蔵書目録

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『支那劇解説並ニ筋書』 帝国劇場 (1924.10)

2020年07月08日 | 梅蘭芳 来日公演、絵葉書他

  

 支那劇解説並ニ筋書 

 <口絵写真> 

 ・梅蘭芳肖像
 ・麻姑献壽 麻姑 (旦)  
  天女散花 花奴 (旦)
       天女 (花旦)
 ・貴妃醉酒 楊貴妃(花旦)
  紅線傳  紅線 (旦)  二葉
 ・奇雙會  李桂枝(靑衣)
  虹霓關  東方氏(武花旦)
 ・御碑亭  孟月華(靑衣)
  思凡   趙色空(花旦)
  琴挑   陳妙常(花旦)
 ・春香閙学 春香 (花旦)
  西廂記  紅娘
  遊龍戯鳳 李鳳姐(花旦)
  千金一笑 晴雯 (旦)
 ・廉錦楓  廉錦楓(靑衣) 二葉
  黛玉葬花 林黛玉(靑衣) 二葉
 ・銀寶山
  蘇三起解 蘇三 (靑衣) 二葉

 支那劇筋書並ニ解説
           『附』小傳

 解説は福地信世氏を煩はし、小傳及び筋書は波多野乾一氏より送られたのを省略して掲げた。波多野氏より送られた原文は、立派なものであつたが餘りに長きに過ぎたので、筋書とする便宜上殘念ながら、これも亦福地氏を煩はして省略した。
 之は波多野氏及讀者に呉々御詑をして置く。

 ・舞臺
 ・劇の仕組
 ・音樂
 ・俳優
 ・道具
 ・衣裳

 梅蘭芳一行 『附』小傳

 ・梅蘭芳〔靑衣〕

 梅蘭芳、名は瀾 らん 、字は畹華 えんか と云ひ、蘭芳と云ふのは其號で藝名なのである。江蘇省の人であるが、生れは北京で、年は三十二。
  梅は代々俳優の家柄で、祖父は梅巧玲といつて女形の名優であつた。父は、これも梅二瑣と呼ぶ女形の俳優であつたが早世した。それで蘭芳は、叔父の梅大瑣に育てられた。大瑣は人も知る北京第一の胡弓弾きであつた。
 蘭芳はこの間に俳優となり、役柄としては靑衣即ちきまじめな女形を學び、十一歳の時に初舞臺をふみ、それからどんゝ上達して、二十歳の時には已に女形としての第一位を占めた。
 梅蘭芳は今云つたやうに役柄としては生眞面目な女形であつて、唱曲はもと京調の二簧 にくわう を學んだのであつた。彼は美聲である上節廻しがよく之に加ふるに其聲量の偉大な事は實に天下に冠たりと云つても宜い。更に特筆していゝ事は彼が、元來その仕草に表情の乏しい支那劇に於て、非常なる仕草研究をなして抜群の手腕を現はすに至つた事である。
 また、彼は崑曲を研究した。崑曲は清朝の中葉までは盛 さかん であつたが其後衰へて、近來亡びんとしたものである。それを研究し、そして復活した。今日崑曲の流行は彼のお蔭であると云つて過言でない。蘭芳の得意な『思凡』『春香鬧學』『遊園驚夢』などは即ちこの崑曲劇である。
 彼は一方、新しい方面にも進んだ。劇の創作にも努めた。脚本は蘭芳はの後援團たる綴玉軒 てつぎよくけん 同志の新作で、音樂と唱 うた は京調崑曲其他各種のそれを参照して、これを調和した新作曲である。仕草は舞踊的の處が非常に多く、支那の古舞踊や外國の舞踊をも研究し、それを参酌して作つたものである。衣裳は支那の古い時代の服装を基として考案したものである。仍 よ つてこの新劇を『古装歌舞劇』と稱して居る。『麻姑献壽』『天女散花』『洛神』『紅線傳』『黛玉葬花』『廉錦楓』等は即ちこれである。
 蘭芳は生眞面目役の女形即ち靑衣 せいい として非凡な藝を持つて居るのみならず立廻りに於て亦頗る達者なものであるから、立廻りをする女形が劇の主人公である『虹霓關』や『紅線傳』 などは、彼の得意なところである。
 支那劇團では古來から生即ち男役が座頭となる定めであつて、且即ち女形は男役に比して位置の卑 ひく いものとしてあつた。然るに、梅蘭芳の名聲が高くなつて來るのに連れて、從つて女形の地位も向上し、遂に彼は女形として俳優の第一位に立ち劇團の座頭となつたのである。
 大正八年に帝國劇場の招聘によつて來朝、同劇場に五月一日から十二日まで演唱し、それから大阪でも演じた。出しものは『天女散花』『黛玉葬花』『御碑亭』『貴妃醉酒』『虹霓關』『琴挑』等であつた。
 今度の來演は實に五年振で、やはり帝國劇場の招聘により同劇場の復興の祝 いはひ 、大倉翁の米壽の祝に『麻姑献壽』と題する仙女が不老長壽の仙酒を献ずる目出度い劇を上演し、尚例の『天女散花』『貴妃醉酒』『奇雙會』『刺湯』『虹霓關』『紅線傳』等を演唱する事になつたのである。

