梅蘭芳吹込 ニッポノホン ワシ印レコード 株式会社 日本蓄音器商会
曲種
支那劇 西施 一枚
同 紅線盗盒 御碑亭 一枚
同 天女散花 廉錦楓 一枚
同 貴妃酔酒 一枚
同 六月雪 一枚
支那楽 太湖船(小開門接 夜深沉 一枚 梅蘭芳随伴 民国一流楽
ワシ印レコード正価一枚 金壱円五拾銭
この梅蘭芳のレコード広告は、『アサヒグラフ』 三巻二十二号 大正十三年〔一九二四年〕十一月二六日 にあるもの。
○ レコード
15474-A 支那劇 西施 (梅本)(上)梅蘭芳
15474-B 支那劇 西施 (梅本)(下)梅蘭芳
歌詞カード
二黄慢板 水殿風来秋気緊。月照宮門第幾層。十二欄干倶凴盡。
続 独歩虚廊夜沈沈。紅顔空有亡国恨。何年再会眼中人。
15475-A 支那劇 紅線盗盒 (梅本) 梅蘭芳
15475-B 支那劇 御碑亭 (古本) 梅蘭芳
15476-A 支那劇 天女散花(梅本) 梅蘭芳
15476-B 支那劇 廉錦楓 (梅本) 梅蘭芳
歌詞カード
・天女散花(梅本) 一五四七六 A
天女 梅蘭芳
西皮慢板 祥雲、冉冉、婆羅天。離却了、衆香國、遍歴大千。諸世界、好一似、青雲過眼。一霎時、又来到、畢鉢巌前。
・廉錦楓(梅本) 一五四七六 B
廉錦風 梅蘭芳
西皮原板 遭不幸、老巌親、窮辺喪命。高堂上、只剰下、年萬娘親、嘆老親。又得了、陰虚之症。用海參、療此症。貨賣無人。無奈何、纔学得、暗通水性。長日裏、取海參、帰奉萱庭。
支那楽 太湖船(小開門接 夜深沉 一枚 梅蘭芳随伴 民国一流楽
15479-A 支那楽 太湖船 (蕩湖船) 徐蘭元 何斌奎 孫惠亭 霍文元 李善卿 羅文田 唐錫光
15479-B 支那楽 小開門接 夜深沉
○ レコードの吹き込み :次の二つの文などで紹介されており、十三年の十月下旬におこなわれたとのことのである。
1.「或る日の梅蘭芳 日本女流音楽家連対面のこと YH生」 :『劇と映画』 第二巻第十二号 〔大正十三年十二月号〕
或る日の梅蘭芳
日本女流音楽家連対面のこと
YH生
一
それは薄ら寒い十月下旬の或る日の午後であつた。その頃まだ梅蘭芳は彼の嬋娟たる容姿を毎日、初開場の帝劇にあらはして観衆を陶然たらしめてゐたのであつた。
その東洋第一の人気俳優と云ふても恐らくは過言であるまいと思はる名女形が、赤阪は霊南坂上の日蓄に来るといふ電話があつたので、余は彼の素顔と音吐を親しく見もし聞きもしたいと思つて、早速自働車を傭つて駆け附けて行つた訳である。
「梅さんは恐ろしい朝寝坊ださうですね?」
日蓄の応接間の一室で、やがて先触れにやつて来た通弁兼マネーヂヤーを捕へて斯う訊ねると、彼は頭から黙首いて見せた。
「寝坊々々!午前の日を見たことのない寝坊!」
通弁子の語調も可笑しかつたが、支那の俳優も日本の俳優も、由来午前十二時までの時間はないことになつてゐるのも妙な芸術家生活の一致であり、日支親善であると思ふと自然に微笑を浮めずにはゐられなかつた。
二
問題の梅蘭芳がまだ姿をあらはしさうな気勢もない時、応接室にはテーブルに美しく熟した果物と洋菓子などが運ばれ、ストーブにはめらゝと火が貼ぜられた。余は晩秋のうす寒きに軽い慄きを覚えながら暖爐の傍(かたわら)に縮こまつてゐた。そこへ驚くほど身丈のスラリとした若い耳隠しの美人があらはれた。それこそは若手の女流声楽家として急出しかけて早川美奈子さんである。つゞいて曾我部静子さんがあらはれる。
「梅さんは?」
「まだのやうですわ。」
今度こそは と思つてゐるところへ、これも驚くほど背の高いジェームス・ダンさんが瀟洒な背広でやつて来た。
「あら、ダンさん、妾あなたにお目にかゝりたいと思つてたのよ」
と、斯う云ひながら室に入つて来た愛嬌溢れるやうな美形は、これも声楽家として有名な松平里子さんである。ダンさんと近づいて頻りに伴奏などの注文やら稽固の日取の約束やら、その道の打合せをやつてゐた。
