四日坊主の料理と畑とバイク

1979年創立~2020年12月26日閉店 売却

哀愁

2021-01-31 19:47:08 | 四日坊主

お店を建てるにあたって

軽井沢のペンション 

別荘のイメージが強く

山小屋風に

昭和53年暮れ完成

昭和54年3月に店開き

42年間を経て閉店

 

お店のかたずけ中に出てきた

オープン当時の写真

暖炉のある談話室 時代

ホタテガイのボンファン

伊勢海老冷静

サーモンショーフロア

鴨のロースト

平目の冷静マリネ

などなど

当時のレセプション料理

 

和牛フィレ極上肉

当時のフィレ肉 半丸牛から抜きっぱなしの状態で

キロ当たり5500円入荷

きれいに脂肪 筋をナイフで削ぎ落す と

キロ当たり9000円

昔は安かった

沢山売れました

当時 一人前フィレステーキ・・¥7000円

舌平目

当時 ¥2500円

 

昭和54年~

暖炉のある談話室 

フレンチ ファミリー時代

30人前後の宴会予約が多かった

自営同業者 店主が

ソースやタンシチューを

仕入れに来た

メニュープロデュス迄した事も

50万円の金額で料理を請け負い

依頼されたお店で調理

結婚披露パーティーなども

このころは

銀行などでも大きな銀盆皿

オードブル料理の予約も

お得意様の定例会が年に数回

他店と同じ様な事は嫌いな性格で

独創的な料理で走った

お店を終え 現在知人が言葉にする事は

早すぎた 当時料理内容が飛びすぎ

お客様が付いてこられなかった部分が

どうもナイフとフォークは苦手などと

多かった様だ ここ土浦は

当時 まだまだ洋食 調理技術も乏しかったし

洋食店も少なかった

結構 田舎

 

四日坊主を他人店と見る

いきずまった時 何時もこうして自分の店を

見直し乗り越えた

 

自分だったら利用した

四日坊主のようなお店は

あまりない いい意味で

好みの料理を金額が合えば作る

これが本来の料理屋

 

数々の独創料理を発案メニューに

終えてしまった今

本当に楽しかった

平成11年頃

めしや 一里房(いちりぼう)時代

めしや 一里房時代に見えた

松本医院の

看護師実習生 立派な看護師に

なっているんでしょうね

この後四日坊主 平成17年から

2020年12月26日迄

閉店 後継者がいない事

大きなケガが調理に影響があり

同時に四日坊主店舗を譲ってほしい

そんな事もあって

2020年12月26日 廃業

42年間この地に

令和2年フレンチ

シチュー屋 四日坊主は

この店で通算42年間の料理人生の舞台をおりる

やりがいのある いい思い出が残る

貸店舗として賃貸料を沢山稼いでくれた店

 

三度 店の名を変え

実働30年自営 12年賃貸店舗

(お店を貸していた頃は思い出に残る

ゴルフ場のチーフもいい経験と)

再度 再々度と出世魚の様に名前を変え

同じオーナーとは思わない人もいた

でも料理の癖を覚えていて

料理を食べて以前のオーナーときずく人も

ありがたく思っていた

 

低料金の理由

一人仕事 配膳 注文受け 時間がかかる為

料理 注文などを進めていた

来店前にTELなどをもらい

結構 お客様の負担も

 

その為 わざわざ 四日坊主に足を

向けてもらえることが 低料金と・・・


谷田部の棟梁 広瀬氏が請け負った

力作 

オープン当時とは大変な変わりよう

外装は一度も手を入れていない

梁は40センチもある丸太

建て方は伝統の木造 日本建築です

まだまだ存在感のある建物です

当時はハイカラな店だった

令和2年12月26日をもって卒業

閉店 40代の夢のある実業家のてに

譲りました

おそらくあと 50年は

びくともしない建物です

 

 

コメント (1)
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