折り紙と食べ物の画像を並べるセンスもどうかと思いますけど、ご報告の意味で(大)のあじさいUPしときます。
本では30×30cmの和紙でと折るようにと書かれてありましたが、百均で買った折り紙が26×26cmサイズで紙質も上等ではないものでしたので、豪華とは言いがたいのですが、自分的には折り上げられただけで満足です。
ただ、ここだけの話、実はこのあじさいの折り紙の中にまん丸おにぎりが入ってます。何故って?
折り紙の本には「最後に丸いものに被せて形を整えましょう」なんて書かれてあったんですが、どこを探しても頃合いの丸いものが見当たらない・・。
(う~ん)と考えた末、なけりゃ、作りましょうと大きさを見計らってご飯を丸め、ラップでくるんで芯にしたという訳でございまして、笑っちゃいますでしょう?
さて、お隣は珍しく洋菓子の茶菓子なんですが、「スプーンで食べるプレミアムチョコロールケーキ」、たまには目先が変わっていいかもしれません。
で、今月の源氏なんですが、自分自身のためのおさらいで、この時代の官位について述べてみます。
「須磨」の時点で源氏の幼馴染の頭中将は三位中将に位が上がってます。
頭中将というのは近衛から選ばれた蔵人頭なんですが、蔵人というのは天皇の秘書のような役割を担っているんですね。
俗に殿上人と呼ばれ、宮中に上がることを許されたのが、六位蔵人までで、その上に五位から一位の官位が並びます。
但し五位、四位には正と従、そしてそれぞれに上と下と言う風に振り分けされ、例えば正四位上といった官位がある訳です。頭中将はここに該当するようですね。
三位以上は上下がなくて、正従だけになるんですが、左大臣、右大臣というのは正二位、従二位にあたるようです。
で、須磨に行くのにお付きの家来たちも最小の5、6人という侘しさなんですが、この中に空蝉の夫“伊予介”の息子で“紀伊守”というのがいて彼が六位の蔵人なので、本来、順調に出世したら従五位下の位に昇る所を源氏に近しいということで昇殿停止の処分を受け、不遇の身となってるんですね。
かわいそうなことに、御簡(みふだ)と言って殿上人が出仕した時に、その姓名を記した小札を細長い板に位の順に掛けるようになってたらしいのですが、その札も除き去られ、役も免ぜられたとあります。
でも、その御簡(みふだ)、ちょっと現代のタイムカードを連想しておもしろかったんですけどね。