記憶鮮明、文章不明

福祉は権利。平和こそ最大の福祉。保育なめんな、子どもなめんな、保育士なめんなです。

保育士が戦士になる・・

2009-09-14 | 保育について
うさんくさい。

すごくうさんくさい。

なにがって

厚生労働省のやろうとしている「保育改革」だ。


保育所には入れない「待機児」が出るのは
圧倒的に保育所が足りないからなのだが

「改革」では

そうでは無い!
措置制度が悪いんだ!
親が好きな保育所を自分で選べるようにすれば保育所間に競争が起こって
良い保育所が増えるんだ!

みたいな論で

自治体はその「保育の必要度」を認定してあげる機能だけもって
あとは
親(利用者)と保育所の直接契約をする。


という。





どうしても
介護保険や
障害者「自立支援」法
と同じように
保育所も「改革」したいらしい。











この15年余り「直接入所」は厚労省の「悲願」のようだ。

馬鹿め。
せっかく戦後築き上げてきた世界に誇れる日本の「保育」の全国的な水準を
一気にぼろかすに落とすようなことを
監督省庁が率先してやろうとしてるんだぞ・・(と、小さな声でささやいてみる)


「直接入所」については
綱引きやってはすこしずつずこしずつ
向こう側へ引っ張られているのはわかっている。

だが

厚労省の審議会のいうままとか

マスゴミのキャンペーンにも負けずに

一気にずるずるいかさず
ずーーーっとこの均衡に近い状態を保ててきたのは


彼らの側の目標に「道理」がなく
我らの側に
絶えず新たな問題意識が継承されて


彼らが狡猾に
保育で金儲けしよう
保育のコストを抑えよう
とすればするほど

我らが

苦しみや悩みや痛みを
共有し
解決のため
貪欲に学び
実践を繰り返すなかで

確実に賢く強くしたたかになっているからだ。

とはいえ

人の命に限りがあって

先輩達が倒れてゆくのを目の当たりにしているここ数年でもある。

おりがみは「戦死」だとおもっている。


また団塊の世代の退職という時期もある。


だが

かえって退職して身軽になって

より厳しい時間帯のパートの層へかつての保育戦士たちが再び参戦しているのも心強い。


保育戦士とあえていうのは・・・


既得権を守ろうとキュウキュウとするような「ヒラメ保育士」「ピーマン保育士」では子どもの育ちも保護者の労働と生活も「守れない」からだ。

ヒラメ保育士とは
常に上ばっかり見てる。
言われたことしかやんないしときには言われた事以下しかやらない。

ピーマン保育士とは
「私の言ってる事は良い」と教条は立派だが中味空っぽの嫌われモン。

(えーと、本来のヒラメは淡い微妙なおいしさのあるさかなだしピーマンは目に嬉しく味にアクセントをつける良い野菜なんですが
敢えて悪役になってもらってスマン!)




身を粉にしてただひたすらに子どものために働ける
うたっておどれたり
ピアノが弾けたり
どろだんごがじょうずにできたり
なにより
子どもの心に寄り添えるテレパシーが発達している
保育士は
それだけでは・・「お人よ士」なのだ。




一保育士が保育戦士に変化してゆく過程には

多かれ少なかれ
やり場のないような怒りや悲しみの体験があり

子どもの権利が侵されることには敏感に反応できる力があり
うえの人間にもものが言える
という
「反骨心」や使命感が作用するらしい。

これぞ
保育戦士。



武器は笑顔と賢さに尽きる。





現行保育制度を「ちゃんとしていない」ところにメスを入れない限り
待機児問題の解決は無い。






戦士が戦死したら洒落にならないので



がーんばらなーいけどーいいでしょー♪の精神であたってゆこうとおもう。




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