「時にお客様は?」
「まだです。大変遅いですね。」
と 会話はそれからそれへと写声の話などに移る。
◇日蓄の庭園に於ける梅蘭芳
◇松竹座の舞台に於ける河合武雄と梅蘭芳
夕日は斜めに窓を漏れて力弱くなつた頃、ドヤゝと練り込んで来たのは黒ビロードの支那服を着けた優男の梅蘭芳を眞先に、赤い花の一輪を髪に芳した梅夫人、あとは胡弓だの銅羅(どら)だの太鼓だのと銘々に携へた楽師の面々。室に入り来るや否や、チイチイパアゝ、さすがに梅は悠揚と落着きもあり、気品もあつて奥床しい。
三
やゝ暫くテーブルを圍んで日本の女流声楽家達と談笑の末、別項写真〔文中最初の写真〕にあらはれてゐる如く幽遂な庭園で記念撮影をして、さて梅氏一行は日常の吹込室へと姿を消した。
名優梅蘭芳が舞台の呼吸とはまた違ふと見えて、どうしても吹込みのラツパに眞向きの姿勢にならないと行つて一同が心配する。通弁先生は「由来支那の芸術や音楽は一種独特だから、先生のいふ通りにさせて見なさい。」と気焔をあげる。
日蓄吹込技師のギリンガム氏が 「技術を命ずるのではないが方法は駄目だ。」と焦立つ。従つて竹中技師も「それでは入らぬ。斯うして呉れ。」と頼むやうにいふ。会社の関係者は皆々大心配。
「いや、支那の音楽は独特だ。」
またしても夫一点張りで押通さうとする通弁先生、それに続いて楽師連中、只に雀の囀(さえ)づる如くチイゝパアゝ此の処暫く混線の有様であつた。
梅はさすがに微笑を含みつゝ、供のさゝげる筒茶碗の白湯をすゝりながら、時々手真似で一同に命令を下す。立派な指揮者である此の間遥か後ろで悠々と椅子に凭つて時々舞台監督の如き調子で口を挟むのは梅夫人であつた。
斯くて日の暮れる迄の間に支那劇の名曲「西施」や「天女散華」や「貴妃酔酒」や梅が特意として世界に誇る名曲が次から次へと写声されて、やがては、それが全国の家庭に聞かれるであらうし、支那の家庭に聞かれるであらうし、支那の名優が日本を去つても、永久に彼の豊かに潤ひに満ちた肉声は記念に残されて、いつまでも聴く者の魂ひに響くのである。余は此日、梅の音楽に接すべく熊々(わざわざ)出て行つたことを幸福だつたと思はずには居られない。
2.「梅蘭芳の吹込みを見る (霊南坂日蓄会社にて T.T生)」:『音楽と蓄音機』 十二巻一号 〔大正十四年一月〕 〔下は、その抜粋〕
黒ビロードの支那服を着けた、美男の梅蘭芳を真先に、赤い花の一輪を髪に挿した梅夫人、それに続いて胡弓だの銅鑼だの太鼓だのを銘々に携へた楽師の一行が、此一屋に雪崩れ込んで来た。
日の暮れるまでに先づ支那の名曲「西施」が吹き込まれた。美しい梅蘭芳の唱と原始的な而も繊細な味のある音楽と共に得意の「天女散花」や「貴妃酔酒」や「紅線伝」や其他数種が次から次へと写声されていつた。やがて是れ等の世界に誇る名曲が全国の家庭にて聞かれる事と思ふと、支那の此名優が日本を去つても、永久に彼の豊かな霑ひに満ちた肉声はいつでも聴かれる喜びを私は知つて会社を出て坂を下つた。
○ レコードの発売
:『ニッポノホン』 十二月々報 株式会社 日本蓄音器商会 の見返しには、支那服の梅蘭芳の写真があり、その下に「梅蘭芳氏がワシ印に吹込みましたレコードは近日発売いたします」とあり、掲載の「ワシ印レコード十二月新譜」でも一五四七三までなので、大正十四年〔一九二五年〕一月と推測される。
なお、宮沢賢治も支那劇の『天女散花・廉錦楓』(15476)など4枚を所蔵〔『宮沢賢治の音楽』(佐藤泰平・筑摩書房)掲載の宮沢賢治の「レコード交換用紙」参照〕。
○ 現在
支那楽を除く、上のレコードは、すべてCDでも聞くことができる。少し古いが、例えば、
『梅蘭芳 老唱片全集』 梅蘭芳一百一十周年誕辰記念 中国唱片上海公司出版発行
その解説書には、演者・演奏時間・歌詞なども記載されてる。