ひげ爺さんのお散歩日記-3

日々新た、今日は今日、明日は明日の風が吹く

《(改) 和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-1》        

2024-10-08 08:22:46 | 日記
      《(改) 和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-1》




  10月8日(火) 今日の和泉市の天気予報は “曇時々雨” です 。 
 昨日の午後に降り出した は夜中3時ごろまで、たっぷり、しっかり降りました 
 24時間予報では、 は止み、その後は 時々 のマークが付いています。
 あの雨の後、急に冷え込み、今朝5時の気温は19.2℃でした。昼間は23.3℃まで上がる予報です。
 今日は少し寒そうですね。 明日は の予報で、最高気温は25.7℃を予想しています。

 昨日の予報は “曇のち雨” でした。  予報通り午前中は 、午後からは が降り出しました。
 朝の気温は23.0℃でしたが、昼間の気温は予想より高く、11時の29.9℃が最高気温でした。
 曇り空でしたが真夏日の一歩手前。湿度が70%以上あり、少し蒸し暑く感じました。
 雨が降り出した後の午後3時は24℃付近まで下がり、蒸し暑さは解消。
 爽やかではありませんが、過ごしやすい気温にはなりました


   今日は二十四節気の一つ “寒露” です。
 今朝の新聞によると…〖冷たい露が結ぶころ。秋が深まり、山の木々の黄葉が始まる。
 冬の渡り鳥が飛来し、菊の花が咲き始める〗 …だそうです。
 ウィキによると…〖露が冷気によって凍りそうになるころ。 
 雁などの冬鳥が渡ってきて、菊が咲き始め、コオロギなどが鳴き始めるころ〗…だそうです。
            確かに朝晩は涼しく、秋の気配が感じられます。



ここ和泉市は今週末 12日(土) と 13日(日) に “だんじり祭り” が行われます
NHK朝ドラの “カーネーション” で全国的に有名になった “岸和田(海辺)の “だんじり祭り” 
の規模とは比べるべくもないのですが、それでもこの地区の一番大きなお祭りです。
今週は以前アップした《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-1~6》に加筆して再アップします。

この時期、良く雨が降るんですよねぇ。 “下駄祭り” とも呼ばれているくらいです。
また、遠来のお客さんをもてなすために “カニ(渡り蟹)” が振る舞われるので “カニ祭り” とも呼ばれる祭りです。
ひげがここ和泉市に転勤して来た約30年前の9月。毎夜太鼓と笛の音が響き、時には「そうりゃ・そうりゃ」の
大きな掛け声が聞こえました。だんじりを曳く若者たちが、町内を走り回って体力作りをしていたんですね。
当時、 “だんじり祭り” を知らなくて、何事かと不思議に思った記憶があります。



 「岸和田だんじり祭り」 は元禄16年(1703年)と云いますから300年以上も前、
岸和田藩主岡部長泰(おかべながやす)公が、京都伏見稲荷を岸和田城の三の丸に
勧請(神仏の来臨を願うこと)して、城下の五穀豊穣を祈願した事が始まりだそうです。
“だんじり祭り” と云えば、何と言っても数々の彫刻が施された “山車(だし)” ですね。
高さ約3.8m、長さ約4m、幅約2.5m、重さ約4トンも有り、総欅(けやき)造りで、
すべて釘を使わずに組み立てられているそうです。

《ウィキペディア》によると…〖欅には女神が宿るなどと言われ、女性がだんじりに乗ることは出来ないが、
女児はその限りではない。 成人女性も曳き手として参加することは可能だが、18歳程度で止めて、
後は男性をサポートする立場にまわる者が圧倒的に多い〗 …そうです。

「だんじり祭り」の一番の見どころは疾走したままスピードを緩めず角を曲がる “やりまわし” です。
 
4トンもある 「だんじり」 がどうやって角を曲がるのか・・・ もちろん丸いハンドルは付いていません(笑。
方向を変えるのは “後ろ梃子(てこ)” と呼ばれる、だんじりの後方に付いている一本の棒です。
この棒に何本もの綱を付け、右に曲がる時は左に、左に曲がる時は右に引っ張って方向を変えるのです。 
後部の “車輪(コマ)” を無理やり引きずる訳です。






上の3枚の写真は右に曲がろうと、後ろ梃子(てこ)を左に振っていますね。



 
舗装された路面を無理やり引き回して曲がるのですから、後には路上に “コマ(木製の車輪)” の削れた木屑が残ります。
祭りが済んだ後、この木くずを掃除して回る係もあるそうです。
方向を変えるにはだんじり前方の “前梃子(まえてこ)” も重要な役割を果たします(上の写真右。
あの前に突き出した2本の棒を前車輪の下に咬ませて速度を緩めたり、
左右の棒を抑えつける力を加減して “だんじり” の進む方向を変えているのだそうです。 
安全対策としてブレーキも付いているんですよ。写真の中央の人が右足をかけているのがブレーキです。  
事故を防止するために昭和の中頃に装着が義務付けられたのだそうです。

 前振りはこのくらいにして《(改) 和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-1》です

まず最初の彫り物は皆さんも良くご存じの 「天岩戸伝説」 の一こまです。
人気のある彫り物で、4台の “山車(だし)” で見ることが出来ました。

事の発端は太陽神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟、須佐之男命(すさのをのみこと)の乱行でした。 
田を荒らしたり、御殿に糞をまき散らしたりとやりたい放題。
それまで “何か考えが有っての事” と弟を庇って来た天照大御神でしたが、
あまりの所業についに庇い切れなくなり、天照大御神は岩に隠れてしまいました。
そのため、世界は闇に包まれてしまいました。



天の岩戸にお隠れになった天照大御神に再び出て来て、世の中を照らしてもらおうと、八百万の神が集まって相談します。 
尾長鳥(鶏)に朝を告げさせますが失敗に終わります。 次の作戦は岩の前で飲めや歌えの大騒ぎ。



《ウィキペディア》には…〖天宇受賣命(アメノウズメ)が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、
神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。 すると、
高天原(たかまがはら)が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った〗 …と書かれています。


 
“外は暗い筈なのに何を騒いでいるんだろう…”
天照大御神は楽しそうな様子を不審に思い、岩を少しお開けになりました。 
そこで “あなた様より美しく立派な神がおいでになり、喜んでいるのです” と言い、
鏡で天照大御神様の顔を写しました。 天照大御神様は鏡に写った自分の姿だとは思わず
“もっとよく見てみよう” と更に岩を開き、身を乗り出したところを力自慢の
天手力男命(アメノタヂカラオ)が天照大御神を引きずり出し… 
そして、また天照大神が岩戸にお入りになってはたいへんと、岩戸を持ち上げ
下界へ投げ捨てて仕舞われました。 岩戸は宙を飛んで戸隠山(長野県)へ・・・

戸隠山・・・ 長野県の戸隠連峰の中心に位置する山で、標高は1,904m。
日本誕生の神話とともにあり、天照大神が天ノ岩戸にお隠れになったとき、
手力雄命が力いっぱい投げ飛ばした岩が飛んできて出来たのが戸隠山とされている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする