今月はレッスンの合間に「うれしいひなまつり」を歌っていますが
「うれしいひなまつり」の歌って うれしいはずなのに、どうして悲しい感じに聴こえるの??
そんなこと思ったことはありませんか?
これは音階にひみつがあるのです。
「かごめ」「とおりゃんせ」「さくら」・・etc.
昔ながらの日本の曲って皆、楽しいはずなのにどことなく切ない感じに聴こえますよね。
普段私達がピアノや学校で習っている音楽って、
ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド が音の階段で“音階”っていうんだよ~なんて習っておりますが、世界の音楽にはたくさんの音階があります。
日本の音階は「和音階」って言って、大きく分けて「陽音階」と「陰音階」があります。
陽音階・・レ・ミ・ソ・ラ・ド・レ
ファとシがないので通称“よな(4・7)ぬき音階”といわれています。
「かごめかごめ」「そうらん節」「竹田の子守唄」
演歌では 「北国の春」「夢追い酒」
J‐popでは 「夏祭り」「昴」 などがあります。
またスコットランド民謡もよなぬき音階が多く、「蛍の光」や「故郷の空」が有名ですね。
陰音階・・ミ・ファ・ラ・シ・レ・ミ→ミ・ド・シ・ラ・ファ・ミ
興味のある人はちょっと弾いてみてね!
往きはミファラシレミ 帰りはミドシラファミ ってね
なんとなく昔懐かしい、心地良い感じがしませんか?
「さくらさくら」「とおりゃんせ」「五木の子守唄」そして「うれしいひなまつり」
日本の音階にはその他 沖縄音楽の「琉球音階」、雅楽などの「律音階」があります。
西洋音楽に慣れきってしまった私達には、日本音楽はどうも暗く感じてしまいますが、
本来の日本人の感覚は 短調=暗い 長調=明るい ではな く陰音階(短調)=都風の、華やかな という感覚の方がピッタリくるのです。
四季の織り成す自然豊かな日本であるからこそ、短調は暗くて、長調は明るい・・そんな単純ではなく元気で明るい曲の中にも、愁いを秘めた感性が日本人に育ってきたのでしょう。
だから、日本人として誇りを持って、日本の音楽をもっと大切にしたいそしてさらに幅広く世界の音楽も子供達と一緒に勉強していきたいな と思います。
さてさて、レッスンでは子供達にこの「和音階」の話をしますと、
皆、実際に弾きたがり、実に興味深気に何度も弾いていました。そして「ひなまつり」の曲を4番まで朗々と歌ってくれました。
私も含め、洋楽に洗脳されている私達ですが、まだまだ日本人としての血が確かに生きていると心強く感じました
「うれしいひなまつり」の歌って うれしいはずなのに、どうして悲しい感じに聴こえるの??
そんなこと思ったことはありませんか?
これは音階にひみつがあるのです。
「かごめ」「とおりゃんせ」「さくら」・・etc.
昔ながらの日本の曲って皆、楽しいはずなのにどことなく切ない感じに聴こえますよね。
普段私達がピアノや学校で習っている音楽って、
ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド が音の階段で“音階”っていうんだよ~なんて習っておりますが、世界の音楽にはたくさんの音階があります。
日本の音階は「和音階」って言って、大きく分けて「陽音階」と「陰音階」があります。
陽音階・・レ・ミ・ソ・ラ・ド・レ
ファとシがないので通称“よな(4・7)ぬき音階”といわれています。
「かごめかごめ」「そうらん節」「竹田の子守唄」
演歌では 「北国の春」「夢追い酒」
J‐popでは 「夏祭り」「昴」 などがあります。
またスコットランド民謡もよなぬき音階が多く、「蛍の光」や「故郷の空」が有名ですね。
陰音階・・ミ・ファ・ラ・シ・レ・ミ→ミ・ド・シ・ラ・ファ・ミ
興味のある人はちょっと弾いてみてね!
往きはミファラシレミ 帰りはミドシラファミ ってね
なんとなく昔懐かしい、心地良い感じがしませんか?
「さくらさくら」「とおりゃんせ」「五木の子守唄」そして「うれしいひなまつり」
日本の音階にはその他 沖縄音楽の「琉球音階」、雅楽などの「律音階」があります。
西洋音楽に慣れきってしまった私達には、日本音楽はどうも暗く感じてしまいますが、
本来の日本人の感覚は 短調=暗い 長調=明るい ではな く陰音階(短調)=都風の、華やかな という感覚の方がピッタリくるのです。
四季の織り成す自然豊かな日本であるからこそ、短調は暗くて、長調は明るい・・そんな単純ではなく元気で明るい曲の中にも、愁いを秘めた感性が日本人に育ってきたのでしょう。
だから、日本人として誇りを持って、日本の音楽をもっと大切にしたいそしてさらに幅広く世界の音楽も子供達と一緒に勉強していきたいな と思います。
さてさて、レッスンでは子供達にこの「和音階」の話をしますと、
皆、実際に弾きたがり、実に興味深気に何度も弾いていました。そして「ひなまつり」の曲を4番まで朗々と歌ってくれました。
私も含め、洋楽に洗脳されている私達ですが、まだまだ日本人としての血が確かに生きていると心強く感じました