蔵書目録

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「関屋敏子 ブロマイド・写真自叙伝」(1931.3)

2012年08月19日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他

 

 「Toshiko Sekiya」と読める関屋敏子のサイン入りブロマイドである。13センチ。

  関屋敏子女史略歴 〔関屋敏子発表会チラシより〕

 リリツク・コロラチユソプラク歌手関屋敏子女史は東京お茶の水高等女学校卒業後上野東京音楽学校に入学傍ら伊太利ア・サルコリー氏に就き教授を受く、千九百廿八年 〔昭和三年〕 一月伊太利ミラノ氏コンジネンタールーホールに於て独唱会を開催非常なる絶讃を受け同年二月フローレンス市より招かれ出演成績優秀抜群を以てレオナルド・ダビンチ芸術章を授与さる。
 同年五月世界最高の音楽大学ボロニア音楽大学校より特別卒業証書を授与されたり、西班牙國バロセロナ府に滞在三ケ月リボルノ市高等音楽院マスカニ氏よりデプロマを授与さる。
 千九百廿九年四月墺太利ウインナ府日本公使館よりソワーレに招かれ同国ミクラス大統領及楽聖リカルド・ストラウス博士等の面前に於て歌ひ非常なる讃辞を受く。
 千九百廿九年十二月帰朝東京日比谷公会堂に第一回帰朝発表会を開く。
 千九百三十一年再度の渡航に旅立つ米国経由同年一月米国加洲を初め太平洋沿岸各地に於て六十有余回の独唱会を開く。同年五月廿七日には高松宮殿下御来米にて日米大歓迎会開催に際し御前にて歌ふ。同年九月世界最大ホール・ハリウツド・ボール(四万人収容の大野外劇場)より招請に応じ出演、滞米中の尾崎行雄氏同夜来聴され「四万の人集まりて声を呑み一人の君を聞く秋なりけり」との和歌をものして送らる。
 千九百三十二年一月紐育〔ニューヨーク〕市タウン・ホールに於て独唱会開催、同年三月米国を後に大西洋を一路、伊太利歌の都へ、直ちにボロニア市第一劇場ジウゼ座より招かれて一週間出演、更らにトリノ市を初め其の他の各都市に出演。
 同年六月ミラノ音楽学校定期独唱会に招かれ出演、同年七月ミラノ城内音楽堂に於てラ、スカラ座歌手と共に定期演奏会に出演歌ふ、作曲家の証書と芸術章を共に授与される。
 千九百三十三年仏國パリーに滞在し同年四月仏國パリ日仏協会及び第一会館サラーペリイルに於て独唱会開催。
 同年英国ロンドン日英協会より招かれ独唱会を開く、同十月独逸伯林市日独協会並びに東亜協会に於て歌ふ。其の直後独逸ウーフアー映画社の招きに応じて日本を背景にした「鏡」と題する発声映画に仏語を以て出演す。
 一千九百三十四年第二回帰朝昭和九年七月東京歌舞伎座を始め全国に五十余回独唱会を開く。

 【写真自叙伝】 関屋敏子の巻 〔『サンデー毎日』 第十年 第十一号 昭和六年 〔一九三一年〕 三月八日の20-21頁〕

          
 
 その一
  六歳。幼稚園時代の私です。当時、私の家は小石川の餌差町にありました。父祐之介は郵船会社の秘書役をしてゐました。母愛子は外務省の顧問であつたリゼンドル将軍の長女です。
 その二
  七歳。父と母と一緒に寫した私の最初のプロフイルです
 その三
  八歳の私です。御茶水附属小学校時代。お稚児まげに結つて、祖父リピンドルが明治大帝から下賜の古代錦で謹製した帯をしめて撮つた、私には忘れることのできない写真です。
 その四 
  九歳。私が小学校三年生の時です。卒業式の日に、昭憲皇太后陛下が行啓遊ばされました。その時私は選ばれて唱歌を歌ひました。朗らかに晴れた日で、私は畏れ多いことですが、気高くお美しい陛下の御前で、せい一ぱいの声をはりあげて「春は来た、春は来た」外二三を歌ひました。これが大変よく出来たと皆さまからほめていただきましたので、両親が泣いて喜んでくれました。三浦環さんや小松耕輔先生に導かれて、音楽で身を立てる決心をしたのは、それから間もなくでした。
 その五
  初島田に結つて、そのころ流行のちりめんの被布を着てゐる私と妹喜美子です。私が十七歳、妹が四歳です。

           

 その六
  昭和二年〔一九二七年〕、スペインのヴァルセロナ市オリムピツク座で、リゴレットのジルダーに扮した私です。廿二歳。
 その七
  オペラの「椿姫」に扮した廿三歳の私です。これは欧州各地で、大変に好評をいただいたオペラでした。
 その八
  イタリー、ヴエニスのマリーブランザ座で満員を続けたルチアの舞台姿です、廿四歳の私、
 その九
  イタリー、ボルニア市の大富豪チエナ家の令嬢達と一緒に寫した廿五歳の私です。令嬢たちは日本キモノを着て大喜びです。美術の國イタリーでは、私の持つてまゐりましたキモノは、いたるところで評判でした。
 その十
  欧州から帰朝直後、東京慈恵会で各宮殿下台臨の御前演奏をいたしました記念撮影です。
 その十一
  現在の私廿七歳です。

