戸山の日々

東京の大学に勤務する教授の日常を綴る
  うつりゆくよしなしごとを書きつくる
       ブログの文の狂ほしきかな

鎌倉掃苔記

2006-11-26 | Weblog
学生・院生諸君数名と連れ立って、
鎌倉へ掃苔遠足に出かけた。

10:00に駅前に集合。
寿福寺の源実朝・北条政子の墓を見て、
英勝寺の先の伝阿仏尼の墓を訪ね、
線路をくぐって浄光明寺の冷泉為相墓へ行く。

為相の墓は本殿の裏山の頂にあり、
玉垣や手水は宮部義正が整備したものだ。

昼食は鶴岡八幡宮前の蕎麦屋でとる。
ビールを飲んでいると
M大学のT先生がみえた。

その後、いくつかの寺社を巡る。
紅葉にはいささは早かった。

夕方、横浜に移動。
中華街で台湾料理の至極家庭的な店に入る。
奥の座敷に上がったが、普通の住宅みたいな所で、
そのうち店の家族も横で夕食をとりはじめた。
こういう雰囲気も結構である。

家の前まで戻ってきたら
雨が降り始めた。
天気がどうにかもって幸いであった。

日本大学で特別講義

2006-11-24 | Weblog
日本大学の大学院で特別講義を頼まれた。
13:00から16:10まで、10分の休憩を挟んで
2コマの授業を行った。

本年度の特別講義は2人目で、
10月にやったのは私と同じ大学・別学部所属のKさん、
Kさんは日大教授K氏のお連れ合いである。
また私の指導教授は、日大教授F氏の父君なのだ。
なんだかすごく狭い係累関係の中で、
講師を依頼しているように見えるが、
今年はたまたまなのだそうである。

そもそも日大には、私の専門とする研究分野においては、
全国でも有数の専門家が揃っている。
何も研究方法や専門分野も同じような
私を呼ぶこともないじゃないかと思うが、
そこはそれ、
ご注文通りにワークショップ風の授業を行った。

さすがに鋭い質問や、意見なども出て、
私も大いに勉強になった。
気分よく帰宅する。

夕刊を開くと、
週刊プレーボーイ編集長Y氏のインタビューが、
大きな写真入りで記事になっていた。
Y氏、ずいぶん太ったなと思う。
彼は学生時代のサークル(研究会といったほうが正確)の後輩で、
一緒に中国旅行に行ったことがある。
Y氏の世代はツワモノ揃いだった。
集英社に入社以来、プレーボーイ一筋のはず。
彼もその道を極めた人というべきであろう。

夕食に岡山から送られてきた牡蠣を賞味する。
ちょっとお世話をしたことに対するお礼だが、
貝類は好物なので、ありがたく頂戴する。
小ぶりであるが、とても美味しい。
白ワインがあっというまに空いてしまった。

春風亭朝之助さん

2006-11-20 | Weblog
月曜は例によって2限、4限、7限と
とびとびの授業である。
これはこれで、間際に配布資料が作れたりして
ありがたい。

☆☆☆☆☆

午前中別キャンパスでの授業を終えて、
昼食をとり、文学部の教員控室に入ると、
春風亭朝之助さんがいらっしゃった。
荊妻が非常勤で担当している講義に、
今日はゲストとしてお呼びしたのだ。
私の研究室を着替え部屋にして、
着物姿に変身。

朝之助さんは2007年3月の下席から
真打ちに昇進するそうだ。
6代目春風亭柳朝を襲名する。

その準備で大変らしい。
引出物の扇を大量注文した話などをうかがう。
襲名披露にはぜひとも駆けつけることにしよう。

☆☆☆☆☆

文学部での講義では、
12月に開かれる講演を紹介する。
中野三敏先生や岩佐美代子先生の講演が
行われることになっている。

学生時代、講演を聴くことは楽しみだった。
大岡昇平、吉本隆明、
田村隆一、大岡信、入沢康夫、
西郷信綱、澤地久枝…
印象に残っている講演者の数々。
大学生の間に、手当たり次第に講演を聴いて欲しい。

☆☆☆☆☆

今週の朝日新聞のasahi.comに、
履修不足問題に関するオピニオンを書いた。
というと私の正体がバレてしまうのだが、
ご関心ある方は、検索してお読みいただけると幸いである。

慰労会

2006-11-18 | Weblog
学会の例会が赤羽の短大で開かれた。
最初の研究発表の司会を引き受けていたので、
早めに会場へ赴く。

赤羽駅を出て、坂をのぼっていくと、
前を東大名誉教授のK先生が歩いていらっしゃる。
私が評伝を書かされて東大の連中に吊るし仕上げをくった
そのご当人である。
変なことを書きましてと挨拶すると、
まだ読んでないとおっしゃる(ウソだろう?)。
お正月にでもゆっくり読むよとのたまった。

