みにくいahiru がーがー独り言

みんな違ってみんないい。

別れと出会いとその後 part2

2011-06-23 23:56:48 | 独り言

前回の続きとなります。

14日はなんとなく一日を過ごし
15日は祖父の告別式だったのですが、

その事を思いつつ、過ごしていると

何回か陣痛のような予兆が。。。
→それは4.5回あった後何もなくなり

その後はいつの間にかウトウトと昼寝をしていました


その後、何も音沙汰なく
夕食を済ました後。。。
だんだん陣痛のような痛みが

その陣痛は
痛みとお腹の張りが交互に来ていて

なんか違和感。。。

12日からのチョロチョロ破水のようなものもあり
15日の夜中12時には病院に電話をして

駆けつける事となりました。

診察台に乗ると
いつもより破水らしきものが多いので

破水とみなし、入院。

その後
約4時間であっという間に
出産となりました。

今回は陣痛が半端なく痛かったです。

前回の11時間の時間と分娩に比べれは
そうではないと思いますが、

短期間に集中してグイグイと
お腹がよじれるような感覚。

今思い出しても、ドキッとします。

後腹(産んだ後のお腹)が痛いと皆に言われていましたが
思ったよりその感覚はありませんでした(個人差なのね)

しいて言えば、生理痛がずっと続く感覚。
それにプラスして腰痛が加わった感じ。。。?
でしょうか

息子はとても元気に生まれてきました。
一人目のときよりも、泣き声が賑やかでした。

皆既月食があった時だったのかな?

生まれた時はちょっと余裕もあり、
表の窓を眺めたり、天井にある酸素ボンベのメーカーを
見たりしていたっけ。

窓には朝日ともとれるような
紫の空に、オレンジの色の
何かが顔を出していました。


産後はとても
楽に過ごせました。

お産をした所は
産んだ人達が

三食食堂にて食事をするので
情報交換やたわいもない話をして

育児のちょっとした休憩や
息抜きが出来ました。

体も思ったより負担が軽く
逆に動いていたいくらいでした。


息子の名は
「陽大郎」 ようたろう と命名しました。

かなり悩んだんですが、
結局旦那さんに決めてもらいました。

産んだ時に朝日が差し込んでいたのと
お腹にいるときにかなり苦労したので
大きくなって欲しいのと

もう一つの名前候補よりも
こっちのが、合う気がしたので

この名となりました。

ようたろーは
一人目はほんわか可愛い癒し系なのに対し
凛々しく男らしいです。

手や足がヒョロっとしていて
指先が長いのは私似かなと思っています。

顔の大きさが。。。
一人目はかなりおおきく四角な感じなのですが
二人目は小顔なベース?顔です。

同じお腹なのに
こんなに違うもんなんだな~と

思いました。


退院(21日)まで順調かと思いきや

直前になって黄疸が酷くなってしまい
ようたろーだけ、延長になってしまいました。

それも明日までのようなので

安心しています。

明日からしばらく実家にて過ごします。


祖父が旅立ち、息子が生まれ
魂のリサイクル?というのでしょうか

出会いと別れは常につきものなのでしょうか

明日、実家へ参ります
祖父はまだ実家にいるんだろうな

やっと元気な赤ちゃんを見せることが出来ます

喜んでくれるかな?


  

長い文章をここまで読んでいただき、
ありがとうございます。


別れと出会いとその後

2011-06-22 11:37:20 | 独り言

昨日、病院を退院しましたahiruです。

先週一週間はバタバタしていたので
その事を書こうと思います。

前の日記にて書いたじいちゃんは
12日に還らぬ人となってしまいました。

12日は私も破水騒ぎを起こしていて
どきどきしていました。

お昼寝をして、トイレに行くと
そんなに尿意をもよおしてないのに

沢山の水が出てきた感覚があったのと、
チョロチョロ水のようなものが出ていたので
病院にタクシーで直行しました

しかし、破水はしておらず
即効帰されました。。。


その後、妹から夕方に電話があり
祖父の訃報が伝えられました。

話によると、ちょっと前まで普通だったそうです。
ゼイゼイと痰が絡みやすくなってはいたんですが

その痰が絡んでしまい
最期にはホロッと泣いていたそうです。

まだ、病気に負けたくなかったんだなぁと
長生きしたかったんだなぁと

そう感じました。

母の話いわく
祖父は叔母の結婚式の時や
悲しいお葬式の時も
一切涙は見せない人だったようです。
その人が泣くというのは、
よっぽど辛かったり、悔しいに違いないなぁと

