初老男のノンビリしたブログ

近所や周辺の事柄に対して、書き記して行きます。

地獄の苦しみから得ること

2018年03月17日 21時53分45秒 | 運動、健康、ダイエット

 
外傷を伴なわない病は、他人に辛さを理解して貰えません。
この季節は、杉の花粉症の時期です。
辛さのピークも、桜の開花予想が出た辺りです。
 
昨日は待望の雨は肩透かし。
一粒も降らなかった曇り空。
天気予報では降水確率20%です。
降る期待を持つ方が無茶ですね。
 
湿度も上がらなったから、花粉は朝から飛び放題。
乾燥注意報が出たままで、元気よく舞い跳ぶ花粉粒子。
 
マスクの隙間から、眼球から、耳から、口からと侵入したのです。
例年の数十倍の花粉が一気に飛んだらしい。
今年は花粉の量が少ないと言われていたから、一気に放出されたみたい。
短期集中型ですね。
 
そこへ、夕方間際から強風が吹き荒れました。
今度は隙間を狙っての急襲作戦です。
瞬く間に制圧されて、花粉地獄の開始。
 
朝から鼻水が好き勝手に流れていたのに、夕刻辺りから悪化。
脳天に痺れるほどの刺激が増えたのです。
一分おきに鼻水を拭う始末。
耳は鼻かみ毎に鼓膜が揺れてしまう。
目尻には砂粒錠の花粉団子が形成されます。
辛くて辛くて死にそうでした。
 
本気で自殺を考える手前まで苦しんだのです。
数年振りの苦しみです。
花粉症を悪化させた経験が無いと、理解に苦しい痒みと違和感。
 
拷問の最高技は痒みだそうです。
人間は痛さの限界まで来ると、脳が無痛覚になるとか。
痒みは無痛覚にならない痛みの前端です。
長期継続すると、思考が破綻して発狂するそうです。
そんな苦しみを、久し振りに経験しました。
 
花粉症はアレルギー反応です。
一気に進行すると、アナフィラキーショックで死んでしまうとか。
毎年、日本でも数人が花粉症で亡くなるそうです。
死因が花粉症では、泣くより驚いて笑ってしまうでしょう。
昨晩は苦しみで自死まで考えたのですから、他人事ではないのです。
 
今の処、精神状態が安定しているから死ななかったですね。
これが鬱病にでも罹患していたら、突発的に死んだかも?
そのくらい辛かったです。
 
昨晩は鼻にティッシュを当てて寝ました。
息が止まって死んでもいいやと考えての事でした。
マスクで鼻紙を押さえて、半分失神状態で寝たのです。
 
朝に目が覚めて、マスクは何処へやら?
無意識の自分は、生きる方を選択したようです。
故意の未執で自死を選んだ様なものでした。
それに寝る前は辛過ぎて、意識が朦朧としていたくらい。
何も考えが及ばない状態でした。
 
昔、風にインフルを拗らせた時もそうでした。
もう死んでもいいやと思って、息がし難い状態で口を塞いで寝た事あります。
こうしてブログを書いているので、死ななかったのですね。
 
危険ですが、どうにもならない時は運命と無意識に賭けるのです。
生き延びたら人生を先延ばしして、駄目ならこと切れる。
そんな選択を時々行います。
人生のサイコロ勝負ですね。
 
何時か負けるかも知れません。
今日は循環器の通院日なので、一緒に抗アレルギー薬を貰いました。
目覚めたら不思議と辛さが引けて、通常の花粉症状で落ち着いていました。
 
人生で博打をする事が時おりあります。
神に未来を委ねるのです。
アミニズム的な行為ですが、意外と身体と直接対話できる。
そんな気がしています。
 
身体を構成する40億とも60億とも云われる細胞の数。
細胞レベルで多数決を求める、究極の民主主義だと考えます。
運命の選択を、脳だけに委ねるのは間違いでしょう。
身体の隅々まで話を聞くのなら、寝て無意識に成った時だけです。
 
危険ですが、免疫力の強弱も自細胞の一つです。
アレルギー反応の暴走も、自分の責任なのです。
過剰反応を止めるか死ぬかを問うても良いでしょう。
身体の艱難辛苦は、修行の一つだと考えています。
 
魂レベルの観応が必要なら、臨界点に挑むしかありません。
うまく瞑想の技が身に付けば、そのような行為も無用らしいですね。
本当の自分に答えを聞くには、覚悟が不可欠。
自分探しの旅は、毎日続くのです。