岩波文庫の旧版の永田寛定訳において、次のような「注」を見つけることが出来る。
「次章(第九章のこと)に出るアラビヤの史家シーデ・ハメーテ・ベネンヘーリのことで、むろん、架空の人物。この歴史家の原作に基づき、セルバンテスは第二の作者として、イスパニヤ語の『ドン・キホーテ』を書いたというのが一つの結構になっているのである。セルバンテスは、ドン・キホーテとビスカイヤ人との勝負をここでつけずに、次の巻にまわすため、急に思いついた技巧として、この物語の原作者アラビヤの一史家なるものを持ち出したのである。そうして、自分は第二の作者として、巻の二以下の翻訳家となりすます趣向、ということは第九章で分かる」。
ほぼ同様の「訳注」が牛島訳にもあるが、微妙にニュアンスが違っている。
「セルバンテスは『ドン・キホーテ』の原作者として、アラビア人の史家シデ・ハメーテ・ベネンヘーリを設定し、自分を「第二の作者」(第八章参照)と規定している。つまり、まずアラビア語の原典があり、それを(バイリンガルのモーロ人が)スペイン語に翻訳し、それを第二の作者たるセルバンテスが編集することによって成立したという技法上のからくりを用いているのである。ちなみに、架空の作者の設定というのは、『ドン・キホーテ』がパロディの対象としている騎士道物語において頻繁に用いられている手法であった」。