ゴールデン・ウィークに「小石川植物園」に行き、その後、もう一か所行ってみたかった「向島百花園」に行ってみた、東向島駅から歩いてすぐ、入場料は60才以上70円、そんなに混んでいなかった
こちらは以前、テレビの「新美の巨人たち」という番組で取り上げされていたのを見て、一度行ってみようと思っていたところである
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そのテレビ番組での説明や百花園のwebページの説明によればこの百花園の概要は以下の通り
江戸時代の文化・文政期(1804~1830年)に造られた庭園、造ったのはそれまで骨董商を営んでいた佐原鞠塢(きくう、1764~1831年)、茶道具の売買などで巨利を得たことで幕府から睨まれ、40代の若さで隠居せざるを得なくなった、そこで旗本の空き屋敷である向島の地を買い、交遊のあった文人墨客の酒井抱一、太田南畝(蜀山人)、川上布不白らの協力を得て寄付を募り、梅の木を集め開園した、寄付の返礼は文人たちの漢詩集「盛音集」だった、園はその後、交流のあった当時の一流文化人達の手で自分たちの趣味と好みに合うよう改造され、庶民的で、文人趣味豊かな庭として小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった「自由で野趣あふれる、唯一無二の園」となり広重の「東都三十六景、向島花屋敷七草」にも描かれた
「百花園」の名称は、一説で は、酒井抱一が「梅は百花に魁けて咲く」という意味でつけたもの言われている、ここは庭園を媒体とした文化サロンであった
民営としての百花園の歴史は昭和13年まで続き、同年10月に最後の所有者の小倉未亡人から東京市に寄付され、翌14年7月に東京市が有料で制限公開を開始した
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入口で地図をもらい、庭門から中に入ると、あずまやのある広場があり、横には茶店もある
そこから「御成屋敷」の前を通り「桑の茶屋跡」に行く、そこから池の向こう側の小路をたどり、ところどころにある句碑などを見る、江戸時代にできた庭園からはスカイツリーも見えて新旧のコントラストが楽しめる
向こう岸にかけて小路を歩き花菖蒲が咲いているところを見る、「はぎのトンネル」を見て庭園の中央の「藤棚」のところに来るとまだ藤の花が咲いていた
それほど広くない庭園なのでゆっくり見て歩いても1時間もかからないだろう、この日は花がいっぱい咲いているかなと思ったが、そうでもなかった、日本庭園だから草花が中心であり、1年を通していろんな花が咲き、草木が茂るのでしょう、文人たちが造園しただけにそれぞれの四季の草花が奥ゆかしく、目立たずに咲いているように見えた、酒井抱一も草花図を書く時、美しい花は草の葉の陰で少し隠れるように描いたが、それは文人たちの「粋」というもの
楽しめました
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