日本人としてのアレ。

通りすがりで会ったなら、その出会いを大切にしたい

『豚肉とビヤー』

2007-03-31 | 食事一般
昨日かな?料理を趣味にする。なんて記事を書いたのは
実は、その前から俺はちょくちょく料理をしていたのだった!
流石に全く何も出来ないわけではない、チャーハンとかなら普通に作れる。

中学生の頃、新聞配達のバイトを友達としてて、夜中から始まるから
その前には俺の家に溜まって、俺がチャーハン作ってそれを皆で喰ってからバイトに行くのがハヤリだった時がある。
ワドちゃんのチャーハンは凄くおいしいと評判だった
しかし14 15のクソ餓鬼にチャーハンの味なんか特に解る訳もない、金土の夜に友達の家に溜まって喰うチャーハンなんか格別だろう、隠し味は「自分達の若さ」
そしてその日曜日は下北沢とかオシャレに行っちゃってたからね。

そんなチャーハンの日もあれば、何でも感でもいれてみる的な「デビルチャーハン」って遊びもしたりして。
遊びの罰ゲームで、中学生のノリでやっちゃうから喰えないようなもんなんだよね「デビルチャーハン」は
で結局食えなくて笑う、みたいな。

高校の時に料理した様な覚えもないな、たまにはしてたんだろうけど
友達と住んでた時は全く料理はしてなかったから・・・
料理経験は本当に少ない

今日の一人宴に豚肉を焼いて感動した位だ。
結論は「自分で作ったから旨い」なんだろうけど、自分で作るのはいいね。

生意気に、にんにくを細かく切って一緒に炒めちゃったりした、なんて俺は罪な男なんだろう。
豚肉は俺のマイマザーから冷凍のを強奪してきた、なんて俺は親不孝な男なんだろう。
電子レンジで二度のチン爆発を起こし、油を流し込みにんにくが一足先に業火に曝されている熱々のフライドパンナコッタにブチこむ!
ジュッワー!ギャーーー!!!豚どもの悲鳴が部屋中に響き渡る!
そして塩と胡椒で成仏させ、自分達が喰われるという事の幸せがいかに宇宙的かを説く。
さささっとあまり焼き過ぎない所で皿に安置する。

写真のビールと呑む、安いのに旨いビールだと思う。
自分で作るとなんでこんなに豚肉が旨く感じられるのでしょう??
料理は楽しい、頑張れるかも知れないです!



『日本人としてのアレ。発売決定記念』

2007-03-31 | その他
先日の企画会議で2057年に、当ブログ「日本人としてのアレ。」が単行本化される事が決定した。
ちょっとまだ先の話だが、年間購読料の1000万以上を払う義務がある君たちには一応教えておきたい。
細木先生の記録を塗り替える事になるのは時間の問題となるとは思うが、企画の段階で50年も前から練るとは異例だ。

50年後の日本、想像も絶する程の地獄絵図になっていると思う。
そんな中で忘れてはいけないのが、本来私達が持っているアレである。
日本人としてのアレ。を忘れちゃいけない。
戦後60年でこれだ。
戦後110年経ったらどうなるよ?
横文字が蔓延り、歌の歌詞は全て英語、タカアンドトシの50年後も「欧米か!」で第一線で活躍するだろう。

俺は本当に怖い、50年後の日本はどうなってしまうのでしょう?
皆様、日本人としてのアレ。を忘れないようにしっかりと当テログを読むように・・・。
あなたは誇り高き日本人なのですから。

『ホビズム』

2007-03-30 | 考え事
どうしよう?
もし俺が偉人になった時、人に堂々と言えるような趣味を持ち合わせていない・・・。
まだ狩っていない狸の皮の値段がいくらで売れるか?と考えるのが趣味と言えば趣味だが、他には街中でブーツウォッチング位か・・・
そんなもんでは偉人になった時に恥ずかしい。
とっても「札の顔」にはなれないだろう・・・。(ふだじゃねーぞ。)
これではいかん。
何か人に言える様な趣味がないといけない。