研究発表は3本とも、
膨大な調査データに基いたものだった。
しかしどこかしらに問題があって、
会場からは厳しい質問が飛んだ。

終了後、委員会に出席。
常任委員に選出される。
各種委員会の一つの委員長にならないかと声がかかったが、
唾を付けられているからとお断りする。

委員会が終わって、皆は居酒屋に向かったが、
資料館教授のTさん、F大学教授のTさん、
それに戸山大学非常勤講師のWさんと私で
御徒町に向かった。
K大学教授のSさんが合流し、
湯島の洋食屋で慰労会を開く。

Sさんは10月まで学会の事務局を勤めていた。
また私も9月にめでたく散位とあいなった。
そこで、Sさんと私の慰労会をしようという話になったのだ。
ボージョレ・ヌーボーを2本空け、
さらに個性的な赤ワインを1本空ける。
洋食のコースも美味しかった。
F大のTさんは学界裏事情に詳しく、
いろいろ面白い話を聞いた。
その内容は、はばかりがあって、
とてもここには書けない。

ちなみに私以外は皆女性研究者である。
仕上げにもう1軒、
サワーのようなものを1杯ずつ飲んで散会する。

定期健康診断

2006-11-17 | Weblog
荊妻と東京古典会の入札下見会に行く。
会場の古書会館には、
慶應のS氏や日大のT先生など、
顔なじみがいっぱい。
今年はあまりピンとくる出物はなかったが、
「絵合カルタ」というのが気になった。
花札の原型みたいなもので、
200枚揃いだから相当高くなるだろう。

午後、定期健康診断を受ける。
毎年受ける義務があるのだが、
実は5年ほどサボっていた。
神妙に検診に臨む。
直腸の触診などは、ちょっと恥ずかしい。

神楽坂の「うつわや釉」で漆器の個展を観る。
作者の方と少しお話しする。
すてきな作品が多いが、ちょっと手が出ない。
つまみのチーズを買って帰る。

最寄り駅からの帰途、
魚屋の店頭に岡山産の赤貝が売られているのを
目敏く発見。400円也を購入する。
早速乾煎りにして夕食のおかずにする。
明朝は赤貝御飯を炊こうと思う。

ぱたぱた

2006-11-15 | Weblog
明日が締め切りのasahi.comの原稿を書き上げ、
担当者に送る。

午後は12月初めに研究発表をする院生の指導と、
卒論指導をこなし、引き続き輪読会で分担の発表を行った。

この間、私が指導指導教員となって提出された
課程博士請求論文の目次について、
学位委員会において修正意見が出たということで、
事務所とメールのやりとりをする。
結局直さないでよいということで一件落着。
事後法を適用させようという話が無理なのだ。
やれやれ、であるが、気をつかって消耗する。

夜は例の稽古事へ。
来週行われるイベントのリハーサル。
帰りがけにOさんと二人で
麻布十番の蕎麦の有名店に入った。
おかめ蕎麦の鼻がズレていて、ご愛嬌だった。

フェンス破壊事件その後

2006-11-12 | Weblog
書庫兼仕事場(私はリベラリウムと称している)と
隣の建物との境界フェンス破壊事件については、
その後、反対隣のお蕎麦屋さんの女将さんに
その建物を管理している不動産屋を教えてもらい、
連絡をとったが、埒があかない。

不動産屋のおじさんは明らかに迷惑そうな応対で、
そのフェンスの所有権は建物の持ち主にないのでは
とのたまうのだ。
そんなこと言ったって、建物の周囲は
同じフェンスが巡らされているじゃありませんか
と言っても、
その建物を建てる前の、地主が設置したんじゃないか
とのたまうのである。

建物の所有者の連絡先を聞いたが、
会社なので月曜にならないと連絡はとれまいという。
事実、電話したが、誰も出ない。

荊妻は学会で岡山に行ってしまったし、
私も土曜日は一日出づっぱりであった。
月曜まで現状は手をつけないでおくしかないか。

事件発生!?

2006-11-11 | Weblog
自宅から2ブロック先に書庫兼仕事部屋の建物をもっている。
早朝4時にそこへ向かうと、
なんと隣の集合住宅との境のフェンスが
何者かによって破壊されている!?

