やっと、海辺のカフカ読み終わりました~
結構しんどかった。
独特ワールドに入り過ぎて、プチ鬱気味でした。
今回読んでいて思ったのは、結構意味のある言葉が書いてあって、とてもためになった。
思わず、付箋をたくさん付けてしもうた
とりあえず、書き出してみる。
友人から借りた本なので。カッコ内は自分の感想ですわ。
・昔は男と女ではなく、男男と男女と女女で成立してて、二人で1人だった。それをすべて半分に割ってしまい、人はあるべき半身をもとめて、右往左往しながら人生を送っている(人間は二人で1人なんだという事、必ずパートナーとなる人がいるんだなって思った)
・人が何かを強く求めるとき、それはまずやってこない。人が何かを懸命に避けようとするとき、それは自然にやってくる。(やはり何かを求めるという事は、自然にやってくるんだな~って思った。いつも人と付き合う時って、今がタイミングかな?っていう時にやってくるもんね。)
・世界は日々変化している。毎日時間が来ると夜が明ける。でも、そこにあるのは昨日と同じ世界ではない。そこにいるのは昨日の自分ではない。(毎日毎日、日々は変化していて、自分もいつのまにか変わっているんだなって、思う。)
・自分の選択や努力が徒労に終わることを宿命づけられていたとしても、それでもなお自分は確固として自分であり、自分以外なにものではない。君は君として間違いなく前に進んでいる。(自分は後退している時ってなく、やはり前進しているんだな。。っていう事。自分は自分でしかない。変わりに誰かが自分の人生をしたとしても、それは自分ではないんだね)
・人っていうのは生きるために生まれてくるんじゃない。生きれば生きるほど中身を失っていって、ただの空っぽな人間になっていくのかもしれない。生きれば生きるほど、空っぽで無価値な人間になっていくのかもしれない。(空っぽになっている自分に嫌気がさしてきている、この頃。。。無価値な人間なのかな自分はさ。って思う事がある)
・僕らがみな滅び、失われていくのは、世界の仕組みそのものが滅びと喪失の上に成り立っているからだ。僕らの存在はその原理の影絵のようなものに過ぎない。風は吹く。荒れ狂う強い風があり、心地よいそよ風がある。そのすべての風はいつか失われて消えていく。風は物体ではない。それは空気の総称にしか過ぎない。(風も所詮は、空気の一部で、自分というものも実は実態がないものかもしれん。実態がある物って、一体なんなんだろうね?本当に考えさせられる)
・迷宮のかたちの基本は腸なんだ。つまり迷宮というものの原理は君自身の内側にある。そしてそれは君の内側の迷宮性と呼応している。(腸が迷宮か、自分の内側に迷宮はあるんだっていわれると、自分自体が何か大きいものに感じられる。得体のしれない、何かに。。。)
・何かを経験し、それによって僕らの中で何かが起こります。化学作用のようなものです。そしてそのあと僕らは自分自身を点検し、そこにあるすべての目盛りが一段落上がっている事を知ります。自分の世界がひとまわり広がっていることに。(何かを経験する事で、自分自身が一回り大きくなっているというのは本当にいいことだと思う。それって本当に成長したって言うことだし、そうやって人間は大きくなっていくんだよね)
・森の中にいるもっとも危険な生きものは、おそらくこの僕自身じゃないかという気がする。僕は結局のところそんな僕自身の影におびえているだけなんじゃないか?(森を自分自身ととらえ、それが一番怖い存在だと考える。ほはかりしれない自分が一番怖い。私も短気な面があって、怒る自分が一番怖いと思ってしまう。自分を抑えきれない時が一番怖い時だって)
・自分の中にある恐怖と怒りを乗り越えていき、そこに明るい光を入れ、君の心の冷えた部分を溶かしていくことだ。それが本当にタフになるということなんだ。(怖い事や怒りを乗り越え、自分は本当にタフになるんだよね。タフになるって本当に大変な事)
・無防備になることで、僕は硬い殻を捨てた生身の人間の僕として、ひとりで迷宮の中心に向かっている。そしてそこにある空白に身を任せようとしている。(自分が一番かたくなに自分を通す時よりも、自然に任せてしまった時の方が、本当は一番いい方に流れていくんじゃないかな?って思うときもあるなっ)