しかし俺には「何かを継続する」と言う力が著しく欠如している。
自分でも信じられない位に何事も続かないのだ。
お金がかかる様な事は金銭的にも無理だし、手間がかかるのも確実に無理だろう。
無論、興味の無い事を無理矢理に趣味にしようとしても絶対に無理だ。
その原因として「興味の無い事には本当に興味が無い」と言う俺の人間性が邪魔するのだろう。

なんでもかんでも見たいし、なんでもかんでも挑戦して自分の見聞を広げたい。
なんて考えは俺の中には1ミクロンでさえ落っこちていない。
なんでもかんでも見て、なんでもかんでも挑戦しないと、自分の見聞を広げられない、なんて只の阿呆だ。
だいたいの感動は想像の中で感じ取れる。

俺は間違いなく社会的かつ外交的な人間ではない。
他人とのコミュニケーションが渦巻く中には100%馴染めない。
趣味のサークルなどに入るのは「死」を意味する。

しかし、それと真逆に「一度ハマると結構頑張る」と言う性質もあるみたいだ。
分かり易過ぎる位にそれしか考えなくなる。
真は一つだからだ。
俺は常に「真のカッコイイ男がする○○」と言う事を基準に考えている。
どういう事かと言うと、音楽にしてもそう、好きなブランドにしてもそう。
真のカッコイイ男は○○を聞く、真のカッコイイ男は○○を着る。と答えは出来るだけ一つに絞る。
なんでもかんでもALL OKって言うのは俺には無理だ。
なんでもかんでもALL OK派の人は俺みたいな奴を狭いと笑うかも知れないが、あなたは自分の円を描けないだけさ。
自分が何者なのかわからないのでしょう。
全てを認める、なんて仏のフリをするんじゃねー。
お前は人間だ、拘れ。
拘れない奴は死んでいる、人間ではないな、人数合わせの哺乳類だ。

とまぁ・・・
それはいいとして、俺の趣味、決定しました!
金もそんなかからず、人との交流もなく、自分の為にもなる、「お料理」だ。
自分で食いたいものは自分で作る。なんてカッコイイのだろうか!

しかも料理出来たらモテそうじゃん?
今まで男は台所には立たない、って言うのがカッコイイって思ってたんだけど、やっぱ歳喰ったからかな?
そんな家庭的な男がカッコよく見えて来た。
チャーシューの一つも作れないで何故偉人になれよう?
偉人=チャーシューは自分で作る。みたいな所あるし、俺も頑張るよ。
まず、都内の有名な料理学校に通うわ、月謝に糸目はつけまへん。

『微笑ましい光景』

2007-03-29 | 俺の怒り
先日、車に乗って信号待ちの状態で俺は直進車線にいた。
右の車は右に曲がろうとしていて、青になった瞬間に飛び出そうとした。
そしてすぐ急ブレーキがかかった。
俺はえ?何何??と思って右をパっと見るか見ないか位で原因は分かった。
二十歳やそこらの糞ガキが歩行者の信号が赤なのにも関わらず、我が物顔で横断している。
「轢けるものなら轢いてみろ!」とでも言いたそうな顔をしていた、一瞬ムカついたが、グっと心にしまう。
こんな糞ガキに納税者の俺がムカついてしまっては世の中間違っているとまた再確認してしまう。
笑顔で見送る。
「うん、そうだね、俺達車が君を轢けば悪くなっちゃうからね。」
その糞ガキはまさに「俺には逆らえないだろう?」的な顔をしていたが、本当に微笑ましい。
あんたはクソ餓鬼、免許はないのかな?
赤信号なのに小走りもせず、歩いて行く。
そんな事が自分を不良と思わせる為の行為なのだ。
笑ってしまうな、本当に巨大な悪人は信号は守る。
そんな事も分からないんじゃ、チンピラになるのも程遠い。

『町田のラーメン:小川』

2007-03-27 | ラーメン
先日、営業先で少し時間が空いたのでメーランをまた喰うことにした。
場所は東京都町田市。
立川近辺に拠点を置く俺としては、「町田=神奈川」みたいなイメージがあり「神奈川=豚骨醤油」と繋がる。
八王子から南下してたどり着いたラーメン屋は全て豚骨醤油で例え味噌ラーメンだとしても豚骨醤油味、そんなイメージで俺は生きている。
案の定、自分の見つけたラーメン屋、小川さんにも濃厚豚骨でかつお出汁、なんて垂れ幕が下りていた。
豚骨にかつおの風味がしちゃうなんて!好奇心は高まっていった。
(勝手に豚骨醤油と思っていたが良く思い出したら「醤油」の文字はなかったかも・・・)

俺は豚骨醤油と言うと家系を想像するので、店内に入って少し焦りを感じた。
何故なら、そのテーブル上で食されているラーメンは正に俺のキライな博多系の豚骨の姿をしていた・・・。
一瞬頭を過ぎった事、「出るか・・・?」
テーブルの上のラーメンを見てすぐさま店を出ようかと思った。
しかし「あ、ごめんなさい、豚骨ラーメンならまたにします」なんて言って出て行ったら、閉店後に従業員一同の笑いものにされてしまう。
だって外にも豚骨って書いてあったからね。

それは避けたい。
そして値段を見ると580円(だったかな?)と600円を切っていたので、「ま、いいか・・・」と我慢して食券を購入。
急がしそうで大変混雑していた、普通に旨いんだろうなと言う事は確認出来たが、なんせ博多系の豚骨はあの細麺からなにからキライだ。
紅生姜が乗ってたらマジで出ようと思った。

が、出てきたラーメンは今まで見た博多系とは違った。
スープを啜ればかつおの旨みがぷ~んとして、豚臭くもない。
むしろ旨い。
麺は確かに細かったけど、ラーメンにしっかりマッチしていた。
海苔も旨し、いつの間にやらスープを飲み干し、鼻水をすすって外に出ていたのだった。
町田恐るべし・・・。

『相談者』

2007-03-24 | 考え事
保阪尚希さんが出家すと言う話題、それを聞くと大概の人は「あんたに相談する様な人はいない」と言う。
確かに離婚経験もあるし、今大流行中のDVだった、なんて話もあがっている。
冷酷な目がとっても印象的で、リアルに人を殺せるんじゃないか?なんてイメージがある人もいる様だ。

小さい頃に両親が自殺、イジメにも合う。
そしたらやっぱり自分の力しか信じれなくなるし、誰にでも愛嬌を振りまける奴になるはずがない。
両親に頼る事無く生きてくれば、「他人に頼る」って言う感覚がまずないのでしょう。
合同作業なんかまず無理な人だと思う。
神仏さえも恐れぬ様な絶対的自信に満ち溢れた瞳、俺はキライじゃないかも知れない。
彼を否定する事は、どこが自分も否定する様な感覚でもある。

基本的に俺は人に生き方を相談したり、思春期にも恋愛相談を誰かにした事なんかなかった。
人になんか聞いたって答えは見つからないからね。
それでも、他人からの優しい言葉を受けたい為に、相談を好む人はいると思う。

その時にどんな人に相談したらよいのでしょうか?
まぁ、一番いいのは両親だな。
一番、あなたの事を考えてくれている。
両親は万事に対する対処方を一瞬にして引き出せる。
それは何故でしょうか?
あなたに起こったその難は以前両親も経験した事なのでしょう。
自分の時の解決法から時代も考慮しつつ算出します。
やはり相談する相手は自分と同じ事を経験し解決してきた人にするのが一番いい。

しかし全ての難を克服してきた最難野郎と言うのは、さほど多いものではないでしょう。
その難、相手の状況を想像した上で最善の解決が出来る人が良き相談相手になる訳ですね。

サラリーマンとして30年頑張って来た人、そんな人に人生相談をするのは以ての外だ。
真面目過ぎる、柔軟性の欠片もない、規律と秩序の中で生きてきた人にあなたの人生を想像するのは安易ではない。
「我慢しろ」これの一点張りでしょう。
自分の今までの人生で分岐点がなかった様な人には本当に他人を理解する事は出来ないでしょう。
主観しか持ち合わせていないのである。
色々転職してる人の方が物事を客観視出来る。
柔軟性に富んだ発想で、あなにはなかった解決法を発見してくれるでしょう。

相談は「今は真面目なんだけど、昔は相当悪かった」奴にするのが一番いい。
東国原知事じゃないけど、更生していく中で人の真価は問われる。
人に傷付けられただけでは、傷付けられた人の気持ちは分からない。
傷付けて更生して行く上で、初めて傷つけられると言うことを真剣に考えれるものだ。

出来ることなら前科者に人生相談するのが手っ取り早い。
なんで間違えたか?が一発検索出来るからだ、更生しようとしてない前科者に相談するのは違うが、しっかり将来を考えれる前科者、それこそ仏の力があるかも知れない。
人間は一度堕ちないと分からない部分がある。
堕ちてもいない人には、人の気持ちはわからないのである。

いきなり保阪尚希さんの話に戻るけど、実は一番救われたいのは本人自身だったりする。
自分と同じ苦しみを味わっている人を救いたい。
慢心かも知れないが、それでいい。
いい奴には自分勝手な博愛精神がつきものなのだ。

『神永』

2007-03-21 | その他
オイラはロン毛、名前はまだ無い。

先週、とある定食家でセルフの水をコップに注いでいると、後ろの方から子供の声で「アレ、女の人かな?」と聞こえた
するとそのお父さんが「そんな訳ないだろ」と言っている。
その時に俺は、子供が俺の事を女の人だと勘違いしたのだとは思わなかったが
後ろを振り向いてみると、興味深深な目で俺の顔を確認しつつ全身を始めて見るような無垢な目で睨み付けていた。
『え?俺?さっきの「アレ、女の人かなぁ?」って俺の事ぉ?!』
そんな訳ないやん!俺一応175cm位あんねんで?濃いーヒゲも生えてるやん!
定食喰ってる時もその子供の目が気になって気になってしょうがなかったよ・・・。

そんでまた違う日にコンビニで並んでいる時も、アホ家族の子供二人、鼻垂れ息子とおかめ娘が俺の事をジっと見ていた。
またこいつらもか!子供にとってロン毛ってそんなに珍しいのかな?
テレビとかでもロン毛の人いっぱいいるのにね。
俺を女と勘違いしたあの小僧にはビックリしたなぁ・・・。

『ドキドキする動機と正義感の正体』

2007-03-19 | 考え事
一ヶ月に一度は殺人事件の話をしているかも知れない。

小学生の頃は、殺人事件の報道をニュースで見れば、驚いたものだった。
とっても怖くて、何が怖いってそれは殺人事件そのもの。
「人が人を殺す」その事が全体的に怖かった。
しかし、月日が経ち殺人事件が日常茶飯事に起きていれば、そんな事は「あ、今日はそっち方面ね」と驚く事もなく平然とニュースを見るようになる。
昔の殺人犯はまさに殺人犯、と言った生い立ち、経済状況の中から、なるべくしてなった殺人犯と言うのが、昔の殺人犯だったように思える。
しかしここ数年では、そんなにツライ生い立ちでもなく、経済状況もさほど悪くない様な、どちらかと言えばエリートタイプの「え?そんな、人を殺したりする様な人ではなかったんですよ、ちゃんと挨拶も出来る方でした・・・」と犯罪には程遠い人間でさえ悪魔が乗り移る瞬間があるらしい。
今はもう、誰でも殺人犯になってしまう状況なのだ、それ位日本全体がピリピリしている。

昔は殺人事件そのものに驚き、ここ数年では殺人犯に驚かされてきた。
そして2007年、今最大に自分が関心を高めているもの、それは殺人の引き金となった「動機」だ・・・。
今は殺した原因が世間を驚かせている時代、本当に怖いです。
先日もありましたね、肩がぶつかったから線路に突き落とす。
ちょっとした日常の中で普通に生活しているだけで、殺されてしまう。