 ・姜妙香〔小生〕
 ・姚玉芙〔靑衣〕
 ・陳喜星(老生)
 ・朱湘泉(武生)
 ・朱桂芳(武且)
 ・李春林(老生)
 ・札金奎(老生)
 ・陳少之(老生)

 ・喬玉林(崑曲老生)
 ・孫輔庭(老且)
 ・張蕊香(花且)
 ・羅文奎(丑)
 ・霍仲三(浄)
 ・韓金福(小生)
 ・賈多才(丑)
 ・孫小山(老生)
 ・朱斌仙(且)
 ・董玉林(且)
    外數名
 樂員
 ・除蘭元
 ・何斌奎
 ・孫惠亭
    外數名
     (以上順序不同)

<梗概>

天女散花西皮、二黄、崑曲

  人

天女 衆香國にゐて天の群芳を司 つかさど る。(且)(梅蘭芳)

花奴 天女の侍女。(且) (姚玉芙)

如来           (   )

伽藍           (   )

維摩居士     (老生)(札金奎)

文殊           (   )

    釋迦時代

      處

天界

印度、維摩居士の室

第一場〕如来は維摩居士印度毘耶離 びやり 大城で病気になつてゐるので、其許 そのもと へ文殊をして諸弟子を率ゐ見舞に赴かせる。又、別に伽藍を呼び出し、天女の處に行つて、維摩の室に花を散じて佛弟子の修行の程を試みるやうに命ずる。

第二場〕天女が侍女を侍らして天界の衆香國に居る。そこへ伽藍が來て如來の意を傳へる。天女は侍女花奴 くわど を呼び出し、散花の準備をさせる。

第三場〕伽藍、如来にその旨復命をする。

第四場〕天女、雲に乗じて衆香國を離れ、毘耶離大城を指して行く。花奴、天女の御伴 おんとも をして後から行く。

第五場〕毘耶離大城、維摩居士の室。四人の佛弟子が出て來て維摩の病気を見舞うて經論の問答がある。佛弟子は論に負けさんゞの體 てい たらくである。

 文殊が衆弟子を率ゐて見舞に來る。維摩と再び大議論の問答が始まる。此時、天女は花奴を伴ひ來り其身を現に維摩居士の室に花を散らす。

 此劇の節 すぢ は至難中の至難で、維摩詰經 こくきやう 中の觀衆生品  しやうひん にヒントを得たもので、天、其身を女に現じて經論の大問答中に花を降らすや、菩薩は心に煩悩なき故、その花か衣につかぬが、その域に達して居ない弟子には花か衣について落ちなかつたと云ふ解脱説法の劇で、哲理は兎に角、支那古代の舞踊を復活して用ゐたる新曲で、服装は支那の古裂 こさう から思ひついた新意匠である。梅は天女に扮す。

廉錦楓 〔西皮、二黄
洛神  〔西皮、二黄
春香閙学崑曲
審頭刺湯二黄
尼姑思凡崑曲
千金一笑西皮、二黄
奇雙會 〔吹腔
虹霓關 〔西皮
御碑亭 〔西皮

  人

王有道 浙江の讀書人。  (老生)

