蔵書目録

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「砂の塔 その折りゝの感想」 與謝野晶子 (1916.8)

2021年03月04日 | バレエ 2 エリアナ・パヴロワ、貝谷八百子他

    

 砂の塔
     その折りゝの感想
               與謝野晶子

    〇
 教育の自由に由つて知識の上に男女の平等を回復することは英国其他の先進婦人達が既に実現して居ることであるが、女が労働の解放に由つて職業の権利を回復することは、偶然にも今度の戦争が機会となつて、英仏及び独逸の大多数の婦人が其れを実現して居る。即ち出征男子に代つてこれまで男子のして居た大抵の労働を引受けたのであるが、女の労働の能率は男子以上であることが頻 しき りに證明されて居る。これは決して一時の変態として看過される現象が無く、人類の将来に亙る一つのゆゝしい激変であらうと想はれる。試練に勝つた女の力が戦争の沈静と共に消え去るものでは無い。単に女の力が回復されたのみならず、男のためにも新しい協同の力が加はつたのである。
 (以下略)
 
 (省略)

    〇
 六月になつて私は二度Yさん御夫婦に伴 つ れられて帝国劇場へ行つた。なにかにつけて余裕の無い私は、自ら進んで芝居などへ行くことが近年は全く無くなつて居るのである。
 初めに行つた時は、タゴオルと云ふ印度の大詩人が東京停車場へ着く晩で、また米国の飛行家スミスが青山から日比谷まで夜間飛行を試みる晩であつた。祇園祭礼信仰記の金閣寺の場が開いた時に丁度スミスの飛行機が飛ぶ時刻であつたので、観客の大半は雪崩を打つて屋外へ飛び出した。舞台の役者達には気の毒であつたが、私達も幸四郎の松永大膳と梅幸の雪姫とを背 うし ろにしてそつと抜けて出る無作法を敢てした。
 劇場の前も濠端 ほりばた も見物の群衆で一ぱいになつて居た。平生は雑沓を好まない私も、スミスに対する東京人の熱狂が嬉しかつた。これくらゐに人出があれば倫敦や巴里の夜の大通りに劣らないと思つた。折柄低くなびいた雲の中から飛行機の火が見え出した時には、シャン・ゼリゼエの新劇場の前をエッフェル塔から探照燈が照した光景をまのあたり見る気がした。夜更けて帰つてから、スミスの科学的な印象と宗十郎の平井権八の殺気立つた情調とが変に私の頭の中で反撥して、快く寝附くことができなかつた。
 二度目に行つたのはスミルノワ女史一行の露西亜踊 ろしあをどり を観るためであつた。それは予期した通りに非常に面白い踊であつた。無言の踊が、かう云う踊に対する予備的鑑識の無い日本人に、約二時間と云ふもの、気息 いき も次がれない程緊張して観恍 みと れさせたのは大した妙技である。私は久振に欧洲を旅して居るやうな気分に浸つて、二重の感激を受けることが出来た。新聞で評判の好い『瀕死の白鳥』はその写実的擬態が、厭味を惹く程に露骨では無いにしても、白鳥の苦痛の深さと真実さとを希薄にした遺憾は免れなかつた。一体に軽妙な舞曲が多かつたやうであるが、中には重厚であるべきものまでが軽妙化されて居た。西班牙踊 スペインをどり のセギヂロなどは私が巴里で観た西班牙人のものに比べて本国の油濃い味を余程軽減されて居たやうである。私は欧洲の旅中にニジンスキイ氏やカルサヸナ女史の踊を観なかつたので、近年世界的に有名である最も進んだ露西亜踊と云ふものを知らないけれども、スミルノワ女史一行の踊は彼国で決して第二流以下のものではないであらう。外交上の協約ばかりで無く、かう云ふ芸術を通して両国の人情が接近し融和する端緒の開かれて行くことは、ほんとうに嬉しいことである。如何なる場合にも禍を転じて福とするのは賢い仕打であるが、スミルノワ女史の来遊も戦争の影響であることを想ふと独逸を敵とする此度の戦争は日本人のためにいろゝの意味で福となつて居る。
 少し前に来遊して怱々と帰つて行つた露西亜の詩人バリモンド氏は格別の感銘も遺 のこ さなかつたが、スミルノワ女史の一行の来遊は、その滞在の短い割に日本人を刺戟する所が多かつた。女史達の踊はカルサヸナ女史の踊のやうに現代の純粋な所産で無いにしても、その全身を挙げて活動的精神の表象とする踊は近代文明の底を流れる一大基調そのものに外ならないのであるから、私達は在来の日本の舞踊以外に、否、在来の日本人の生活の基調であつた消極的、静的、動的、感傷的の律より以外に、かう云ふ積極的、動的、現実的のきびきびした生活律のあることを教へられたのである。
 私は初め新聞の予報を見た時、『露国帝室劇場一等舞妓、勅任待遇』と云ふ肩書が日本の興業者に由つて日本の観客に対して書かれねばならなかつたことが厭であつたが、舞台に面した時はそんな俗悪な反感を全く忘れて、ほれゞとスミルノワ女史の人格に信頼し沈酔することが出来た。
    
    〇

 (省略)

 上の文章は、大正五年八月一日発行の『女学世界』 八月号 第拾六巻第九号 博文館 に掲載されたものである。

また、上の舞踊写真は、当時帝国劇場で販売された絵葉書のもので、前撮り写真と思われる。

 このうち、三枚の裏には、次の手書きの演目名、衣裳のについて等のメモ書きがあった。

〔左から1枚目〕 白鳥の湖  白衣 銀の星形 袖ノ模様ハ〇緑ニ中紫

〔同3枚目〕   セギヂロ  ショール 白他 〇紅 〇〇の模様 赤衣

〔同4枚目〕   古代ポルカ 上衣ハ黄地緑の丸 フチ青

 

 なお、大正十一年十一月一發行の雑誌 『明星』 第二年第六號 「靄の塔 與謝野晶子」の短歌中に次の二首があり、この年秋に来日したアンナ・パヴロワを詠んだのものかと思われる。

 パヴロワ゛は見えぬ世界に求むる手我等に代り擧ぐと思ひぬ 

 肩白く痩せて淋しきパヴロワ゛の秋の夕となりにけるかな



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