今、何が楽しみって日経新聞に連載されている浅田次郎の「黒書院の六兵衛」を読むこと。ほんとうに楽しみである。
徳島新聞連載、渡辺淳一の「愛ふたたび」にはがっかりだし、幸田 真音の「天佑なり」は読み進むにつれて読み辛さが増してきて、ほとんど斜め読みである。アレは経済小説になるんだろうか、少なくとも女性には人気薄とみるが・・・。
その点、「黒書院の六兵衛」はおいしい。
時は江戸城明け渡しの交渉のさなか、正体不明の的矢六兵衛という書院番(将軍の警護役のようなものらしい)の何者たるかを探りつつ、無血開城と言われた歴史のターニングポイントを突き進んでゆく。
ここな辺のお話しは今までもどこかで見たり聞いたりして珍しい題材ではないのだが、武家社会の階級制度や城内での行儀作法といった緻密な時代考証を基に、的矢六兵衛のなぞを明かすべく、きっちりと飽きさせない濃い筆運びが続いてゆくのである。
笑ってしまうが、最近、ここに登場する人物たちの古式ゆかしい“ものいい”をつい、頭の中でなぞって真似してしまいそうになるほどである。
そういえば、先日、広島土産をくれた友人もお気に入りで、“蔀を閉てい”=“しとみ を たてい” の「閉てい」に反応して思わずメモしたと言ってましたね。『徳島では「戸を閉っといて」っていうけど、これよ』ですと。
つい先日も“六兵衛の老母が深くも浅くもなくころあいの会釈をした”の後に“これも百姓町人にはありえぬ科(しな)である”という文章を目にしたが、こうした言葉の使い方が物語とあいまって全体の雰囲気を盛り上げてるんだな。
的矢六兵衛なる人物が、作者の生み出した架空の人物なのかどうかは知らないが、その筆致の解き明かすまま、どこまでも追いかけて正体を見極めたいと胸躍らせてしまうのである。
余談だが、本日の日経の“春秋”に“獺祭=だっさい”のことが書かれている。
依然末っ子が土産に買って帰った酒の銘柄で、ここでもちょっと触れたが、この語源が
かわうそには捕まえた魚を食べる前に並べておく習性があって、これが祭りのお供えのように見えることから、というふうなことらしい。
かわうそが絶滅危惧種から絶滅種に変わったというニュースに応えてのコラムだが、もはや昔話にしか出てこないのかと思うとやはり悲しい気持ちになる。
写真は週明けにもらった社員の平泉土産。平泉って岩手県?世界遺産て中尊寺とか?ふ~ん。