蔵書目録

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「國性爺後日合戰」 (明治座) (1911.11)

2022年01月14日 | 演劇 貞奴、松井須磨子他

 

明治座筋書  

  第一 北嵯峨闇挑 きたさがだんまり  一幕
  第二 辨天娘男白波  二幕
  第三 國性爺後日合戰 こくせんやごにちがつせん 二幕
  第四 遠山櫻天保日記 五幕 

中幕

(東寧國性爺本城の塲)
 
日本風に造りたる普請の結構にて爰 こヽ に北の方小睦 こむつ 一子錦舎太平記の素讀 すよみ をなし家來萬禮 ばんれい 之を説き楠金剛山の戰記に至り其軍略を語りて國性爺樣にも高樓 たかどの にて軍書を播 ひもと かれあり頓 やが て韃靼 だつたん を打亡すべしと勇む(萬禮)戰場に臨んでは水に渇 かつ せば血を啜 すヽ り腹空かば手負馬を咬 かじ つてもと腕を振 やく していふ爰へ物見の勇伸來たり小睦は鈴の綱を引き注進ありと呼ぶ國性爺日本の形 なり にて出て其仔細を問ふ(勇伸)されば暹羅口の離れ嶋へ韃靼の大將渡り邪法を以て萬民を惑はし金銀を與へ戰はずして亡す手段なりと告ぐる(國性爺)彼奴 きやつ ら風を喰 くら はぬ中 うち 搦 から め取れといふに萬禮逸散と馳せ向ふ爰へ再び英敢なる者注進に來たり惡黨大槪は縛 いまし めたると萬禮は老一官鬢髭黑く染めたる異人四五人引立て出て來たる見れば我父一官公なり城中金銀なく日本へ金 かね 調 とヽの へに渡らせ玉ひしが夫 それ となく邪法に入り金を請ひ受け送られし御慈悲なりしかと悟れども國禁の邪法に入りし罪ゆるしがたく爰に胸を痛む(一官)神仙不死の藥でも百年 さい 生 いき ぬ此體 からだ 國法に行はれよ(國)萬禮彼れは重罪人なれども神妙の白狀三日三夜 みはん 船底に首枷して暴 さら すべし死罪は後日に沙汰せんとて是 これ を引立て濵表 はまおもて へ引 ひか れ行く
 
(同濵表刑塲の塲)
  
爰に一官其外船の底をくりぬき首枷なして萬禮ら是を見張る物凄き此時北の方小睦 こむつ 密かに忍ひ出て垣を破り萬禮に乞ひ夫は我 わが 舅御 しうとご なり奪ひ去る見逃してといふ萬禮も其時初めて主君の親人 おやびと と知り驚ろく夜は明放れる小睦は一官を見て潜 さめ 〱と涙にくれ(小睦)父上とて助けては依估と成り今韃靼大明鉾先を爭ふ眞最中天下の大事を振捨て武勇の名を汚しては不忠不孝これ國性爺が一生の浮沈夫の爲に奪取 うばいとつ て日本へ越 おもむ く心得と泣叫ぶ爰へ國性爺錦舎を連れて來たり許すべき道なしと頓 やが て刑罪に行はんとする時俄かに雨降り一官の染たる鬢髭の墨流れ落ちて白髪と成る錦舎始めて祖父 ぢい 樣かと縋り付く小睦共々助かるすべもなき事かといふに國性爺は此張本を殺しては餘類詮義の手蔓 つる を失ふ道理と外罪人を斬つて暫し助け置くべしと命ずる囚人 めしうど は其不仁を 呌 さけ ぶ老一官是を聞き(一官)遉 さす が平戸の浦賤 うらまづ しき漁村に生れしとて大國の武將となる氣象は持たぬかサア速かに一官を切れされば延原王國性爺は政道に私 わたくし なしと招ずして人從はん九十に近き老 おい の命國の爲子の爲孫の爲めに死ぬるに何惜しからんと自ら首を刎ねて死する國性爺其首を伏拝 ふしをが み四百餘州に押渡る餞別 はなむけ なりと勇み立また愁ひに沈む 

 明治四十四年十一月廿一日發行



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