『びんの悪魔』 R・L・スティーブンソン/著 磯 良一/絵 よしだみどり/訳
硬い表紙に、薄いページ数。 タイトルさながらに、不思議な印象を持つ表装。
地味な本かと思いきや、作者は「宝島」や「ジギル博士とハイド氏」の作者のR・L・スティーブンソン。
冒険小説のもつドキドキ感とはちがうけれど、児童書とはいえ、大人にも重く深く考えられるテーマです。
とても 面白かった。
不老不死以外の望みを なんでも叶えてくれる瓶。 私なら、どんな願いを託すでしょう?
もちろん、叶えられるものなら望みがない訳ではないけれど・・・、心のままに手にとっては大変です。
なぜなら、死ぬその時まで瓶を持っていると、死後永遠に地獄の火で焼かれることになり、手放すとき
には、買った金額より安くで誰かに売らなければなりません。 そして、それらの条件もすべて伝えてか
らしか売ることはできないのです。
トランプの7並べのルールにありませんでしたか? 例えば「8」がなくて手札に「9」があるとき、ジョーカ
ーがあれば、持っていない「8」の代わりをさせ、「9」と一緒に出すことができる。けれども、最後まで使わ
ずにジョーカーを持っていると必然的に負けになる。
自分の手元に、人に言えないジョーカーを持っているとき、子供心に、ドキドキしたものなのですが・・・。
誰かが不幸になることがわかりながら、瓶を売ることはできるでしょうか? それにも勝る気持ちで、欲す
るものとは、いったいどんなものでしょうか?
主人公ケアウエは、自分自身の欲のため、または愛のため、瓶を手にすることになります。
自分の国の最低単価でしか売れないと判った時(たとえば、自分が2円で買って、誰かに1円で売ると
したら)、その誰かが誰にも売ることができないのはわかりきったことなのですが、自分の命や最愛の人
のためだとしたら、それは許されることなのでしょうか?
もちろん、本書の中でも当然最後に手にしている人はいるわけで・・・、あの人、どうなったのでしょう?
いろんな考えがぐるぐると巡りながら、あっという間に読了でした。
児童書ですから、ぜひ子どもたちにも読んでもらいたいものです。 わが子なら考えそうなので、ひとつ
だけ。 瓶はガラスでできていますが、どうやっても割ることはできないのですよ、ザンネン。
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2度も映画化される小説、「カラフル」を初めて手に取る。
悩んで悩んで う~ん・・・と思う気持ちを押してページを開く。なにしろ、流行の作家さんが苦手だ。
とはいえ、最近、中学生の娘のリクエストで借りてきた本を、意味もなく「せっかくだから・・・」と読み続け
流行の作家さん、結構読んでいるなぁ。
カラフル、カラフル。
そう、この世の中はバラ色でもグレイでもなく、いろんな色に満ちている。 どんな人でも、悲しみや苦し
みも持ち合わせ、それを乗り越えたり打ち砕いたり、寄り添ったりしながら生きているのだ。
死んだはずの“ぼく”の魂が、プラプラという名の天使の言葉で目覚めた。「おめでとうございます。抽選
に当たりました!」 自殺した14歳男子の体に魂を滑り込ませ、前世で犯した罪を思い出せば、輪廻
の世界に戻ることができるというのだ。
借り物の体だからこそ感じる、周囲の人たちの存在。 意地悪な兄も、勝手なことをしている両親も、実
は、こんなに気にかけて愛情を注いでくれているじゃないか。この体を、元の持ち主に返して、そのこと
に気付いてほしい・・・。 一度死んだつもりなら、いろんなことに気付けるじゃないか、そんな気がする。
中学生の娘は、「美丘」も読んでしまった。 しかし、母さんはギブ。 流行の作家さんは、しばらくいいや。
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文庫本だったらいいかなぁ・・・と、ちょっと消極的な気持ちで読み始めた1冊。