・森は結局のところ、僕自身の一部なんじゃないか。自分の内側を旅しているのだ。血液が血管をたどって旅をするのと同じように、僕がこうして目にしているのは僕自身の内側であり、威嚇のように見えるのは、僕の心の中にある恐怖のこだまなんだ。(森というかそういう何かの奥深くに入っていくというのは、自分自身との戦いなんじゃないかと思う。一番怖いのは自然と闘う事なんだって聞いた事があります。それこそ、自分の精神との戦い。負けたら終わりだと思う)
・死者とともにひとつの部屋にいると、ほかの音が少しずつ消えていることに気が付く。まわりの現実の音が、次第に現実性を失っていく。意味のある音は、やがて沈黙だけになる。その沈黙が海底に積もる泥のように、だんだん深くなっていく。足元に積もり、胸まで積もる。青年はそこに留まって、沈黙の深さを目で測っていた。(死んだ人と一緒にいると、その空気がとても澄んだり、重くなったりする。それに過去にさかのぼってしまう感覚がある。その人が生きた分、生きた過去が目に見えない所で、積もっていく。恋人と別れるのと一緒だよね~)
・道を見失わないこと。道からはずれないこと。それがなによりも重要だ。(今の自分の道から自分を見失わない事が、本当に大切だなってジンと今の自分と重ね、考えた。はずれちゃいけないね!)
という感じです。
羅列するとなんだか訳がわからん。
ちょっと自分風に省略したりしました。なんだか、とてもグチャグチャで読みづらい点がありますので、謝ります
こんなに書き出して。。。大丈夫だろか?
この文章を読んでジンと色々考えてしまいました。
逆に私大丈夫だろか。。。?
って思った。こんな文章で考えるんなんてさ。
いて座さんは哲学者なんだってさ。
まあ。考えてしまうのは癖でもある。。。
春樹ワールドに浸かった日々でした。
結構しんどかった。
独特ワールドに入り過ぎて、プチ鬱気味でした。
今回読んでいて思ったのは、結構意味のある言葉が書いてあって、とてもためになった。
思わず、付箋をたくさん付けてしもうた
とりあえず、書き出してみる。
友人から借りた本なので。カッコ内は自分の感想ですわ。
・昔は男と女ではなく、男男と男女と女女で成立してて、二人で1人だった。それをすべて半分に割ってしまい、人はあるべき半身をもとめて、右往左往しながら人生を送っている(人間は二人で1人なんだという事、必ずパートナーとなる人がいるんだなって思った)
・人が何かを強く求めるとき、それはまずやってこない。人が何かを懸命に避けようとするとき、それは自然にやってくる。(やはり何かを求めるという事は、自然にやってくるんだな~って思った。いつも人と付き合う時って、今がタイミングかな?っていう時にやってくるもんね。)
・世界は日々変化している。毎日時間が来ると夜が明ける。でも、そこにあるのは昨日と同じ世界ではない。そこにいるのは昨日の自分ではない。(毎日毎日、日々は変化していて、自分もいつのまにか変わっているんだなって、思う。)
・自分の選択や努力が徒労に終わることを宿命づけられていたとしても、それでもなお自分は確固として自分であり、自分以外なにものではない。君は君として間違いなく前に進んでいる。(自分は後退している時ってなく、やはり前進しているんだな。。っていう事。自分は自分でしかない。変わりに誰かが自分の人生をしたとしても、それは自分ではないんだね)
・人っていうのは生きるために生まれてくるんじゃない。生きれば生きるほど中身を失っていって、ただの空っぽな人間になっていくのかもしれない。生きれば生きるほど、空っぽで無価値な人間になっていくのかもしれない。(空っぽになっている自分に嫌気がさしてきている、この頃。。。無価値な人間なのかな自分はさ。って思う事がある)
・僕らがみな滅び、失われていくのは、世界の仕組みそのものが滅びと喪失の上に成り立っているからだ。僕らの存在はその原理の影絵のようなものに過ぎない。風は吹く。荒れ狂う強い風があり、心地よいそよ風がある。そのすべての風はいつか失われて消えていく。風は物体ではない。それは空気の総称にしか過ぎない。(風も所詮は、空気の一部で、自分というものも実は実態がないものかもしれん。実態がある物って、一体なんなんだろうね?本当に考えさせられる)
