蔵書目録

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「ゲイチイ座の『サロメ』」 佐佐木信綱 他(1912.12)

2021年03月11日 | 演劇 貞奴、松井須磨子他

   ゲイチイ座の『サロメ』
                           佐佐木信綱

 天井も壁も一樣にしづかなクリーム色にぬられたのが如何にも感じがよい。ボックスのうしろの廊下の廣やかなのも心地がよい。
 同行の廣瀬君が、ワイルドの著作集をもってゐられたので、大意を聞く事が出來た。フロオオンスの悲劇は、ギイトオとビアンカとの兩人が戀についてなす對話のところを面白く思った。シモンがギイトオを殺す所は、仕草が大瞻である。結末のギイトオと妻との對話も意味深さうにおもはれた。
 サロメは、背景や王の衣裳が粗末であった事に興味をそがれたが、王の不安の表情は印象が深かった。
 サロメが舞をまふ前のオオケストラは、感興がそ〻られるように覺えた。結末の暗くなってからの塲面の感じは、何とも云ひ樣がなかった。
 近頃しばゝ演ぜられて、幾種類か見るを得たイプセンの劇の深刻なとはちがって、如何にも豊かな詩歌的情調を吸ふ心地がした。
 自分は日本に於いて初めて演ぜられたサロメの看客の一人であった事を喜ぶ。

   ウイルキー一座の沙翁劇  〔下は、そのサロメを述べた部分〕  
             仲木貞一

 ウイルキー一座が沙翁劇と近代劇を一緒に持って來たと云ふ事は、隨分私達の興味を引付けた。今日(十四日)まで帝劇で演 や った沙翁劇は皆見たが、唯九日の一度横濱で見たサロメの方が、寧ろより多く私の頭に殘って居るやうに思ふ。
 先づ序 ついで だから『サロメ』から始めやう。その日『サロメ』の前に『フロレンテイン、トラヂデイ』を見たがこれにはウイルキーとかワットとか云ふ主だった役者が出ずに、その他の役者ばかりでやった。
 『サロメ』の幕が上った時光線の取り方は非常に好かった。舞臺は正面に金紙を張った戸が二本立って居てそれが入口になって居る。下手の所には大きな井戸があって、これには金紙が卷付けてある。上手の方には王の坐 すわ る椅子がある限 き りで、背景 バック は全體黑幕となって居る。そして正面の金の柱の所には松火 たいまつ が朦々と煙を立たせて居る。煙が漲 みなぎ った舞臺には、半裸體の兵隊が立って居る、先づ見るからにエキゾチックな感じを與へた。サロメに憧れるシリシア人の隊がサロメの美を稱へて居る所へ、サロメが這入って來て井戸の中の豫言者ヨカナンの聲を聽くと、奴隷に命じて井戸から豫言者を引擦 ひきず り出させる。豫言者は一寸生蕃人とでも云ったやうな風であった。この姿を見た見物はどッと笑ひ出した。寧ろその中には日本人の見物より外國人が多かった。日頃聖書に親しんで居る彼等 やつら が斯う云ふ豫言者の現れを見たからであらう。豫言者は盛んに豫言をする。サロメはそれにキッスをしようとして四五度 たび 鋭い聲ではねつけられる。その時のサロメの形が非常に好かった。豫言者が又井戸へ這入って行った後で、サロメは幾度も井戸を覗いて見るが、その度毎にサロメの姿が變って居る。この邊 あたり 一寸した事にも注意を怠たらなかったのは、流石に好 うま いと思はせられた。ウイルキーの扮したヘロドーは、自殺した大尉の顔を見ると玉座に着くが、恐怖に耐えないらしい。月の色が云々 うんゝ と、ワイルドの塗って塗って塗ったくッた白 せりふ をしゃべる具合や、その科 しぐさ などが大變うまかった。そして又サロメに對しては人の變ったやうな優しい聲を出して呼びかける。サロメは裸足 はだし でうすい布を被って舞ひ出す。その姿は如何にもなまめかしかった。それから又サロメがヨカナンの首にキッスを注ぐ時、丁度唇のあたる邊へ一直線の紫色の光線を射すが、非常に効果あるものであった事も事實である。一體にワッツと云ふ女優は近代的の物により多く成功しさうであるし、ウイルキーの方は白廻しが如何にも好かったので、これは沙翁物でも確かに成功しさうに思はせられた。

 上の文は、いずれも大正元年十二月一日發行の雜誌 『歌舞伎』 第百五十号 歌舞伎編輯所 に掲載されたものである。



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