息子がサッカーやっていなかったら、手にすることもなかったと思うのだけれど・・・
スポーツ少年団に手や足を突っ込んだことのある人なら、「この人(作者)よく知ってるなぁ!」と感心
してしまうような、スポ少の細かいことまで書かれていて、なんだか気恥ずかしいような笑えてしまう
ところもある。 各学年でなかなか11人揃わないこととか、試合中にコーチの座ってるパイプ椅子は
卒業生の卒業記念品だとか・・・。
それもそのはず、この作者は、スポ少サッカーのコーチ経験者なのでした。あー、なるほど。
スポ少にもいろいろあると思うけれど、ボランティアのコーチたち、試合の審判で走り回ってくれる
コーチやお父さん出身のコーチ。 ほんとうに たくさんの人たちに支えられて成り立っている。
子どもたちも、Jリーグの選手になる夢を持って、草サッカーながらテクニックを持った子だって育って
いる。 気になるのは、自分を含め、自分の理想や憧れを子どもに押し付けていやしないか・・・という
こと。 スポ少以外にもサッカーを習いに行って、言葉の端々に「あんたにはお金が掛かってんのよー」
なんて耳に届いたら、好きなものも嫌いになってしまいかねない。第一、好きなものを楽しみたい気持
ちが萎えてしまうに決まっている。
この小説の中ほどの熱意はないにしても、子どもたちが純粋にサッカーを好きな気持ちがあるのなら、
それを支えていくのが、親や関わる大人たちの務めなのだろうとひしひしと感じる。
なんだか、最後の試合のシーンを読みながら、泣きそうになってしまった。技術は未熟でも、気持ちは
大人にはわからないくらいに高ぶってること、きっとあるんだろうなー。
息子たちの先日の試合では、最下位を争う試合でPK勝利を収めたとき、傍から見たらまるで優勝した
ような喜びようだった。ジャンプして歓声を上げ、抱きつき一塊になった。
大人たちは苦笑してしまうのだけれど、それでいいんだよなぁと思う。嬉しさを素直に体で表現して
負けても負けても、好きで楽しいから続けているからこそ、ここから将来につながっているのだもの。
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はじめての文学シリーズ。
このシリーズは、なぜだか気が進まずに、これまで手にしたことがなかった。
『文学の入り口に立つ若い読者へ向けた自選アンソロジー』 とあることが気恥ずかしいのか・・・
万人受けしそう作品を集めているような気がしたからなのか・・・途中に既読の作品が出てくるからなのか。
「卒業ホームラン」 「モッちんの最後の日」 「ウサギの日々」 「かたつむり疾走」 「カレーライス」
「タオル」 「あいつの年賀状」 「ライギョ」 の8編。
重松氏の作品は、実はこれまで読んだことはないのに、知っていた。 「カレーライス」
娘が6年生の頃、国語の教科書の音読で、毎日読んでいた時期があったから。
一月のうち、母親の仕事が忙しくなる1週間ほどを、父親が仕事を早く終え帰宅して、夕食を作り、
母親代わりになるという「おとうさんウィーク」。
その「おとうさんウィーク」を前に喧嘩をしてしまい、なかなか謝ることのできない「ぼく」。
勝ち負けじゃないって判っていても、「ぼくは悪くない。」で始まるお話は、素直に謝れない6年生の
ぼくの父親に対する気持ちが、よーく表れているように思う。
父親が思うよりずっと成長している6年生。それが知れることへの誇らしさと恥ずかしさ。
重松さんの文章は、身近な出来事を題材にしながらも、それが結構きわどかったりもしている。
「卒業ホームラン」は、スポ少に関わっている人なら、内情に苦笑いしながらも、一緒になって心を
傷めるに違いないし、「ウサギの日々」は、中学生時代を思い出したり、または自分の子どもの部活
生活を思って、くーっと心を掴まれる思いだ。
なんてことなく流れてる気がする毎日でも、こんな辛らつな思いも一緒になって流れているんだなー。
子どもを取り巻く普通の日々の中に、こんなにも題材が溢れている。