四日坊主の料理と畑とバイク

1979年創立~2020年12月26日閉店 売却

学生時代から 遠方から の 贈り物 続

2022-12-17 18:35:23 | 料理屋の窓

荒川沖駅 真ん前に新ばし鮨屋があった

そこで一年間学校が休みの時にバイトを

おもにバイクや雨のひどい日の車での出前でした

ほかにも何人かバイトがいて出前先でかわいい子がいると

話題になりじゃんけんで勝ったやつが出前下げ集金など

楽しみもあった

当時 忙しいお店で 昼 晩の食事は他店の出前

好きなものをと おかみさんはいう

でも四日坊主は昼 夜共ににぎり

板さんは商売以外で にぎるのは嫌がったが

おかみさんが板さんに頼んでくれて その後は

はんだいいっぱい にぎってくれるようになった

それで好きだったにぎり にぎりを見よう見まねで

家で練習 何とか形になった

その後 仲間が集まるとお金を出しあい ねたを買い

実家でにぎり みんなで食べた

 

四日坊主実家 田んぼの先に友達がいてどなれば顔を出す

そんな距離の友達のお母さんも息子と遊んでくれるからと

彼は横浜から家族と共に転校

豚肉や友達の母が握った にぎりをご馳走になった

おしゃれなお母さんで よくして頂いた

お父さんも四日坊主が店を持ってからタンシチューが好きでまめに見えた

 

中学の時 関西京都修学旅行の注意事項で

刃物 包丁などはお土産で 買わない事と担任先生の指導

それにもかかわらず やなぎ刃包丁を隠れて買ってきた

今思うと幼き頃から包丁を持つ人生 決められていたのかも

友達主に後輩がよく家に泊まった

こんな遠い 遠い思い出が

グリグリのいがぐり いたずらぼうず頭の 悪ガキが

目に浮かぶ

 

前回の松川 カレイ残りは

にぎりに変わった平目といわれたら 疑わずに納得する

そんな旨さの初めての 松川 カレイ

マグロがあったので海苔巻きと

松川カレイえんがわにぎり自己流にぎり歴は長い

骨は唐揚げパリパリサクサクと旨味のあった

唐揚げ

本当に ゴ チに なりました


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