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河合奈保子

2008年03月31日 23時08分07秒 | 音楽(記事)
「河合奈保子・しんぐるこれくしょん」
 これの1~20を聴いてみて

一番良かったのは「けんかをやめて」だった。
竹内まりあ作詞作曲の曲です。
これはポップ調からの脱皮の曲のようですが、そんな事は関係ない。
NHKが実施したアンケートでは彼女の曲が600位以内に一つも入っていない。
紅白歌合戦に6年も出場しているのに。
確かに大ヒットは無かった。
事実、私も当時は全然関心がなく、聖子に向いていたような。
他にも良い歌はいっぱいあるが「スマイル・フォー・ミー」あたりが記憶に残っている。
ユー・チューブでは「エスカレーション」が目立っていた。

歌そのもの、つまり歌唱力もある。
個性もある。
歌の表情もある。
いろいろアイドルを調べているが、彼女はやはり上の部でしょう。
声もいいし。

一番殿方が注目しているのは、体のヴォリュームだろう。
確かに私もこのような女性は大好きだ。
でも顔もいいね。アイドルがブスなわけないね。

彼女は腰を骨折したことがある。
調べたら何とNHK「レッツゴー・ヤング」のリハーサルで起きたらしい。
デビュー二年目、1981年10月5日
リハーサルの最終チェックでステージに飛び出した時、起こった。
ステージの小ゼリから落ちた。
不幸中の幸いは、セリの下に保安係員が待機していて、彼女を受け止めた事。
第一腰椎圧迫骨折、頭部挫傷(皮下血腫=コブ)、左側頸部及び左大腿部挫傷。全治二ヶ月。
その年の11月30日に「夜ヒット」で復帰、12月5日に「ラブレター」復帰第一弾シングルを発売。

その時、同期の松田聖子は泣き出してしまった。
奈保子はヒデキの妹オーディションでデビューしたが、西城秀樹は「ぼくが代わってあげたかった」と絶句した。

ところで、その時、松田聖子は番組の司会をしていた。
太川陽介、田原俊彦、松田聖子がその当時「レッツゴー・ヤング」の司会者だった。
聖子ちゃんは前年はサンデーズメンバーで皆のなかで踊ったり歌ったりしていた。彼女を捜すのに苦労した思い出がある。
奈保子の事件の頃何を歌っていたのか、「白いパラソル」か「風立ちぬ」だろう。
わたしはどちらを歌っていたのだろうとそちらが気になってしょうがない。
10.7発売の「風立ちぬ」の可能性が高い。
これは名曲ですよ。
また聖子モードになりそうなので、このへんで。


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1 コメント

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河合奈保子さんの水着画像について (巽孝一郎)
2009-02-27 11:33:19
河合奈保子さんが着ていたビキニの水着画像ですが出来たらワンピース水着画像への動画配信の方へもよろしくいうことで、
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