昨日、嫁さんが俺に電話でこんな話をしてきた。

普通に自転車で歩道の中を走っていたらしい、そうすると前には道をふさいで仁王立ちしているオッサンがいて、「どちらに避けたらよろしいですか?」と嫁が話しかけたらしい・・・。
そうするとオッサンは「お前は向こう側を走れ!」と怒鳴りつけられたと言うのだ。
(厳密に言うと歩道って自転車通るのはいけないんだっけ?それでキれたのか?)
省略するけど、そこではもう少し会話して結局違う方に渡ったみたいだ・・・。
これに、俺は激怒した。
激怒したのはそのオッサンに対してではない。
嫁にだ、そんな訳のわからないオッサンに話しかけてまで、そこを通る必要があったのか?と・・・
そのオッサンが切れて殴りかかって来たら、どうするの?って
近くに交番もあったし大丈夫だと思った、なんて言ってたけど、殴られた後じゃ遅い、ましてや殺された後ではもっと遅い。
もしその後、後をつけられて家まで来て、一家惨殺されたらどうするの?

イヤイヤ、そんな事ないよ。
なんて思っている人は来週辺り殺されますよ。
人間はいつ殺されるか?なんて知らない。

嫁はそれを正義感と呼んでいたが、今の時代正義感のある奴から死んで逝き、そして殺される。
ちょっと前に韓国の留学生だっけ?駅のホームに落ちた奴を助けて亡くなった。
正義を貫いた結果、死んでしまったら正義とはなんぞや?
凄いよ、自分の命の保証もない状況に人を助けるという事は、でも世間は驚くほど冷たい。
それはあなたも知っているはず。

自分は電車に乗ることはないが、こんな事はないでしょうか?
女子高生がバカみたいに大声で話している、それは皆が絶対迷惑だ。
そして、正義のオジサンが立ち上がる、「君たち!ここは電車なんだ静かにしなさい!!」と諭したとしよう。
そうすると周りにいたあなたはどうでしょう?
同じく女子高生をうるさいと先程までは感じていたのに、何故かそのオジサンが煙たく、なんかサブい感じに取れるときはありませんか?
「イヤ、俺はそんなにうるさいとは思わなかったなぁ・・・」なんて掌を返す。
女子高生も見て見ぬ振り、オジサンに対しても見て見ぬ振り。

しかし、これが今の世の中では一番正しい生き方だ。
「見て見ぬ振り」これが今の正しい生き方であって、他人との正しい接し方なのである。
悲しい事とは俺だって思うが、そうでもしないとサドンデスなんだよ。

注意したオジサン、次の日にはどっかの公園で転がっているかも知れない。
理由はそう、「注意されてムカついたから」。

昔は他人を見たら泥棒だと思わないといけなかったが、今は「他人を見たら殺人犯だ」と思わないといけない。

皆さんも本当に気をつけて下さい。
正義を奮って殺されてしまっては何の意味もない。
他人なんか注意する必要はないです、神様がちゃんと裁きますから。
その辺は任せておきましょう。
第一あなたが改革出来る事などたかが知れています。
電車の中のうるさい女子高生を注意した所で地球の温暖化は止まらないし、北朝鮮が核を廃棄してくれる訳でもないです。
電車の中でのあなたはマナーがいいかも知れないですが、歩き煙草はしてませんか?
ポイ捨てはしてませんか?ゴミの分別はしっかりしてますか?
人に注意できる位、完璧で24間報道カメラに追われても何一つ否のない人生を送っている人はいるでしょうか?
他人を注意する前に自分の事も注意しましょう。
自分の物差しの範囲での決まりで他人を計っていると本当に殺されます。

正義感とは他人に向けるものではなく、自分自身にぶつけて下さい。
他人に対する正義感とは、まさに偽善以外の何者でもないでしょう。
見て見ぬ振り、これに限る。悲しいこととは思いますけどね。