・迷宮のかたちの基本は腸なんだ。つまり迷宮というものの原理は君自身の内側にある。そしてそれは君の内側の迷宮性と呼応している。(腸が迷宮か、自分の内側に迷宮はあるんだっていわれると、自分自体が何か大きいものに感じられる。得体のしれない、何かに。。。)
・何かを経験し、それによって僕らの中で何かが起こります。化学作用のようなものです。そしてそのあと僕らは自分自身を点検し、そこにあるすべての目盛りが一段落上がっている事を知ります。自分の世界がひとまわり広がっていることに。(何かを経験する事で、自分自身が一回り大きくなっているというのは本当にいいことだと思う。それって本当に成長したって言うことだし、そうやって人間は大きくなっていくんだよね)
・森の中にいるもっとも危険な生きものは、おそらくこの僕自身じゃないかという気がする。僕は結局のところそんな僕自身の影におびえているだけなんじゃないか?(森を自分自身ととらえ、それが一番怖い存在だと考える。ほはかりしれない自分が一番怖い。私も短気な面があって、怒る自分が一番怖いと思ってしまう。自分を抑えきれない時が一番怖い時だって)
・自分の中にある恐怖と怒りを乗り越えていき、そこに明るい光を入れ、君の心の冷えた部分を溶かしていくことだ。それが本当にタフになるということなんだ。(怖い事や怒りを乗り越え、自分は本当にタフになるんだよね。タフになるって本当に大変な事)
・無防備になることで、僕は硬い殻を捨てた生身の人間の僕として、ひとりで迷宮の中心に向かっている。そしてそこにある空白に身を任せようとしている。(自分が一番かたくなに自分を通す時よりも、自然に任せてしまった時の方が、本当は一番いい方に流れていくんじゃないかな?って思うときもあるなっ)
・森は結局のところ、僕自身の一部なんじゃないか。自分の内側を旅しているのだ。血液が血管をたどって旅をするのと同じように、僕がこうして目にしているのは僕自身の内側であり、威嚇のように見えるのは、僕の心の中にある恐怖のこだまなんだ。(森というかそういう何かの奥深くに入っていくというのは、自分自身との戦いなんじゃないかと思う。一番怖いのは自然と闘う事なんだって聞いた事があります。それこそ、自分の精神との戦い。負けたら終わりだと思う)
・死者とともにひとつの部屋にいると、ほかの音が少しずつ消えていることに気が付く。まわりの現実の音が、次第に現実性を失っていく。意味のある音は、やがて沈黙だけになる。その沈黙が海底に積もる泥のように、だんだん深くなっていく。足元に積もり、胸まで積もる。青年はそこに留まって、沈黙の深さを目で測っていた。(死んだ人と一緒にいると、その空気がとても澄んだり、重くなったりする。それに過去にさかのぼってしまう感覚がある。その人が生きた分、生きた過去が目に見えない所で、積もっていく。恋人と別れるのと一緒だよね~)
・道を見失わないこと。道からはずれないこと。それがなによりも重要だ。(今の自分の道から自分を見失わない事が、本当に大切だなってジンと今の自分と重ね、考えた。はずれちゃいけないね!)
という感じです。
羅列するとなんだか訳がわからん。
ちょっと自分風に省略したりしました。なんだか、とてもグチャグチャで読みづらい点がありますので、謝ります
こんなに書き出して。。。大丈夫だろか?
この文章を読んでジンと色々考えてしまいました。
逆に私大丈夫だろか。。。?
って思った。こんな文章で考えるんなんてさ。
いて座さんは哲学者なんだってさ。
まあ。考えてしまうのは癖でもある。。。
春樹ワールドに浸かった日々でした。
そうだね、一つ終わってまた始めればきっと何か見えてくるね。
まだ、始めてないうちにウジウジしてるから、いけないんだね。。。
頑張る!私
書いた私でさえも疲れてしまったのに
納得して頂いて、ありがと?なのかな。
色んな意見があるからね。
同じ感覚を持ったなんて、嬉しい気がする