ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

恩田陸「蜜蜂と遠雷」を読む(その3)

2023年08月29日 | 読書

(承前)


(浜コンのHPから拝借)

  • 主人公の一人風間塵の演奏は、作曲家の意図に自分の演奏を合わせていくのではなく、逆に、曲を自分に引きつけていく、曲を自分の世界の一つにしてしまう、曲を通じて自分の世界を再現してしまう、と書いている。難しいが、自分の音楽の世界というものを持っているピアニストしかできないし、それは独りよがりと批判されることもあろうが、風間塵は、鳥は一人でも歌うでしょ、と言っている。
  • この小説ではコンクールを通じてコンテスタントが成長する姿を書いている。経験が少ない若いコンテスタントが多く、コンクールの期間が長いので確かにそういう面があるのかもしれない。
  • 6人が選ばれた本戦ではピアノ協奏曲が演奏されるが、6人全員が違う曲を選んだ、同じ曲を選ぶ人が多いとオーケストラも飽きが生じるという。ショパンコンクールなどはさぞオーケストラは大変だろうな、と書いている。そうかもしれない。オーケストラの責任も重大だが、同じ曲を続けて演奏というのも確かに辛いだろう。
  • また、本戦のピアノコンチェルトは実際にそれを経験したピアニストでないとわからない難しさがあると言う。CDで聴いているのと全然聞こえ方が違う。確かにそうだろう。これは先日観た演奏会形式のオペラの歌手も言っていたことと同じだ。自分のすぐ後ろで演奏している楽器の音が大きく聞えて、それ以外の楽器の細かい音が聞えないという。
  • コンチェルトの中にあるカデンツァは本来即興曲だが、本当に即興で演奏する人はまずいない。こんなことも知らなかった。
  • 主人公の一人明石が、西洋音楽の本場の欧州に行かなくても、それぞれの国にいて学び、そこから出てくる才能があっても良いのではないかと述べている。これもその通りだろう。明石が聴衆賞を取ったと言うことは、そういう時代が迫ってきているのではないか、と書いている。これは、東洋人がなぜ西洋音楽をやるのか、と言う先の問いに対する一つの答えでもあろう。
  • 生物でも何でも進化というのは一時期に爆発的に起こるもので、クラシック音楽もそうだった、きら星のごとく偉大な作曲家が生まれたのは奇跡か、と書いている。確かにそうだ、絵画でも同じだ。マネ以降に出てきた偉大な画家たちの多いこと、驚くしかない。
  • 予選、本戦とも選考が終了して結果が発表された後、審査委員を囲んで懇親会が開かれるという。そこでコンテスタントと委員が話ができるのは大変有意義だろう。こんな素晴らしい運営面の工夫があったとは知らなかった。

(その4、完)に続く


演劇「笑いの大学」を再度観る

2023年08月29日 | 演劇

以前、テレビで放映していた演劇「笑いの大学」(1996年)を観て大変面白いと思った。最近、PARCO劇場で当時と別の俳優で再演されたが、チケットがすぐに売り切れとなり買えなかった。そこで、録画が残っていた96年版のこの演劇を再度観ることにした。

三谷幸喜の傑作二人芝居「笑いの大学」

演 出: 山田和也 
出 演: 西村雅彦(向坂睦男:警視庁保安課検閲係)、近藤芳正(椿 一:劇団「笑いの大学」座付作者) 

この演劇は第4回読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞している。

舞台は昭和15年秋、すでに戦争が始まって世の中が暗くなっていってた時代、劇団「笑いの大学」では新しい演目の上演準備を進めていた。この新作の台本を作ったのは劇団の座付作者の椿(近藤芳正)だが、上演前に警視庁に台本原稿を見せて上演許可を得なければならない。警視庁保安課取調室に呼ばれた椿は検閲係の向坂(西村雅彦)から検閲結果を聞くが、その場面から舞台が始まる。舞台はこの二人しか出演しない。

この検閲係とのやりとりが全部で7日間かかる大変な作業になる。その1日ごとに舞台転換がなされる。そして、この暗い時代に少しでも明るい演劇を上演して世の中のムードを明るくしようと思う劇団と、戦時中に「笑い」をとるなどとんでもない、と考える検閲係とのやりとりが延々と続く。ここを直せ、あそこを直せと注文が出て、徹夜で書き直して翌日持って行くと、次にまた、ここを直せと言ってくる。

そんなやりとりがずっと続くのだが、全然飽きない。例えば、当初の原稿はシェークスピアのロメオとジュリエットをもじった喜劇となっていたが、このご時世に西洋ものはダメだとケチを付け、金色夜叉のもじりに書き変える、そうすると今度はキスをするシーンはダメだから直せと言う。これが次から次へと続くのだが内容が面白いので笑える、そして、最後には・・・

今回、見直してみて驚いた、座付台本作者役の椿を演じているのは近藤芳正(1961生まれ)ではないか。初めて見たときは全然知らない役者だったが、今回観て驚いた、あの映画「紙の月」、TVの「おやじ京都呑み」に出ているあの近藤芳正だ。この頃はまだ若いが、今のイメージと変っていない。この演目では近藤の熱演が光った。公演初日が段々と近づく中で、役者の稽古も必要だし、大幅な台本修正は受け入れたくないという切迫感、しかし下手すると公演中止となるリスク、何とかOKを出してもらうべく必死にもがいている様を面白おかしく演じていた。西村雅彦も検閲係のいやらしさと意外な一面を持つ人物像を実にうまく演じていた。

たった二人だけしか出演しない芝居なのに、ここまで観てる者を引き込むのは三谷幸喜の脚本が良いからだろうし、演出、出演者、その他すべての関係者が100%の力を出し切っているからであろう。私が今まで観た演劇の中では一番面白かった。人気があるので、また、再放送してほしい。