ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

東京フィル定期演奏会 歌劇「オテロ(演奏会形式)」を観る

2023年08月02日 | オペラ・バレエ

東京フィルハーモニー交響楽団の第989回定期演奏会でオペラ『オテロ』(演奏会形式)を観た。場所はサントリーホール。A席8,500円。2階正面の後ろの方だ。9割以上の入りか、平日夜の都心であるので老若男女まんべんなく来ていた感じがした。

オテロはベルディの最後から2番目の作品で、1887年にスカラ座で初演された、ヴェルディ73才の時だった。前作のアイーダから16年のブランクがあった。きっかけは詩人で台本作者のボーイドの台本に感動したからであった。

オテロの台本は天才詩人のボーイトと協働してつくった。シモン・ボッカネグラの改作で一度協働作業した経験からお互いの信頼関係ができていた、その後、オテロを着手した。この二人の協働作業は、モーツァルトとダ・ポンテ、R.シュトラウスとホーフマンスタールと並んで、オペラ史における「天恵」とも言えるものだそうだ。

オテロ(テノール):グレゴリー・クンデ(米)
デズデーモナ(ソプラノ):小林厚子
イアーゴ(バリトン):ダリボール・イェニス(スロバキア)
ロドヴィーコ(バス):相沢創、ヴェネティアの使節
カッシオ(テノール):フランチェスコ・マルシーリア(伊)
エミーリア(メゾ・ソプラノ):中島郁子
ロデリーゴ(テノール):村上敏明、ヴェネティアの紳士
モンターノ(バス):青山貴、キプロス島のオテロの前任者
伝令(バス):タン・ジュンボ

指揮:チョン・ミョンフン
東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団
台本:詩人アッリーゴ・ボーイト

東京フィルのHPにはこの演目のパンフレットや公演の楽曲解説、関係者のインタビュー動画が見れるようになっている、大変有難い。公演前に予習ができる。その動画で出演者の方が言っていたのは演奏会形式の難しさだ。通常のオペラでは歌手の前にオーケストラピットがあるが、オーケストラが後ろにいると音が大きすぎで、歌手の立ち位置によっては普段ピットの中では聞こえない特定の楽器の音だけが大きく聞こえてくるなどの難しさがあるとのこと。確かに、今日聴いてみて、オーケストラが同じステージの歌手の後ろで大音響で演奏している場面は相当な歌唱力が無いと声が霞んでしまうだろうと感じた。

東京フィルの解説だと、オテロは既存のオペラの形式、開幕の合唱・アリア・二重奏・アンサンブルなど、を採用しなかった、オペラが自然に展開して行くことを重視したため、楽曲がない、従ってワーグナーのオペラと同様に音楽がドラマと一緒に途切れずに進行して行くので、観客が拍手するところもない。確かにそうだった。また、歌唱の美しさにだけ頼ることをせず、言葉と密接に結びついた音楽表現を採用したので歌はいつも朗唱風になった、ドラマと音楽の融合だ。

あと、動画の中でコントラバス首席奏者の片岡夢児氏がヴェルディの音楽の特徴を聞かれ、一般的にイタリア人は陽気な性格と思われているが、実はそうでもない、暗いところもあると感じていると述べ、ヴェルディの音楽も実は同じだと述べていたのを聞いて、我が意を得たりと思った。イタリア人については私も全く同じ感想を持っていた、それは音楽を通じてではなく、イタリア映画を観てそう感じたのだ。例えば、古い映画だが、「自転車泥棒」とか「道」とか「鉄道員」などだ。実にもの悲しく、哀愁に充ちた世界が描かれている。

さて、今日の公演を観た感想をいくつか述べてみよう

  • この公演の演出であるが、案内を見ると舞台監督蒲倉潤氏、舞台監督助手の3名の名前が書いてある。彼らが演出を考えたのだろうか、この演出は大変よかった。シーンに応じた照明の工夫や、合唱隊の配置、舞台セット(第4幕のデスデモナが死ぬ長椅子)、トランペットが舞台後方のパイプオルガンの演奏をする場所から高らかに独奏することなどだ。観客に飽きさせない工夫が凝らされていると感じた。
  • ただ、男性歌手が着ている服装が全員黒のコスチュームであることが気になった。これは演奏会形式では当然のやり方なのかもしれないが、そのやり方を変えても良いのではないか。舞台演出も一昔前の演奏会形式とはかなり違ってきているように思うので男性歌手の服装も新しいやり方に挑戦してほしい。いまのやり方では、男性歌手たちが舞台で目立たないからだ。
  • 主人公のオテロはムーア人であり、肌の色は黒い。今日のオテロのグレゴリー・クンデは白人のままで出演し、一方、イアーゴのダリボール・イェニスはスロバキア人で多分白人であろうが、黒っぽい化粧をして出演していたように見えた。本来、逆ではないかと思ったがどうであろうか。
  • 17世紀にムーア人という有色人種を主人公にした戯曲を書いたシェークスピアもすごい、この物語は人種問題が主題ではないが、イアーゴのオセロに対する憎悪は人種問題があることは確かだ、だからこのドラマは「ベニスにあるムーア人の悲劇なのだ」(「シェイクスピアを楽しむ」阿刀田高著)と言う説明は当たっていると思う。
  • 実は「オテロ」はそんなに好きなオペラではなかったが、今日の演奏会形式の舞台を見ることによって通常のオペラより演奏が良く聞こえ、演出や歌手の熱演もあり、結構良いオペラだなと感じることができた。
  • 歌手・合唱団・指揮者・オーケストラは全員、全力を出していたと感じた。それを感じてカーテンコールの拍手も大きかった。
  • 運営面ではカーテンコール時の写真撮影がダメだったのが残念である。先日の日本フィルの演奏会形式のオペラではOKだったので、これは楽団の方針か出演歌手などとの契約上の問題なのか。いまやMETでもROHでも撮影OKではないのか、ファン重視の考え方でやってもらいたいし、契約上の問題なら交渉で変えてもらいたい、もう楽団にはそのくらいの交渉力はあるでしょう。

今夜は楽しめました。