初老男のノンビリしたブログ

近所や周辺の事柄に対して、書き記して行きます。

停滞感

2016年05月30日 18時03分05秒 | コラム、ぼやき

最近のブログは後ろ向きなタイトルが多くてすみません。
心に隙間風が吹いているのでしょう。
理由は分かっているのです。
書いている作品が陰鬱なものばかりだからです。

不思議なものです。
人は陰鬱な作品を読んで、カタルシスを感じて満足するのです。
終わりに、主人公が微かな希望の光を見たりすると、何故か感動するのです。
ならば。最初から希望に満ちた作品を読めばいいでしょう、と思うのです。
ところが登場人物が困らないといけません。

底辺から始まって、上り詰めてから転落。
そして立ち直ってから困難に向かい、見事に挫折する。
挫折を味わい、低迷していると、誰かに助けられる。

そこからもう一度困難に向き合って、願望を達成する。
達成した成果を元に、始めの課題点に立ち返る。
見事に課題や困難を克服して、希望を見出す。

物語として、課題や成果に向き合うところで書き終えて、残りは読者に委ねる。
こんな形が最近の傾向でしょう。
これだと、人気が出れば次回作が書けます。
バリエーションとして、遠い未来に続編を書く切っ掛けにもまります。
現代の特徴として、ハッピーで終わると、子供向け作品と揶揄されたりします。

嫌な気分で読後感を得る作品が好まれています。
世の中が殺伐としているので、自分よりも不幸な人物を求めているのでしょう。
私の方が、この登場人物よりもマシと思いたいのです。
不幸な時代ほど、災害や紛争に心配りをすすものです。
幸福な時代では、不幸な者は愚か者として蔑まれるものです。
子供向けの作品も、発展型のハッピーエンドが好まれます。

そんなことで、書く側は自ぢの反対側を生きなくちゃならない。
脳味噌の中は常に、時代の逆側か底の方にいて、世の中を見つめるのです。
自分で執筆しながら、辛くなって仕方ありません。
物書きの行動は、辛く険しい道を敢えて行く人々のようです。
自分で立って見回して、初めて理解した事実です。

だからでしょう、気持ちが陰鬱のまま上昇する気配がない。
体の調子もずっと良くない。
何となく気重で、体も重くなるばかり。
ストレスが溜まるのですが、理由が見出せずに二重苦なのです。

きっと、執筆を止めてリハビリすれば治るかも?
原因の無い苦しみの世界に向けて、突き進んでいる気がしています。
作品を作り終えて、推敲するのも苦痛です。
脱稿しても解放感が一切ない。
それがゴールでなくて、スタートだからでしょう。

初心者の時は脱稿して、幸福感に包まれました。
投稿しても、一次が越えられずに何度も失望を繰り返していると、辛くなって来ます。
達成感が皆無だからでしょう。
サラリーマン仕事だと、細かい達成感が得られるのですが、芸術系にはそれがない。
いつまでも、先が見えているままです。
蜃気楼や逃げ水を追い掛けているだけです。
永遠に目標を通過することがないのです。
目的に到達できる、気がしません。

これが作家の気分なのかと、素人なのに到達できた気がしています。
これは達観と呼べません。
茫然自失に近い気がしています。

月曜日から愚痴を書いてしまいました。
では、また明日。