2023年ザルツブルク音楽祭の歌劇「マクベス」(ヴェルディ作曲)がテレビで放送されていたので録画して観た。収録は2023年7月25・26・29日、ザルツブルク祝祭大劇場だ。今年の夏の音楽祭の模様がテレビで観られるとは何という贅沢だろうか。
しかも今回は、自分が昨年ザルツブルクに旅行に行ってきたばかりなので感慨もひとしおである。
<出演>
マクベス:ウラジスラフ・スリムスキー(47、ベラルーシ)
バンクォー:タレク・ナズミ
マクベス夫人:アスミク・グリゴリアン(42、リトアニア)
マクダフ:ジョナサン・テテルマン
マルカム:エヴァン・リロイ・ジョンソン
合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:フィリップ・ジョルダン(49、スイス、 ヴェルザー=メストの代役)
演出:クシシュトフ・ヴァルリコフスキ(61、ポーランド)
1843年、シェークスピアを敬愛するヴエルディは彼の戯曲の初めてオペラ化するにあたり、四大悲劇の「マクベス」を選んだ(今回は1865年パリ版がベース)。
「マクベス」は主君殺しがテーマになった物語であり、それを唆すのが悪妻のマクベス夫人である。主君殺しは洋の東西を問わず人気の演目なのだろう、明智光秀然り、ブルータス然り、どの話も最後は主君を殺した人物が悲愴な最後を遂げるというのもお決まりのパターンであろう。
番組の説明では、今回の演出は映画をはじめとする文化的象徴を大胆に取り入れ作品解釈の更新を迫るポーランドの鬼才クシシュトフ・ヴァルリコフスキ、彼は、マクベス夫妻に子供が育たなかったという原作の設定を元に、医師に不妊を知らされた夫婦の絶望をすべての発端とした、また、彼はパゾリーニ監督の映画やのちに恐怖政治をもたらしたフランス革命の母胎「球場の誓い」の室内テニスコートを導入し政治システムと独裁者の関係を問い直す、とある。
このヴァルリコフスキの演出は、何も予習なしに見たら全く理解できないであろう。私も少しは予習してみたが、理解できたとは言えない、例えば、
- 劇の冒頭や第4幕の冒頭にパゾリーニ監督の映画「アポロンの地獄」や「奇跡の丘」の引用があるが、その意味しているところが良くわからない
- フランス革命の母胎「球場の誓い」の室内テニスコートを導入し政治システムと独裁者の関係を問い直す、とあるがこれも理解できなかった
観客もどれだけ理解して見ているのかわからないが、現地ではそれはあんまり関係ないのかもしれないといっては失礼か。音楽祭とはお祭りだ、話題になればそれだけで良いのではないか、とも思える。2019年のバイロイト音楽祭のトビアス・クラッツアー演出「タンホイザー」も相当奇抜なものと思ったが、この傾向は最近のはやりなのか。あまりの奇抜さには観客からブーイングも出るようだが、今回のカーテンコールではブーイングはなかったように思える。ただ、ヴァルリコフスキが舞台に出てきたときは、何かちょっと拍手喝采というような感じではなかったようにみえた。
この演出家はウィキによれば、「2021年、彼は“ヨーロッパの演劇言語の根本的な刷新の提唱者”であり、“映画からの参照とビデオの独自の使用法に頼って、新しい形式の演劇を発明した”として、ヴェネツィアのテアトロ・ビエンナーレで金獅子生涯功労賞を受賞した。」とある。元々は演劇監督で、最近オペラも演出も手がけるようになったようだ。ウィキで説明されていることは今回のマクベスでも遺憾なく発揮されていると言えよう。
さて、出演者であるが、何と言っても目立っていたのはマクベス夫人のアスミク・グリゴリアンであろう。美人だし、歌唱力もあり、演技もそれなりにうまい。彼女は最近のザルツブルク音楽祭の常連歌手になっているようで、もう第一人者という感じなのだろう。
ただ、私は今回の彼女は、あまり適役ではなかったと思う。なぜなら、マクベス夫人というのは腹黒く、亭主に国王殺しを唆す悪女であるからだ。悪女が美人でスタイルも良い歌手では相当な違和感がある。マクベス夫人が自分の行いの重大さに押しつぶされ発狂してしまう後半の場面など、随分かわいらしいマクベス夫人となっていて、かわいそうになった。やはり、ちょっと太めでキツイ性格の女、というのが合っているのではないか。例えば、アンナ・ネトレプコなどが適任だと思う。グリゴリアンは美人が様になる役が良い、例えば、ラ・ボエームのミミとかサロメとか。まあ、どんな役でもこなさないと仕事は来なくなるのだろうからえり好みはできないのでしょうが。
ヴェルディの音楽は、可もなく不可もなく、といった印象を持った。あまり好きな演目でもないので普段家で聞くこともないのだが、いつものヴェルディ節が随所にあり、ファンの方には楽しめるオペラでしょう。ただ、私にとっては相変わらず喧しいだけの音楽に聞えた。