『立川のラーメン店、「つばさ家」から回想された俺と家系の歩み』

2007-03-18 | ラーメン
また今日もラーメン喰ってしまった・・・。
それと言うのも、昨日喰った立川のZEROがどうもしっくり来なかった為か、リベンジしてしまう結果となった。
これでは、ピンサロをハシゴしてしまったのと同等のお恥しい事かも知れない。

んで、つばさ家は横浜の家系って言われてる豚骨醤油で、味はとっても満足。
リベンジ成功!これで明日はラーメン喰わなくて済むな。
豚骨醤油と言うと、どうもDQNなイメージが抜け切れない所もありますが、上品な一杯でしたよ。
味の好み、麺の硬さなどしっかりと聞いてくれて接客態度もGOOD
自分の家系の店主のイメージでは、無口でキマヅイ奴、これに尽きる。
イメージソースになった方は、八王子の縁家の怪しい店主と、甲州家の怪しい店主。
このお二方はラーメン店主の怪しさ部門ではグンを抜く怪しさだろう。
自分の食べた家系ラーメンは8割がこの二つの店舗だから家系店主のイメージには若干ズレがあるかも知れない・・・
他には「大山家」って言ったかな・・・武蔵境あたりにあった様な・・・。
そことか、都内の・・・名前は忘れたけど、環七沿いにあったかなぁ、確か・・・。

家系の勝手な条件として、「店主が一人で切り盛りする」という事が上げられる。
チェーン店みたいになってる家系あるけど、あんまし良くないかなと思います。

初めて家系ラーメンを食べたのは二十歳位の時で、家具配達のバイト中の出来事だった。
あれは忘れもしない、K君と言うとっても親しくなったバイトの先輩が「旨いラーメンおごるから、ちょっと行こう」って事で、空いた休憩時間を利用して喰いに行った。(それが縁家だった)
今までラーメンと言えば、醤油、塩、味噌、豚骨(白濁系のね)しか食べた事がない少年だった。
ラーメン自体そんなに好きではなかったので、食べ歩いて旨い店を探すなんて事はしなかったし、二十歳の頃にはラーメンでお腹がいっぱいになるとも思っていなかったからね。

しかし、そのスープの味の奥深さにビックリした事はまだ鮮明に覚えている。
麺も太くてとっても好印象だった、やっぱり自分は太麺が好きなのでしょう。
勿論、縁家にほうれん草が乗っていた時代だ、ほうれん草が乗っているのも当時の自分にはとても新鮮に感じられた。
チャーシューも硬いのに何故か旨い、ラーメンに合っている。
海苔をスープに浸してからご飯と食うとこれがまた絶妙のハーモニー。
その後一年位はそこに通った、油多め、味濃いめ、麺硬めと言う、まさにDQNスタイルで食す。

俺の友達にも教えてあげて、皆もハマってしまい。
縁家でラーメンを食う、と言うのが一つの遊びとして定番化していた危ない時期もあった。
肉体労働系低所得者にとって、あの濃いラーメンのスープは疲れた身体を癒す、もはや聖水とも言えた。

そんな俺の一時代を支えた縁家を、つばさ家は超えられたのだろうか?
それは俺にも判断が出来そうにないのだ・・・
つばさ家、確かに只者ではなかった・・・
あんだけ濃そうなスープなのにどこかあっさりとしていた様にも思える。
俺の中の「旨い家系」と言うのは縁家の事でそれが基準となっている。

正直言って最近は縁家はご無沙汰だ、うずらの卵が乗るようになってからは、行ってないんだずら。
だから相当行ってない訳よ・・・。
俺の中で縁家が美化されていたとしたら、つばさ家に軍配が上がる訳だが・・・
でも麺、麺に関しては縁家の方が旨いと思う。

しかしこうも考えられるな。
一人の女性とのセックス、これはやはり一発目が一番印象的で燃える。
文字通り彼女の全てを肌で感じるのだ、一番初めが一番それを感じようとする。
CDでもそうでしょう?やはり一番最初のインスピレーションが肝心。
後から走ったほうがマラソンも楽なのと似てる。

ん~、まだ判定しづらいな・・・今度時間があったら縁家に食いに行かねば・・・
それまで、おあずけ!