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日記・物語・エッセイ・感想その他

読書ノート その②

2007-02-11 08:16:47 | エッセイ

 岩波文庫の旧版の永田寛定訳において、次のような「注」を見つけることが出来る。
 「次章(第九章のこと)に出るアラビヤの史家シーデ・ハメーテ・ベネンヘーリのことで、むろん、架空の人物。この歴史家の原作に基づき、セルバンテスは第二の作者として、イスパニヤ語の『ドン・キホーテ』を書いたというのが一つの結構になっているのである。セルバンテスは、ドン・キホーテとビスカイヤ人との勝負をここでつけずに、次の巻にまわすため、急に思いついた技巧として、この物語の原作者アラビヤの一史家なるものを持ち出したのである。そうして、自分は第二の作者として、巻の二以下の翻訳家となりすます趣向、ということは第九章で分かる」。
 ほぼ同様の「訳注」が牛島訳にもあるが、微妙にニュアンスが違っている。
 「セルバンテスは『ドン・キホーテ』の原作者として、アラビア人の史家シデ・ハメーテ・ベネンヘーリを設定し、自分を「第二の作者」(第八章参照)と規定している。つまり、まずアラビア語の原典があり、それを(バイリンガルのモーロ人が)スペイン語に翻訳し、それを第二の作者たるセルバンテスが編集することによって成立したという技法上のからくりを用いているのである。ちなみに、架空の作者の設定というのは、『ドン・キホーテ』がパロディの対象としている騎士道物語において頻繁に用いられている手法であった」。

荒ら屋 その⑦

2007-02-11 06:24:05 | 物語

 「えっ?」
 「檸檬、梶井基次郎の」
 私はようやく了解した。
 「ああ、梶井の作品か、彼のものなら全部十回は読んでいる」
 以前、野津に梶井が好きだと言ったことがあったのを思い出した。
 「いいね」と彼。
 「何が、檸檬か?」
 「崩れかかった家だよ」
 それからである。彼が滔々とその荒ら屋の話をしたのは。それはY町の堤防よりの、雑草の生い茂った空き地にぽつんと立っているのだそうだ。屋根から土台まですべてが、灰色の老人のように朽ち果て、いつか忽然と雑草の海へ沈んでしまうような感じで――。
 「わかるような気がする。そんな風に好きになったら燃やしてしまいたい気になるのではないか」
 今にして思えば、そのとき、一瞬、彼の顔が輝いたように思える。彼は皮肉な笑みを浮かべて小馬鹿にしたように言った。
 「子供っぽい発想だな。なぜ火を点けるんだ、なんで火を点けるんだ」
 その詰問するような強い調子に、私はムッとした。