今日は戸山大学の卒業式である。
本チャンの式自体に一般教員はお呼びも掛からないが、
所属のコースの学位授与には立ち会うのが礼儀である。
大学院と学部と、同じ教室で行われた。
久しぶりに副学長のT先生にお目にかかった。
入院されたということだったが、
すっかりご本復の様子だった。
また入院したい、と仰っていた。
骨休めになったんだろう。
次の学長に、ぜひなっていただきたい先生である。
学位授与の後、学部卒業生諸君と記念撮影。
その後、もう一つの学部のレセプションを覗く。
グラミネという卒業記念誌に載せる
特集インタビューを受けたが、
その記念誌をもらってくる。
なかなかよくまとめられていた。
16:00から構内で謝恩会。
この謝恩会は私が学部を卒業した1979年に復活され、
それ以来、形を変えながら連綿と続いている。
1979年の謝恩会は銀座のホテルでやった。
私も幹事の一人だったが、
Kか私かどちらかが代表挨拶をせよということになって、
容姿の優れているKが挨拶し
私は裏方で会計の責任者を勤めた。
その年、大学院に進んだのはKと私の二人だけで、
今はKも同じ大学の教授になっている。
近年は参加者が少ないが、
卒業生と教員が名残をおしむ機会である。
1979年の会費は8000円だったが
今年は3500円とのこと。
デリバリーを頼み、
簡素ながら心のこもった集いである。
料理・飲み物ずいぶん余ってしまった。
余った料理は折につめて卒業生が持って帰るのも面白い。
花束を頂戴した。
謝恩会の合間に、研究室に挨拶にきた
大学院の修了のOさんとお話しする。
来年度から助手になるK君なども呼んで、
まずはロゼ・ワインを開けて祝杯をあげる。
謝恩会が終わった後、
U教授の研究室で、K教授と3人で少し飲む。
3人はいずれも助手経験者だが、
わがコースの行末について
いささか深刻な意見交換を行った。
ぼんやりしてはいられない状況が起こりつつあるのだ。
戴いた花束と、
K君にもらった中国茶も持って帰宅する。
K君はまた中国奥地へ行ってきたらしい。
行動的な人である。
本チャンの式自体に一般教員はお呼びも掛からないが、
所属のコースの学位授与には立ち会うのが礼儀である。
大学院と学部と、同じ教室で行われた。
久しぶりに副学長のT先生にお目にかかった。
入院されたということだったが、
すっかりご本復の様子だった。
また入院したい、と仰っていた。
骨休めになったんだろう。
次の学長に、ぜひなっていただきたい先生である。
学位授与の後、学部卒業生諸君と記念撮影。
その後、もう一つの学部のレセプションを覗く。
グラミネという卒業記念誌に載せる
特集インタビューを受けたが、
その記念誌をもらってくる。
なかなかよくまとめられていた。
16:00から構内で謝恩会。
この謝恩会は私が学部を卒業した1979年に復活され、
それ以来、形を変えながら連綿と続いている。
1979年の謝恩会は銀座のホテルでやった。
私も幹事の一人だったが、
Kか私かどちらかが代表挨拶をせよということになって、
容姿の優れているKが挨拶し
私は裏方で会計の責任者を勤めた。
その年、大学院に進んだのはKと私の二人だけで、
今はKも同じ大学の教授になっている。
近年は参加者が少ないが、
卒業生と教員が名残をおしむ機会である。
1979年の会費は8000円だったが
今年は3500円とのこと。
デリバリーを頼み、
簡素ながら心のこもった集いである。
料理・飲み物ずいぶん余ってしまった。
余った料理は折につめて卒業生が持って帰るのも面白い。
花束を頂戴した。
謝恩会の合間に、研究室に挨拶にきた
大学院の修了のOさんとお話しする。
来年度から助手になるK君なども呼んで、
まずはロゼ・ワインを開けて祝杯をあげる。
謝恩会が終わった後、
U教授の研究室で、K教授と3人で少し飲む。
3人はいずれも助手経験者だが、
わがコースの行末について
いささか深刻な意見交換を行った。
ぼんやりしてはいられない状況が起こりつつあるのだ。
戴いた花束と、
K君にもらった中国茶も持って帰宅する。
K君はまた中国奥地へ行ってきたらしい。
行動的な人である。