孟月華 有道の妻。    (靑衣) (梅蘭芳)

王淑英 有道の妹。    (且)  (姚玉芙)

柳生春 浙江の讀書人。  (小生) (姜妙香)

申嵩  試験官。     (末)  (陳少五)

孟員外 月華の父。    (外)  (札金奎)

孟安人 月華の母。    (老且) (孫輔庭)

孟徳祿 孟家のボーイ。  (丑)  (羅文奎)

      時

     明朝。

      處

     浙江省金華府。

第一場〕王有道は妻と妹と三人で暮してゐる。今年は恰度 ちやうど 進士の試験のある年だから、これから都に上らうと思つて、妻と妹を呼ぶ。妻月華と妹淑英とが出て來る。そこで別れの盃 さかづき をあげて、有道は都へと旅立つ。

第二場〕淸明の節句である。孟月華の實家のボーイ徳祿が來て、墓參に歸れといふ。月華は夫の留守に家を空けてはと躊躇するが、淑英は私がゐるから大丈夫だと云ふので、徳祿と共に實家に歸る。

第三場〕話かわつて、柳生春といふ若い男も今年の進士の試験を受ける一人であるが、その前に墓參をし、今歸るところである。日も暮れて、雨でも降つてきさうな空模樣なので、彼は大急ぎで走つて行く。

第四場〕孟月華は實家に歸へり、老父母と積 つも る話しもまだ盡きぬが、家が気になり歸らうとする。老父母は止 とゞ めるので、月華は仕方なく止つたが、夜になつて裏門を開けて黙つて實家を立去る。

第五場〕彼女は恰度道の中程の御碑亭(皇帝の書かれた石碑のある亭)まで來た時大雨に遭つた。そこで其の亭で雨を避けてゐる處に柳生春が來て、これも雨に遭つて御碑亭に飛び込まうとするが、女が居るのを見て中に入らず、廂 ひさし のところで雨を避けた。柳生春は道徳堅固な男なので、間違は起らなかつた。五更、雨が歇 や んで、柳生春先づ去り、月華も次いで立去る。

第六場〕進士の試験場で、こゝに試験官申嵩が、試験の答案を調べてゐる。答案中にあつた一つの文章であまりよくない故に反古籠に入れたが、それが何時 いつ の間にかまた札 つくえ の上に來てゐる。さういふことが三度 みたび まであつたので、この文章の作者は何か陰徳があるに相違ないと思ひ、及第させたこれは柳生春の作であつた。

第七場〕月華が歸宅して、淑英に御碑亭での出來事を物語る。淑英は月華のいふことを信用せず、暗に疑つてゐる。

第八場〕王有道が試験を濟ませて歸つて來る。妹淑英が出迎へ、御碑亭の出來事を告口する。王有道も月華の行 おこなひ を疑ひ、ひそかに離緣狀を書き、さりげなく月華を呼び出し、今歸り途に聞いたが御父さんが病気ださうだ。此の手紙を持つてすぐ行けといふ。月華は吃驚 びつくり して、離緣狀とも知らずに持つて出て行く。その後に飛脚が來て、有道が進士の試験に及第したことを知らせて來る。

第九場〕月華が實家に歸つてみると、父は病気でも何でもない。不審を抱いて、手紙を開 ひら けてみると離緣狀であつた。さては御碑亭のことを疑つてかと父母にその一伍一什 いちぶしじう を話す。母親は大いに怒るが、父親は流石に、老功いづれ眞相が判 はか ることもあらうと宥 なだ める。

第十場〕試験官申嵩のところへ新しく進士に及第した王有道、柳生春等が禮に來る。申は答案の事から柳生春に何か陰徳はないかと尋ねる。柳は別に陰徳はないが、かういふことがあつたと御碑亭の一條を話す。驚いた王有道。さては妻は無實であつたかと委細を申と柳に話す。

第十一場〕王有道は妻月華を實家から迎へて來る。柳生春も來る。柳はまだ結婚してゐないので有道は淑英を妻に與へる。そして各々幸福な生活に入る。 

 梅蘭芳は孟月華に扮する。御碑亭に雨を避くるところ、仕草、唱共に宜い。

貴妃醉酒平調

  人

楊貴妃 唐の玄宗の寵妃。(花且)(梅蘭芳)

