モビのドリーショットってどれくらいのレベルで合格点なんだろうか?というリファレンスをいろいろ見ていた過程で見つけたこの動画。映像、映画を研究されている方には「何をいまさら」な話なんだろうが、僕にとっては新鮮で、改めて「巨匠すげ~~~」と唸った。だから辻褄を合わせようとか矛盾を解消させようとか、ほんとどうでもいいんだなと。演出、つまり何を感じてほしいかというメッセージのためなら空間を捻じ曲げても、スクリプターさんが気が狂いそうなむちゃくちゃな不具合が起ころうとも、そんなことはどうでもいい。それが演出なのか。。
当然ながらネタバレあるので映画未見の方は以下は読まないほうがいいです。で、いますぐシャイニング借りてきて、夜中に独りで見てください。
映画「シャイニング」の空間設計はむちゃくちゃ
とにかくこの2本を見ていただきたい。もしシャイニングのこの演出意図をご存知なければ必見の研究。映像学校で翻訳して全学生さんに見せたほうがいいと思う。あ、もしかしてそんなの昔から教材になってる???のならすみません。。。
題して「映像の心理操作~シャイニングの空間把握と舞台デザイン」パート1とパート2。ぜひゆっくりご覧あれ。
いやあすごくないですか???????キューブリックすごいよ。凄すぎる。。
歪められた空間
いくつか印象に残った指摘をピックアップ。まずはパート1
2:23 こいつらはどこから来た?
ドリーショットの前半に見える大きな窓との位置関係を考えてもここに人が通れる廊下はない。
3:50 角部屋のはずが!
奥に窓があるので角部屋なのは明らかなのに、物語の最後に窓から逃げるシーンを見ると角部屋じゃない。。
6:00 とにかくドアが多すぎる
このドアから入った部屋と、もとの廊下にあるドアの位置にはまったく整合性がない。
8:10 持ち手もドアの向きも違う
右手左手の間違いくらいはあるだろう。スクリプターさんのミスで。が!ドアの向きまで違う!!なんだこの「気が付かないけどなんか違和感」、、という、ぞわっとする感じは。。。。
8:42 また左右が逆で、、
画面の下手側のドア開けたよな。下手側だった。で、イマジナリーラインを完全に超えて、カメラはどんでん返しになっている。なのに、また下手側から出てきている!!!!どうなってるんだ!!??
10:00 迷路の入り口の位置はどこ?
迷路の入り口が出てくるシーンが3回あるのだが、最後のシーンではホテルとの位置関係が違う。。もうだめだ。キューブリック先生、、、オレにはついていけない。。
映画が進むにつれてカオスへ
というわけでパート2。
0:33 ゴールド・ルームはどこにある?
ゴールドルームとホテルの他の場所との位置関係は一度として整合性を持たない。どこにゴールド・ルームがあるのか最後まで分からない。この廊下はどこにつながっているのか。。
キッチンとゴールドルームは近いはずなのに、、、
映画の後半でキッチンを通ってきたジャック・ニコルソンはゴールドルームの逆側から入ってくる。。
2:40 あの巨大なゴールドルームは存在する?
空撮からは中規模くらいの大きさのホテルなのに、あのゴールドルームの巨大さ。。。そして窓一つない。。どこにあるのだゴールドルーム。。。
3:40 なぜこんな矛盾が起こるのか
当然優秀なスタッフが揃っていて誰もこの不整合に気が付かないわけがない。ただ一つの理由を除いて。。それはキューブリックがそう意図したから。
つまり、ホテルそのものが迷路・・・
4:00 そのヒントはまさにここに
何度か出てくる迷路の図。この2枚の図は同じ。
が、この俯瞰の絵はまったく違う。
4:51 図と撮影された迷路は全く違う。
二人が迷路に入ったシーン。入口を入って左に曲がってあとすぐに右に曲がる。
しかしそんな角は図にはない。
6:00 メイキングに出てきた実際の迷路の設計図
実際に撮影用に作られた迷路は、シーンに出てくる迷路の図とは違ってもっと狭いものが用意された。メイキングにその設計図が出てくる。映画のシーンと当てはめてみると、このカットは設計図に当てはまる。
6:13 どこにもあてはまらない
が、このカットに出てくる迷路はメイキングの設計図には当てはまる場所がない。
7:13 キューブリックは迷路を撮影中に変えていた?
