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果物ナイフ その①

2007-02-01 08:26:31 | 物語
 ぼーっとそこだけが浮き上がって見えるカウンターの明かりの下で、ダスターコートをだらしなくはだけた背広の男がブランデーグラスを唇に当てていた。客はこの男と一つ席を空けた隣に額のはえ上がった年輩の男がいるだけである。バーテンは二人から離れたところで一服していた。
 年輩の方はだいぶ酩酊の様子で肩口が左右に揺れている。
 「にいさん、あんた、やけにその写真が気に入ったようだね」
 突然であったのと、その声があまりに低く陰気であったので、若い男は自分に語りかけたものか合点するのに時間がかかった。
 やがて男は声の主の顔をまともに見ると、にたっと笑った。その下卑た表情は話しかけた男と年齢の差以外ほとんど区別がつかなかった。
 「そんなに気に入ったように見えますか。えっ、おじさん」
 二人の目の前の板壁には、大きなヌード写真が貼りついていた。
 「顔に書いてあるよ。あははは」
 年輩の男は若い男の方へ身を乗り出した。
 「おじさん、おれはこの女が気にくわねえんだよ。じっさい、ぶっ殺してやりたいくらいさ。この太股の張りようはどうだい」
 「それだけでも八つ裂きにする値打ちがあるか、はははは。しかし、滑らかそうないい腹をしているじあないか」
 年上の方は粘っこく返した。
 やにわに、カウンター越しの果物ナイフをつかんで、若い男が呟いた。
 「これでぐさりだ」
 表情から本気か冗談が読み取るのは難しい。
 「なんだか、きみとはうまが合いそうだなあ。今夜は大いに飲もうじゃないか」
 柄にもなく年輩の方はしんみりとした調子になっていた。
 そのとき、客がいるとは到底思えない、後ろの薄暗いボックス席から一人の男が立ち上がり、二人の間の席へ、すいとすべり込んだ。