人生は『不足している何かを探す旅路』だと感じたのです。
何かの自己啓発や、人生哲学では無くて、物語創作の肝です。
今日は著名人の講演会に行きました。
手馴れている人は、雑談でも筋が入った構成です。
上手だなと思うのです。
昔に芝居の稽古の足しに、アナウンス術を学んでいたから分ります。
主の技法外ですが、筋道が明確であるのは分ります。
アナウンス技法は訊ねる方で、補助です。
講演者は自己開示をしつつ、個性や主張を売るのが主です。
今風に言えば、プレゼンの一種です。
いったい何を売るのか?
この時に重要なのがドラマ性です。
格言の連発をするのが最悪なのは、要点の見えない話。
昭和の結婚式の祝辞を聞いている人には、理解できるでしょう。
平成の人婚式が増えても同じでした。
新郎新婦の親友から出る言葉も、要領を得ません。
何が言いたいのか不明だからです。
祝福の気持が大まかに伝わるだけマシですね。
でもそれだけ。
先に戻ってドラマ性です。
これは特に重要です。
自分の歩んだ道にドラマがあるのか?
そのドラマを聞かせると、聴衆が耳を立てます。
それと聴衆との共感性ですね。
身近であって遠くない話が含まれているのか?
そう考えて感じながら聞くと、話の面白さを分析してしまう。
自分の作家性が刺激されて、一般の人と違う捉え方をするのです。
ドラマには主人公の不足が必要です。
満たされている状態から奪うか、不足した状態から求めるのか。
そう考えて、タイトルの文字が浮かんだのです。
人生も嘘人生も、ドラマだろうと。
ドラマは変化です。
主人公がどの時点で変化を遂げるのか?
それがクライマックスです。
充たして終わるか、望み叶わずに違う物を手に入れるか?
どの様な主人公と、どんな結果が作品の良否を決めます。
著名人も転換点で、有名人に変身したのですからね。