迷路の設計図をスタッフに渡していたが、スタッフは常に迷っていた。ここからは想像の域だが、どうやらキューブリックはスタッフに黙って迷路の設計を途中で変えていた可能性がある。
ギャレット・ブラウンの回想によると、「迷路で迷って『スタンリー!!』と叫んだらあらゆる方向からキューブリックの笑い声が聞こえてくるようだった」。
8:40 巨大なスケール
この映画に出てくるセットや風景は、人間の大きさにくらべてあまりにも巨大。それは、孤独の恐怖を表しているのではないか。
参考にならなさすぎ
なんやねん!このグチャグチャ具合は!
僕が初めてこの映画を見たとき、もう恐怖でひきつってしまってそんなことを考える余裕は全くなかった。その裏にこんなことが起きていたとは、、、
永遠に超えられない壁をまざまざと感じる。演出家とはこうなんだ。「何を表現したいか」の前に、整合性なんて関係ない。いや、むしろ逆に、すべてにおいて整合性があるのではないかと。。。
巨匠と呼ばれる人はまぢでハンパないわ。
ギャレット・ブラウンの凄いカットを見ようと思って検索しているうちに、もうなんか映像作るの辞めようかな、と思うほど打ちひしがれかた。。。ああ、、、いや、自分を比べるのがそもそもの間違い。。。。。orz
するとそういった学校を出た人と仕事をすると素人の僕が演出することにいちいちダメ出しをしてくるんです。
「CMだからそのくらいのことは別にいいじゃん」とかいってごまかすのですが(;一_一)
これを見てまんざら間違いでもないのかな?と、変な自信付いちゃいました(笑)
僕も映像を学んだことないんで手探りで演出してきましたが、正直「気持ちよく」とか「こうつなぐのが常識」「こうとるのがセオリー」とか言われると、すごく残念な気がするのは同じです。
それでは前例と同じになっちゃう。他と差別化ができずに埋没してしまう。
冷蔵庫のドアのシーンなんて、スクリプターさんどころか、現場にいる全員が「前後がつながらない」と思いますよね??
もしかしたら間がカットされてるのかもと思ったけど、そしたら編集のときに編集マンが「これはおかしい」と気づく。。
だけど、キューブリックが「これでいく」と言ってるはずです。
で、見事につながってる、、、すごいです、ほんと。僕にはできない、、、、、、
確かにこの映画に限らず整合性の取れてない映画はありますが
一つに何テイクも撮影している場合芝居の優先ですとか
色んな要素があってつながりよりそちらを選ぶ場合があります。
セットもそうですが位置関係もご都合主義って事で換える事もあります。『父帰る』って映画はそうゆう事と別に謎だらけで進んで行く映画で考えていると置いて行かれる映画です。
監督曰く、答えは見た人の中にある。んだそうです。
深く考えると夜、寝れなくなります。
弟さんにお願いした映画はもう少しで完成です。
それも謎だらけです。。。
こちらではご無沙汰です!
いや、知らないだけで結構あるんでしょうね、こういうこと。このシャイニングはわざと辻褄が合わないようにやってるっぽいのが凄いけど。。
こういう騙し絵的な舞台デザインを発展的にやってオモシロイ映像つくれないかなあ、とネタ帳(なんてないけど)に書いておきます。。
僕の中ではノーラン監督のMementoをパクって作ったVPが一番よくできた本なんだよな~ やっぱ凡人はパクリですねパクリ。
映画楽しみです!見せて下さい~ 長編ですか?
だいぶ前の記事へのコメントで済みません。
3RD EYEさんのウェブサイトを紹介しながら、この2本の批評ビデオを学生達に見せたところ、ディスカッションが盛り上がりました。
その後、改めて映画を見直して気づいたんですが、カメラを固定して然るべき幾つものシークエンスで、画面が微かに揺れているんです。黒人コック長と少年が話しているシーンとか、イマジナリーラインを超える名高い対話シーンとか。画面の四辺を見てると、絶えず僅かにブレているのが分かります。
台詞を発した人物に向けてカメラの首を振りたいのは分かるんですが、二人の対話をじっと写し続ける間は、がっちりとカメラを固定するものではないかと思うんですが・・・。映像のプロの人って、カメラの固定についてどう考えているのでしょうか。1980年当時って、機材開発がそんなに遅れていた時代とも思えないし。意図的な演出かな。本当に謎の多い、魅力的な監督です。
それはそれは楽しそう!