 

 関屋敏子嬢 告別独唱会 曲目

  時 昭和六年 〔一九三一年〕 一月十八日午後一時 所 県公会堂(大津市三井寺●) 主催 滋賀県大津市高等女学校貞友会


  曲目

   第一部

  1.旅愁 … スコットランド民謡
  2.四葉のクローヴァ … ロイテル作
  3.夜の調べ … グノー作
  ※ 恋はやさしき野辺の花よ

   第二部

  4.カーネーション … ヴァルヴェルデ作
  5.ラ・パロマ … 
  6.アイ・アイ・アイ … スペイン民謡

       休憩

    ピアノ独奏 … デヴィス氏

   第三部

  7.蛍こい … 関屋敏子作
  8.濱うた … 同
  9.江戸子守唄 … 同
  10・野いばら … 同
  ※ 大島民謡 
   
   第四部

  11.歌劇椿姫 … ヴェルデイ作

      伴奏 クラレンス・デヴィス氏

  ※荒城の月

   
  なお。※は、鉛筆の書き込み。

   

 

 表紙には、「世界的声楽家 コロラチュア ソプラノ 関屋敏子 発表会 会場 日本映画劇場 後援 名古屋新聞社 16.4.26版」とあり、裏表紙には、「昭和十六年 〔一九四一年〕 四月廿六日 日劇ニュース 名古屋・大須・仁王門通り 日本映画劇場 編輯兼発行人 伊藤忠晴」とある。18センチ、二つ折。

 ・LIRC COLORATURA SOPRRANO  関屋敏子女史略歴〔写真もあり〕
 ・コロラチュアソプラノ 関屋敏子発表会 伴奏 宮崎斗美子(毎日三曲宛予定公演)」として18曲の作曲者名と題名のリスト
 ・同時上映の音楽映画「楽聖ベートーヴェン」の梗概

 コロラチユラソプラノ
 関屋敏子発表会
   伴奏 宮崎斗美子

   (毎日三曲宛撰定公演)

 ・グノー曲      夜の調
 ・イラジエ曲     パロマ
 ・多曲        宵待草
 ・伊太利民謡     フニクリフニクラ
 ・関屋敏子作曲    野いばら
 ・スペイン民謡    カーネーシヨン
 ・伊太利民謡     麦打ちの唄
 ・瀧作曲       荒城の月
 ・ペルシユ曲     椿姫
 ・関屋敏子作曲   江戸子守唄
 ・シユベルト作曲   セレナーデ
 ・スペイン民謡    アイアイアイ
 ・関屋敏子作曲    潮の岬
 ・スコツトランド民謡 旅愁
 ・歌劇         サタルチヤ
 ・関屋敏子作曲    裏の背土屋
 ・歌劇         ポツカチオ
 ・スコツトランド民謡 故郷の廃屋


 下は、その広告チラシである。

 

 世界的声楽家 コロラチュア・ソプラノ 
 関屋敏子 発表会 
 伴奏 宮崎斗美子 

 最高芸術の大衆への握手! 関屋敏子が最初の劇場進出! 

 26日より 毎日三回公演 グランドショウ 〔昭和16年〔一九四一年〕4月〕

 毎回三曲独唱予定曲

 26日(土) [グノー曲] 夜の調 [イラジエ曲] パロマ [関屋敏子作曲] 野いばら  
 27日(日) [関屋敏子作曲] 江戸子守唄 [伊太利民謡] フリフリフクラ [多曲] 宵待草 
 28日(月)  [伊太利民謡] 麥打ちの唄 [スペイン民謡] カーネーション [関屋敏子作曲] 潮の岬 
 29日(火) [滝作曲] 荒城の月 [シュベルト曲] セレナーデ [ペルシュ曲] 椿姫   
 30日(水) [スペイン民謡] アイアイアイ [スコットランド民謡] 旅愁 [歌劇] サンタルチヤ 
5月1日(木) [関屋敏子作曲] 裏の瀬戸屋〔背戸屋〕 [歌劇] ポツカチオ [スコットランド民謡] 故郷の廃屋 

 主催 関屋後援桜会 後援 名古屋新聞社

 表紙は、「楽聖ベートーヴェン」の〔フランス〕映画広告で、「廿六日より関屋敏子公演と同時上映の画期的音楽映画」などとある。
 裏表紙は、ショパンの「別れの曲 自四月十七日・至四月十九日 監督 ゲツア・フォン・ポルヴァリー ジャン・セルヴエ主演」「狂乱のモンテカルロ 自廿日・至四月二十二日 監督 ハンス・シュワルツ」および「23日より25日まで」「ジーグフリード マルガレーテ・シエーン ハール・ルヒター主演 思ひ出の名解説者特別解説 環耕水」などの映画の紹介および予告である。
 なお、「関屋敏子生誕100年記念特別企画展」が、平成十六年十月九日から十一月二十三日まで、福島県の「二本松市歴史資料館」で開催され、その時のパンフレットには、館所蔵の辞世和歌やオペラの扮装の写真なども掲載されている。



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