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若井小づえ みどり

2009年08月28日 16時16分39秒 | You Tubeー音楽以外
若井小づえ・みどりは、元漫才コンビ。吉本興業大阪本部所属。師匠は若井はんじ・けんじ。 小づえとみどりは友人同士で結成。師匠の若井はんじ・けんじへの弟子入りの際、二人から「女芸人はナンボ一生懸命指導しても結婚してやめてもうたら意味ないから」独身を通す事を条件に師事を許された。そのため双方は永年独身を通し、それをネタとウリにした。師匠の若井けんじが交通事故により急逝後、みどりは結婚したが、小づえは生涯独身を通し、51歳の若さで世を去った。

当初、若井こづえ・ひとみの名前でケーエープロダクションに所属。大阪梅田のトップホットシアター(東宝系の演芸場)を中心に活躍した。その後、師匠の反対を押し切り吉本興業に移籍。漫才ブームでは最後発ながら時流に乗ることができた。

「結婚したい」を「嫁に、もぉてぇ~!おっきがぁるに♪まァだ無いかァ~?」のフレーズを中心に強くアピールする小づえを突っ込み、あしらいつつ進行していく芸風。解散については、みどりの結婚に伴い双方の立場に差がついてネタが出しにくくなったとの説と、みどりが正式入籍を皆に隠していたことに小づえがキレたとの説とがある。

若井小づえ(1947年12月21日 - 1999年1月13日、本名、五十嵐 雍子(いがらし ようこ))
大阪府大阪市出身、血液型AB型、ボケ役。服装にこだわり、日本で初めてファッション・スタイリストを専属で自ら雇った女性漫才師。濃い化粧と、スタイルのよい長身(みどりは割合小柄である)に個性的なファッション、その頭上には大ぶりな帽子を被り、「嫁にもぉて!」「おっきがーるに!」と客席への激しい結婚願望のアピールを特徴とする。基本的にアピールはギャグで実らないが、客が「もぉたる!」と叫んだことがあり、その時は驚きのあまり舞台そっちのけで相手を探し回るほど(そして照れていた)。
名前の表記が「こづえ」→「こずえ」→「小づえ」と変わっている。
解散後は吉本での芸人としての活動を続ける一方、永年鍛練していたヨガの指導者を努めていた。みどりと違い生涯独身を通し、よい意味で悠々自適の日々を送っていた最中の1998年年末、仕事の打ち上げパーティの席上でクモ膜下出血を起こし、その場で救急搬送されるも、意識の回復せぬまま、51年の太く激しく短い生涯の幕をひいた。

若井みどり(1946年7月29日 - 、本名、北浦 也寿子(きたうら やすこ))
大阪府大阪市出身、血液型O型、突っ込み役。小づえに振り回される役どころを持つ。夫は会社経営者(芸能界とは無関係)、永年入籍をしていなかった。みどりと夫が正式入籍に踏み切ったのは師匠の若井けんじの死去が機だったといわれる。
解散してからはソロで活動し、日曜笑劇場の舞台にも出演していたが、2000年からはモノマネタレントのメグマリコを相方にして漫才活動を再開(若井みどり・メグマリコ→新小づえみどり)。バラエティー生活笑百科に上沼恵美子の代役でスポット出演することがある。
2007年夏、新小づえみどりを解散。家で漫才番組を見ていたみどりが、若手の台頭を目の当たりにして「自分たちがやっていくのはこれ以上無理だ」と感じ、メグマリコに解散を申し出た(「こころ晴天」の番組内でみどり自身が明かした)。
2007年10月吉本新喜劇に入団、日曜笑劇場にゲスト出演した時を含め、顔が丸いことから「自転車のチリンチリン」「シイタケの裏」「トイレのカラーボール」などといじられる(このネタは漫才時代と同じである)。


若井小づえ みどり



この漫才、大好きだった。
小づえさんが若くして亡くなったのは知っていたが、それ以前に解散していたんですか。
これほど強烈なキャラクターは滅多にでないんじゃないかな。
女性漫才としては、かなりレベルが上だと思います。

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-01-14 00:14:46
小づえさんがなくなり、21年と1日が経ち、サイトからお線香や花はお供え出来ますが、実際にお墓に行きたいと思うてます。ご存知だったら教えてください。
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