〈兵庫県庁内部告発文書問題〉が未だに収まっていないとか?
こんなに引っ張るに値するほどのネタが詰まっていただろうか――実質と取り扱われ方との間の非論理的なギャップに、LGBT問題や新型コロナワクチン問題と同種の疑念を抱かざるを得ませんが・・・
これら複数事象の類似性に着目した論考はほとんど見当たらないようですが、
例外的な論説として、
『LGBT問題 混乱と対立を超えるために』(月刊紙の爆弾2025年2月号増刊)所収(pp.113-118)の
繁内幸治「兵庫県知事選挙とLGBTアライ」があります。
この記事は、孤立し迫害された弱者として斎藤元彦と性的マイノリティを類比的に捉え、判官びいきと差別反対運動を対応させ、斎藤支持の急速な盛り上がりとトランス支援活動の隆盛を対応させて、理性に基づかない世論形成に警鐘を鳴らしています。
ただ、その対応図式は妥当でしょうか? 斎藤支援=トランス支援活動という図式は?
マスコミが総がかりで盛り上げを図ったという意味では、トランス支援活動と似ているのは斎藤支援ではなく、斎藤批判ではないでしょうか。草の根ボトムアップの民意に対抗してエリートトップダウン規範を押し付けようとするオールドメディアを軸に眺めると、どうしても斎藤批判=トランス支援活動という図式の方が正しく見えてきます。
つまり「いわゆる弱者としての性的マイノリティ」と類比的なのは、斎藤元彦ではなく、斎藤側に迫害された犠牲者と見られた元県民局長であり、立花孝志に追い詰められたとされる竹内元県議でしょう。
実際、出直し選挙で反斎藤陣営によって担ぎ出された対立候補・稲村和美がLGBT活動家と密接な関係にあることは、当記事の中でも触れられており(p.117)斎藤支持をトランス支援に対応させる基本図式と辻褄が合わなくなった感があります。LGBT運動と反斎藤運動が似た者同士、というマスコミ的現実を前景化させたうえで議論すべきではなかったでしょうか。
と、そういった批判的意識のもとで兵庫県問題を自由に(政治的にでなく論理的に)論ずる勉強会を開催したいと思っています。
zoomが好都合でしょうかね。
日時は決まり次第ここに告知します。
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