僕は1度見て怖くて二度と見てないのですが、実は、、、そんな微妙な演出もあったのですね?
もしかしたらそれはステディカムで撮られたのかもしれませんね。
ドラマでも「リアル感」「ドキュメント感」を出すときに手持ちで撮ったりしますから、そういうことなのかもしれません。
たぶんそういう安直な考えではなくもしかしたら少し揺れてることで微妙な恐怖感を煽る意図があったのかも、、、
ギャレットブラウンがDVDのコメンタリーをしているそうなのですがなんといってるんでしょうね。。
僕はまだ怖くてもう一度見る気が起きませんが、、、(笑 そういえば、主役のオファーがあったデニーロは、この映画を見て1か月は恐怖で悪夢を見たとかなんとか言ってたそうです(笑
いや、でもこういうことをディスカッションできる学生さんたち幸せですね。うらやましい。。
映画の冒頭の空撮も、一瞬、画面の右隅に空撮ヘリの影が入り込んでしまったり、ディレクターズ・カット版だと、長尺版にあった医者と少年の診療シーンがカットされてるんですが、エンドロールにはDoctorって残っていたり・・・。「意図的」なのか、「緻密さと大ざっぱな要素が混在している」監督なのか、よく分かりません(笑)。が、魅力的です。
これまで3RD EYEさんが書いてきたステディカム関連の記事を、ゼミで参考にさせていただきます!
だんだんともう一度あの映画と対決しなければならない気がしてきました。。。
オープニングの空撮ですが、今ウィキを見ていましたら、なんとアウトテイクが「ブレードランナー」のエンディングで使われていると。。ええ?と。。
いろいろ検索してみたらリドリー・スコットのインタビュー動画が一時アップされていたようですが著作権問題で見られませんでした。ただ、こちらに書き起こしがありました。
http://bit.ly/1D0C2FR
「そういえばキューブリックがシャイニングのオープニングでモンタナの空撮をやってたなと思い出した。キューブリックなら最高の空撮クルーで、大量のフッテージ、1週間分くらいのフッテージを撮ってるに違いないと思ったんだ。」
実際聞いてみたところ大量のフッテージがあったそうで、喜んで貸してくれたとか。凄い逸話ですね。知りませんでした。
そう思うと影が映りこんでるカットを使ったのは本当になぜでしょうね、、
僕のステディカム関連の記事などゴミのようなものですから、、か、勘弁してください(汗 ぜひぜひもっと専門家のモノを。。。orz でもありがとうございます!
http://goo.gl/S3i9ST
インタビュー映像、ちょっと探しましたが、見られそうにないですね。書き起こし記事、面白いです。
以下のサイトでも削除されてましたが、ついでに見つけたのが、フィルムの使い回し関連記事。ハリウッドでは慣行としてよくあることなんですね??
http://goo.gl/LWgy67
『アイランド』(2005)の一場面を、『トランスフォーマー』(2011)で使ってたり、『ゴーストバスターズ』(1984)の変な幽霊探知機械が、ジョン・カーペンター監督の『ゼイリブ』(1988) で使われたり・・・とか、フィルムやプロップのリサイクルで、誰か長大な本が書けそう(笑)。
ご存じかもしれませんが、『ブレードランナー』のアートワーク(1982)が、以下で公開されてます。(ダウンロードが出来なそうで、以前、一枚一枚を画面キャプチャした苦い思い出が・・・)
http://goo.gl/MhMn7l
本当に3RD EYEさんのサイトには、驚くような発見が多いです。
とんだトリビアでした(笑 映画好きには有名な話なんですかね、、、
これは一番最初の米国での劇場公開版ですかね。上記のインタビューでリドリー・スコットは超不満だったようで、だからカットされちゃったんですね。
いやあ、僕のような街角の映像業者ですら、理不尽な直しを言われると腐ってしまうのに、リドリー・スコットともあろう監督がスタジオに直しを指示されるってどんな気持ちだったんだろう?と思います。。。
昔、黒澤明がトラトラトラを降板させられた経緯を描いた本の感想を書いたことありますが、
http://blog.goo.ne.jp/3rdeyestudios/e/b5b5cdbb4d534391ac07489189f49535
大監督であろうとも、降板させられたり、直しを指示されたり、仕事干されたり、普通にあることなのだから、ちゃんと仕事しないといけないと改めて思います。。
