
最も注意すべきなのは埼玉の教育長ではなくて、教育長にこのような発言をさせてしまう、あるいはそのような発言を望んでいる市民かもしれません。
ああっ!ほんとに民主惑星同盟と同じ状況だ^^;)。
「銀英伝」でも書かれている事ですが、民主主義と言うのは簡単に衆愚政治になってしまうんですよね。これを防ぐためには、国民が自分の頭で判断する事が出来るようにする教育が必要なのですが、今の日本国民には果たしてそう言う教育がされているのでしょうか(苦笑)
例えば、法治国家の基本は、あくまでも全ての判断は法によって行う事なのですが、最近のさまざまな報道を見ていると、今の日本の司法は、あまりにも世論に流された判断が多すぎるような気がしています。
#法の平等な適用は、法治・民主国家の根幹を成す部分ではないかと思うのですが...。