思うのでした。

その日破水騒動を起こした私は
まだ胎動もあるし、
きっと今日会わないと

出産してしまうと思い、
告別式に会わない覚悟で

その日の夜に実家へ向かいました。

家に帰った祖父は
とても安らかな顔をしていました。

家に帰りたがっていましたから
「お帰りなさい」と
伝えました。

その時は不思議と
家に祖父が帰って来た安心感が皆を包み
皆穏やかに夜を過ごせました。

叔母が
「身内だと不思議と怖いと思わないね」
と言っていましたが、
皆そう感じていたと思います。

次の日になり、
近所の方や身内の方が続々と朝から
家に訪れました。

そのときまで、
祖母はずっと普通でしたが、
改めて、悔しいんだと
色んな方に泣き、伝えていました。

ばあちゃんもずっと吐き出せずに
いたんだなぁと

ちょっと切なくなりました。

一番印象だったのは
納棺のとき、

父が途方にくれたように
傍らで、体育座りをしていました。

その時の父はまるで
子供になったようで
何をどうしていいのか
これからどうしようか
祖父の存在の大きさに

改めて気が付いている様子でした。

あんな父は後にも先にも
ないだろうな。。。と

それを
スタートに父はとても張り切って
喪主を完璧にこなそうと必死でした。


私は
13日の夜に出産も控えているので
今住んでいる所へ帰ってきました


長い文章になってしまったので、
part2に続きを書こうと思います。



じいちゃんへのラブレター

2011-06-10 23:02:17 | 独り言

今日はとっても疲れてしまった一日でしたが、
今日書かないと気持ちが乗らない気がしたので

書こうと思います。


ここにきて急に白血病の祖父の容態が悪くなってしまいました
いつ、そうなってもおかしくはなかったのに

それがこのタイミングというのも
それも運命なのでしょうか


じいちゃんへ

私はどちらかと言えば、とてもじいちゃんっ子だった気がします。
じいちゃんは寡黙でとても真面目な人で

手先は器用なんだけど、言いたい事は言えない不器用な人で
いつもお酒を飲んでは、ちょっと構って欲しいような素振りを見せる人です。
お酒を飲まないとそれを上手に表現出来ないような人なのかな。

お酒には一時期とってもお世話になってしまい
周りのみんなはいかに飲ませないように、四苦八苦
していたにも関わらず、裏の裏をかいては
気が付くと酔っ払っていました(笑)

じいちゃんは、
お祭りが好き、女性が好き、お酒が好き
です。お祭りがあっては太鼓を叩いて、皆と陽気に酒を飲み明かしたり
若い女性がいると(よく入院中)
看護婦さんに見舞いの品を、「これ可愛い~」
とか言われるとあげてしまう

ばあちゃんが大好き
ばあちゃんは何でも自分でやりたがる人で
農業、蕎麦打ち(先生としてやっていました)、裁縫、その他
それを一人でやってしまうので
一緒にやりたい、じいちゃんはいつも
寂しそうでした。そのかわり
入院するといつも二人で仲良くいたけれど

いつも茶化すと
「ばあちゃんが好きだ~」って言ってる

じいちゃんは
面倒見がとてもよくって
いつも何か分からない事があると
必ず教えてくれた
ちょっと駄菓子を食べたい時にも
食べたいって言えば、ばあちゃんには内緒で
おこずかいをくれたっけ

とっても物知りで
バレーボールも大好きで
ジャイアンツファンで

小さい田舎の村だったけど
議員さんもやっていた頃もあって

運動会や色々な行事には
(あの頃、なぜ前にじいちゃんがいるのかわかっていなかった)
来賓席にて
暖かく見守ってくれました

お刺身が大好きで
よく大洗のお魚カーが来ては

こっそり買ってしまい、
まぐろやかつおを食べていました。

自分でも(お魚)さばくのが上手で

何でも出来る、私の理想の男性像
は、じいちゃんのような人ではないかと

今では思っています。

言い出すとキリがないほど
沢山の思い出話が出て来る

笑える話、泣いてしまう話
ちょっと怖い話、優しい気持ちになる話

自分の中でとっても大きな存在の人が
いなくなってしまうかもしれない恐怖

なんとも想像がつかないです。

じいちゃん、大好きだよ

どうか、もう少しだけ
神様、力をかして下さい。
お願いします


今日は会えて良かった。

このまま出産になってしまって
もし万が一会えなかったら、とても後悔していたから

出来れば
元気な赤ちゃんを産んで
その子と
会いに行きたいです。

出来ればじゃなく、
必ず

そうなると思うから

私は出産に向き合わなければ
いけないと思う。