最近特に、、、
「使いまわし」のビデオ見ました!あの「あああ~~~」の声のSEが面白いですね~~。。これ、みんな分かって使ってるんですねww スターウォーズの「ああ~~」はなんであんな変な声なんだろうと思ったことありますがそういうオマージュだったんですねーーww
黒澤監督の映画で、見ていて深く共感できるのは『赤ひげ』(1965)までで、以後の作品は、今ひとつ気持ちが動かないんですが、あの暗い『どですかでん』(1970)って、よく考えたら、トラトラトラの失敗後なんですね。なんとなく腑に落ちました。
3RD EYEさんの「トラトラトラ」の記事、さらにさかのぼって「仕事から下ろされたことありますか?」を拝見して、とても暗い気持ちに。似たようなことはありました。
それにまた、撮影直前の、失敗できないあの気持ちって凄いプレッシャーですね。舞台写真だと「使えそうな最初の一枚」が撮れるまでが、しんどいです。単調な演出の舞台だったりすると、なおさら。
ハリウッド映画で「破滅する時の約束事(?)」の「ああ~~」の映像クリップは、学生に見せないことにします。きっとみんなで真似すると思うので・・・。
度重なるコメントでのお目汚し、大変失礼いたしました。
ありがとうございます。そういえばこんなことあったと、めちゃくちゃ思い出しました。。
今もやっぱり頻繁にありますし、最近もっと堪えるのは、ずっと携わっていたプロジェクトに「飽きたから」と別のディレクターに交代させられることです。。
もちろん、エントリに書いたのと同じように、ハリウッドの大監督でも普通に起こることなので、僕のような街角クソ業者なんて当然それは受け入れないといけないことですが、、、
最近、ほんとうにどうやって仕事を獲得しつづけていけばいいのか落ち込んでいるところでして、、Toshiさんのコメントのおかげで初心を忘れるべからずと、思い出すことができました。。。
ありがとうございます!!頑張らねば、、、
「映像の心理操作~シャイニングの空間把握と舞台デザイン」を作った人は一点だけ事実関係を勘違いしているかも知れません。
メイキングに出てきた設計図は別のセットの設計図だと思われます。
私が本やウェブサイト、オーディオ・コメンタリーなどで知った限りでは、『シャイニング』の生け垣迷路のセットは四ヵ所に建てられたそうです。
まず、ホテル外観と一緒に撮影された迷路の外観のセット。これはロンドン郊外のエルスツリースタジオの敷地内に建てられました。
俯瞰で映される迷路は、ロンドン郊外の高層団地の脇に迷路の中心部だけが建てられました。俯瞰映像は団地の屋上からカメラを突き出して撮影したそうです。中心部を含む迷路全体の俯瞰はマットペインティングを使った合成映像だそうです。
俯瞰映像の直前に出てくる迷路のオープン・セットはロンドン郊外の飛行場(跡地?)に建てられました。
そしてラスト・シークエンスに出てくる、雪が積もった夜の迷路内部のセットは前述のエルスツリースタジオの屋内スタジオに建てられました。メイキングに出てくる設計図はこの屋内スタジオの設計図ではないでしょうか。だからウェンディとダニーが歩くセットに当てはまらないのではないでしょうか。
いずれにしてもスタッフが迷路のセットで迷ったエピソードは事実のようです。
またキューブリックは「つながり」をあまり重視しなかったのは事実だと思います。
それはまた貴重な情報ありがとうございます!
4か所に建てたんですか!マジで!?それだけで驚きです。
つまり
1)「ホテル外観と迷路の外観」撮影用のセット
2)俯瞰映像を撮るために高いビルの隣に建てたセット
3)迷路のオープンセット
4)雪用の屋内セット
ということですか。。。。。。すさまじすぎる。。けど考えてみたら、そうならざるを得ないのかも。
だとすると、仰る通り、キューブリックが手に持っていた地図は、4)の地図っぽいですね。見た目スタジオセット内にいるっぽいし。
だけど不思議なのは、なぜ迷路の設計を変えたのか、という点です。つまり、同じ設計で作ったほうが簡単だと思うんですが、、もちろんスタジオ内とオープンセットとでは大きさが違うから設計を変えないといけないというのはあったのかもしれないですが、、、と考えてしまうのがもうなんかセコイ感じがして自己嫌悪してしまう。。。
いやあでもなんかほんと、何もかもが伝説になるような、そんな映画だなあと改めて思います。