ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

家康の遺訓に寄せて

2018-01-19 06:56:12 | 病状
 このところ “楽になる / 楽になった” を記事にしてきましたが、今回はこの気分を象徴しているような徳川家康の遺訓にからめた話をします。

 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し・・・」ご存じ有名な家康の言葉です。還暦を迎えた年の丁度今頃に書いた遺訓だと言われています。天下分け目の関ヶ原の戦いに勝利して3年経ち、江戸幕府開幕直前の時期に述懐したもののようです。

 天下を統一して平和な世に目処をつけ、ちゃんとした世継ぎにも恵まれた家康ですが、決して順風満帆な半生ではなかったといいます。それだけにいかにも人生の重荷を下ろしたことで “楽になって” (ホッとした心境で)、それまでに味わった苦い経験から得た教訓を述べたものでしょう。

 有名な川柳「鳴かぬなら・・・ホトトギス」は後世の人が詠んだものだそうですが、「殺してしまえ」の信長、「鳴かしてみよう」の秀吉、「鳴くまで待とう」の家康を並べてみると三人三様の人となりが的確に表現されています。上の遺訓と並べてみると、決して無理をしないという家康の人生観が言い尽くされていると思います。もうじき67歳を迎える私ですが、遅ればせながら私にもこの言葉の味が判るようになりました。

 私の40~50代は、文字通り試練の連続でした。事あるごとに問答無用の二者択一を迫られていた40代、生きる支えとしていたものが目の前で一つひとつ削がれていった50代。主に仕事上でのことながら、思い通りにならない人生に苛立っていました。定年を目前にし、目に見える形のものを未だに残せていない危機感に焦っていたのだと思います。

 そして迎えた定年退職。今思えば義務感に囚われて(?)の仕事でしたが、それがなくなっただけのことなのに、これで人生も終わったとまで思い込んでしまいました。心にポッカリ空洞が開いたようで、もうどうにでもなれと目が覚めたら直ぐ発泡酒に手が・・・、それが朝のお茶代わりとなって連続飲酒の毎日が始まりました。そして案の定、その1年半後には死の瀬戸際まで追い込まれたのです。

 「生き残らねば・・・」という命題は、誰もが共通して背負っている人生の重い宿命です。これは家康だろうが誰であろうが皆平等です。思い返せば、当時の私はそのことに薄々気づいていながら、その重荷にただ悲鳴を上げていたのでしょう。ひょっとしたら、むしろその重荷に依存していたのかもしれません。だから定年退職という事実が受け容れ難かったのだと思います。

 このことに気づき始めたのは酒を断って丸2年が過ぎた頃からでした。こんな私でも自立できるまで息子2人を育て上げていますし、ささやかながら自分の持ち家もあります。そして仕事の上でも、曲がりなりにも商品化までこぎ着けた物もあるのです。そう気づいてやっと、完全退職した事実を受け容れることができました。アルコールの底なし沼から抜け出せて、やっと目覚めた後の “気づき” でした。

 天下統一という家康の偉業にはほど遠いのですが、私も最低限ながら、課された命題を自分なりに懸命にこなしてきました。こんな穏やかな気持ちで過去を振り返ることもできています。そう思うにつけ、結構そこそこの半生を過ごしてきたのではと少し誇らしくもあるのです。こんな大それたことを言ったら、さすがにバチが当たるでしょうか。

 とても味のある内容なので、家康の遺訓の全文を載せておきます。

         *   *   *   *   *
 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし
 急ぐべからず
 不自由を常と思えば不足なし
 こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし
 堪忍は無事長久の基
 いかりは敵と思え
 勝つ事ばかり知りて
 負くること知らざれば害その身にいたる
 おのれを責めて人をせむるな
 及ばざるは過ぎたるよりまされり

                  慶長八年(1603年)正月十五日



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コメント (3)
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