なにしろ朝の4時だから、隣の住人を起こすわけにもいかない。
駅前の交番に相談に行くが、誰もいないし鍵がかかっている。
仕方がないので110番通報する。
ほどなくパトカーが2台やってきた。

警官が4~5人が検分し、
届を出したいなら交番に出してくれという。
このフェンスは隣の大家が設置したものなので、
私にどうこうする権限はない。
その大家も私はよく知らない。

明るくなったら反対側の隣の蕎麦屋のおかみさんに聞いて、
連絡するしかないようだ。
どうも酔っ払いが入り込んで破壊したような気がする。
集合住宅の1階はカラオケスナックなので、
ずいぶん遅くまで営業していたはず。
深夜の出来事だったのだろう。
でも、ずいぶん大きな音がしたろうに。

警官は私の名前も連絡先も聞かずに去って行った。
とるに足らないことだったのだろう、きっと。

東大で研究会

2006-11-04 | Weblog
古記録の研究会に参加するために、
東京大学史料編纂所へ向かう。
昼食は萬盛庵の二色蕎麦をたぐる。

教務の仕事やら何やらで
半年以上参加できなかったが、
9月にめでたく「散位」となったので、
久しぶりに顔を出すことができた。

古記録に詳細な注釈をつけているが、
勉強になることが多い。

終了後、近くの居酒屋で飲む。
G先生を中心に、同世代の研究者たちと歓談数刻。
なかにオレオレ詐欺に遭った人がいて、
ひとしきり話題になる。
教授がひっかかったというので、
朝日新聞に載ったのだそうだ。
詐欺の手口も巧妙になったものだが、
いろいろなめぐり合わせで、何が起こるかわからない。

模擬講義

2006-11-03 | Weblog
11月1日~3日は高校での模擬講義のため
2泊の出張に出かけた。

11月1日、新幹線で名古屋へ。
東京駅のホームで大学のT理事に偶然出会う。
やはり名古屋で講演なんだとか。お忙しいことだ。

名古屋に着いて、近鉄に乗り換え富田に到着。
駅前から宅急便を送る。
高校の教科書関係の校閲を移動の車中で終え、
返送したのである。

四日市高校は近鉄富田の駅のすぐ近くで、
喫茶店で遅い昼食をとってから学校へ向かう。

10人ちかくの大学教員が来ていた。
いろいろな大学からいろいろな専門の教員を呼び、
生徒に関心のある授業を受けさせるという趣向である。

今回は対象が1年生ということで、
できるだけやさしく話す。
PCとプロジェクターを持参、
スクリーンと延長コードをお借りして、
pptを駆使した授業である。
画像や動画、音声もふんだんに盛り込んだ。
(新幹線の中で最終的な編集を行った)
質問もたくさん出た。
文学部ということで、女子生徒さんが多かった。

予定よりずいぶん早く名古屋に戻れたので、
当初のスケジュールを変えることにする。
切符を変更し、岡山で1泊することもキャンセル。
一気に松江に移動した。
(これで宿泊手当は支給されないことになるなあ)

2日は松江東高校での模擬授業。
実家から自家用車で高校へ向かう。
こちらも9名ほどの教員が来ている。
校長先生から履修不足問題の弁明を延々と聞かされる。
理系のクラスの生徒に地歴の履修不足が生じたが
卒業までには補習して遺漏なきを期すんだそうである。

授業内容は四日市高校とまったく同じ。
スクリーンは教室備え付けだったので、
延長コードを借り、電子紙芝居を行う。
授業を60分ほど行い、小休止の後、
大学・学部の説明を30分やった。
とくに高校側からの要望があったので、
大学の営業にこれつとめた次第である。

しかし、地方の県立高校は国公立志向が強いので、
私立は歯牙にもかけられないというのが実情なのだが…

松江にもう1泊して、老母孝行をする。
老母は血圧が低く、調子が悪いようだ。
気力が減退しているように見受けられる。

河井寛次郎のぐい呑みで晩酌をしていたら、
それを持って帰ってもいいと言い出した。
このぐい飲みは、
母が河井寛次郎氏から直接いただいたものである。
もう本格的なお茶事もできないから、と言う。
気が弱くなっているなあと悲しくなるが、
ありがたく頂戴した。

3日、昼食に蕎麦を食べに行く。
石橋町の「きがる」に入る。
ここの蕎麦は、いかにも出雲蕎麦然としていて好もしい。
店に入ると、田原神社の故藤脇久稔宮司の奥様と
三男さんがいらっしゃった。

故藤脇先生は詩人であり、
私の高校時代の部活動の部長先生だった。
入沢康夫氏とも親交があり、
「わが出雲、わが鎮魂」の詩の中にも、
田原神社(奥谷町の春日神社)は登場する。

カラコロ工房のギャラリー椿谷に顔を出す。
女主人の内田さんは遠縁に当たる人だ。
お土産を渡して店内を物色。いい俵茶碗がある。

金津滋の作品が多い。額装された龍蛇の型絵染が気に入った。
出雲の神在月神事にかかわる神様である。
美術品を買うようになったらおしまいだなと思いながら、
銀行振り込みにするからと購入を決定する。

教科書の印税が入ったと荊妻から連絡があった。
ほとんど取り上げられるが、
金津滋の1枚くらいは、ご褒美であろう。
仕事部屋に掛けて、いつも「わが出雲」を想っていたい。

出雲空港から、夕方の飛行機で上京する。
荊妻はお能の会に出かけ、娘は学園祭の最終日でいない。
姑と二人で松江の「天ぷら」(はんぺん)をおかずに
夕食をとる。