小さなナチュラルローズガーデン

木々の緑の中に、バラたちと草花をミックスさせた小さなイングリッシュガーデン風の庭。訪れた庭園や史跡巡りの記事もあります!

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NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の旅・前橋富士見、船津伝次平編

2015年12月17日 | 旅行記

大河ドラマ「花燃ゆ」は最終回も終わってしまいましたが、この「花燃ゆ」の旅はもう少し続けてみたいと思います。
今回は群馬で育った方ならお馴じみ「上毛かるた」にある「老農 船津伝次平(ろうのう ふなつでんじべい)」のふるさと、前橋市富士見町の原之郷(はらのごう)を訪れてみました。

船津伝次平のふるさと、原之郷の九十九山の風景。
伝次平は天保3年(1832年)、原之郷の名主の息子として生れました。若くして家督を継ぎ、村の水不足解消のため植林作業を行ない赤城山頂の大沼から用水を引く計画も立案しました。また寺子屋を開き名主、村役人として名望を集めました。
現在も、原之郷は赤城山の麓のひなびた農村地帯でした。手前の畑ではおいしいブロッコリーが採れそうです!


船津家一族の墓地にある船津伝次平の墓。
お墓の後方にあるのは地元の「富士見かるた」の案内板なので、伝次平が「め」の絵札になってしまってます。やっぱり伝次平は、「上毛かるた」の「ろ」でないとしっくりきません。
子供の頃は読み札の「老農」という言葉の意味がわからず、ただその響きに古風で独特なものを感じてましたが・・・「花燃ゆ」を見るまでは、伝次平がこんなに偉い人だったとは知りませんでした。
「老農」とは老人の農家ではなく、農業を研究し経験を重ね、高度な農業技術を身に付けた農業指導者のことを言うようです。

伝次平はさまざまな農作物の栽培方法の研究に取り組み、実験を重ねては農業を改良進歩させていったそうです。経験重視の日本の在来農法に、近代的な西洋農法の手法を取り入れたその農法は全国に普及し、後に「近代農業の父」と呼ばれるようになりました。
明治6年には「桑苗簾伏方法(くわなえ すぶせのほう)」を著わし、養蚕
業の振興にも務めてます。
「花燃ゆ」の中では、伝次平を「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のドク博士のようなヘアスタイルで石原良純さんが演じて人気者でしたね!


船津伝次平の墓付近に残る農家の古民家。


船津伝次平翁 贈位記念碑
こちらは番組終わりの「花燃ゆ紀行」でも紹介された記念碑です。前橋器械製糸場の速水堅曹(はやみ けんそう)や楫取素彦により、農業熟練者として明治政府内務卿・大久保利通に推挙された伝次平は、明治10年12月、家族を群馬に残して上京、内務省御用掛(ごようがかり)に就任しました。
東京駒場農学校(東大農学部の前身)では農業監督として農業を指導し、学生達の中で自ら先頭に立って、駒場の原野に開墾のクワをふるって農場を拓いたそうです。
農事巡回教師として全国を巡り指導にあたった際には、どこへ行っても農民と同じ身なりで接しました。
当時、農商務大臣となっていた松陰の門下生・品川弥二郎と、行動を共にしていたというのもスゴいです!


前橋市富士見町支所の庭に建つ、船津伝次平像。

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