高力士 玄宗の寵臣   (丑) (羅文奎)

裴力士 同。      (小生)(姜妙香)

    唐玄宗の治世

     西安 唐宮百花亭

 唐の玄宗の寵妃楊貴妃は、玄宗から百花亭で宴を開くと云ふ命を承 うけたまは つた。裴力士高力士の二人の寵臣はその準備をして居る處へ、楊貴妃が出て來て色々と指圖をする。用意は出來たが、併 しか し玄宗皇帝は仲々來ない。探つて見ると、今日は百花亭へ見えないで、江妃の方へ御幸されたと云ふ。貴妃は嫉妬の念を起しやけ気味に、酒を飲み、春心蕩漾 たふよう として高力士と裴力士をからかふ。

 梅、貴妃に扮して口に盃を啣 ふく み、折腰の舞を舞ふあたり妖艶極まりなく、美麗な劇である。

紅線傳 〔西皮、二黄
麻姑献壽西皮、二黄、崑曲
黛玉葬花西皮、二黄

 大正十三年十月十八日發行 
 編輯兼發行者 宇野四郎

   

 ・左の写真は、『国際写真情報』 大正十三年 〔一九二四年〕 七月号 第三巻 第八号 に掲載された。 

 今秋来朝する 梅蘭芳の扮せる『嫦娥』
 
 数年前に来朝して非常な評判をとった支那の名優梅蘭芳は、再び今秋十月新築落成の帝劇に来演する事となった、唱と科と美容との三つを備へた梅蘭芳は『天女散花』や此『嫦娥』などは、最も得意なものと呼ばれてゐるが今回は新作物を上場し、一行三十名で十月中旬には来朝する予定である此写真は支那劇通の福地信世氏が齎したものである。

 なお、同じ写真と思われる絵葉書では、「麻姑献寿」となっている。

 ・右の写真は、『劇と映画』 大正十三年 十一月号 第二巻 十一号 に掲載された。 

 帝劇に来演せる 梅蘭芳 黛玉葬花

 社長大倉翁の米寿の祝ひをかねて十月廿一日から芽出度開場の運びになつた、丸の内帝国劇場には豫て前々から記した通り、支那の名優梅蘭芳が戦乱の故国の砲火を潜つて来朝した、大倉翁の祝賀記念劇は廿一日から四日間で其間に上場された、梅得意の出し物中の『黛玉葬花』で『天女散花』や『廉錦楓』や『紅線伝』などと共に有名な出し物である、帝劇の普通興行は此あと引続いて幸田博士の『国難』や『両国巷談』を座附幹部が久し振りで上場した。

   

 上左の写真:  『写真通信』 大正十三年拾弐月号 第百卅号 に掲載のもので、九月十四日午前九時東京駅に到着した梅蘭芳一行の出迎えの様子である。

 支那劇界大立物梅蘭芳一行来

 大行社員との間に妙な葛藤まで生んだ大倉〔喜八郎〕男爵米寿の宴に招かれた支那劇界の大立者梅蘭芳夫妻の一行四十九名の一座は天津まで出迎えた大倉男の令孫銀三郎氏等と十三日神戸入港の南米丸〔南嶺丸の誤り〕で来朝した梅蘭芳の姿は卅才と思はれない程の艶麗さである。写真は東京駅頭帝劇関係の出迎へで右より嘉久子、梅幸、日出子、梅蘭芳、延子、律子、〔松本〕幸四郎、山本専務の順。

 Mei Lan-fang and his party numbering 49 arrived at Tokyo Station at 9 a.m. on October 14,being vociferously welcome by many personages of eminence. The picture shows (from right) Miss. Kakuko,Baiko,Mei Lan-fang,and Miss Ritsuko Mori. 

 上右の写真:  『歴史写真』 大正十五年十月号 第百五十九号 の「芸界雑信」に掲載のもの。

 予て満鮮巡業中であった守田勘彌、村田かく子、東日出子、諸氏の一行八月二十日北京に入る。写真は停車場に支那の名優梅蘭芳の出迎へを受けた光景。

 北京の勘彌一行、右より日出子、秀歌、かく子、梅蘭芳、勘彌諸氏



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