TINKERBELL BLOG

茨城県取手市「美容室アトリエティンカーベル」ティンカーベルのスタッフを身近に感じていただければ嬉しいです

「僕の夏休み」龍ケ崎名所一筆書き その2

2021年08月20日 | Weblog
お腹を満たした僕らが向かう次なるポイントは「来迎院(らいごういん)」です。


ここには「多宝塔」と「寝釈迦」が存在します。
どうやら室町時代に建立されたものらしく、国指定の文化財となっています。

南朝の征夷大将軍「春日顕国」以下、戦に敗れた幾多の戦死者の霊魂を冥福供養するために、さらには万民安泰のためにこの塔を建立
したとされています。
建立の時期は疫病が流行して村民が苦しんでいる時代でした。


来迎院のすぐ近くに「馴馬城跡」があります。
先程の来迎院の多宝塔はこの城に深い関係がある場所でしたね。
ここは南北朝時代に南朝方の拠点として少なくとも2度ほど利用されていると文献に記されています。

管理者は個人のものなので、あまり突撃するのは気が引けましたが、一応行ってみます。


どうやらこのあたりがそうらしいです。
奥には民家がありますが、人の気配はありませんでした。

そこには畑があり、城跡の標識などは発見で
きませんでした。

その畑を抜けさせていただくと「歴史民族資料館」の駐車場に出ます。
おそらくここで聞くと分かると思います。
ですが、やはりここも休館していました。

ぽつりぽつりとあめが降ってきました。
資料館の玄関口で雨宿りしようと思いましたが、すぐやみました。


昔、市内の商家で扱われていた煙草や菓子の陳列ケースなどが展示されています。
その奥には農具などを収めておく「まで家」もあります。

写真にはありませんが、井戸の手押しポンプや水車も展示されています。


4号機関車です。
『はて僕はどこでしょう』

茨城県内最古の私鉄として明治33年に開業した「龍崎鉄道(現、関東鉄道竜ヶ崎線)」で運行していたC型タンク蒸気機関車です。
この車両は大正14年に川崎造船所兵庫工場で製造されたもので、昭和40年までの40年間多くの旅客や貨物を運び、走行距離は248,115kmに及びました。
観光開発のため沖縄県久米島に売却され、分解して船で運ばれる直前に歴史的価値を惜しみ買い戻されました。


今日のところはここまでとし、自宅に戻ることにしました。

女房がイチョウの木になる銀杏を見つけました。
『食べたいね〜』
次に栗です。

『これはいい栗だ』
美味しいものにはすぐに反応する身体を持っています。
もうすぐ実りの秋がやってくる···。

1日目
歩行距離 17.5km
歩行時間 4時間40分(食事休憩を除く)
25,540歩

その3へ続きます。



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