“楽になる / 楽になった” という感覚は、アルコール依存症者にとって心の回復の一里塚なのかもしれません。今週と来週の二回に分けて、今一度感覚について考えてみます。
“楽になる / 楽になった” という言葉は、ひょっとして閉塞感を伴った経験をそれなりに積んだ者でないと出てこない言葉なのでしょうか? 奇妙な話ですが、私はつい最近まで “楽になる / 楽になった” という言葉を知らず(?)に生きてきたのではないかと自分自身訝しく思っています。
言うまでもないことですが、心に背負った重荷から解放されて初めて味わえる感覚が、“楽になる / 楽になった” という感覚だろうと思います。その対極にある閉塞感は心の重荷の代表格で、その感覚を表わす言葉は “辛い / しんどい” でしょうか。
この半生を振り返ってみると、私にもその後の運命を決した重大な転機がいくつかありました。中でも大きかったのは、二浪してやっと叶った大学入試の合格や、担当化合物が晴れて新薬となれるか否かを決した二重盲検比較試験の開鍵でしょうか。いずれも丁か半か二者択一のサイコロ賭博のようなものでした。
これら二つの出来事は長年の苦労がやっと報われたという点では共通していましたが、正直解放されてホッとしたというのが当時の本音でした。どう思い返してみても、出て来たのは “楽になった” という言葉ではなかったのです。それもそのはずで、その頃は将来が前途洋々、閉塞感などどこにもなかったのです。
こんな話もありました。私がまだ小学生だった頃のことと思います。忙しい農作業の合間を縫って、夏休みに家族で近くの温泉に行くことがありました。温泉から上がったばかりの母がよく口にしたのが、
「極楽、極楽! あぁ、楽になったぁ!」という言葉でした。
「(まるで、婆ぁさまみでぇだな)」それを聞いて私はこう思っていました(岩手弁です)。
稲作主体の農作業は、年にたった一回の収穫を目指して際限なく続くものです。どうにもならない自然が相手で、除草などで手抜きでもしたら忽ち収穫減となりかねません。どんなに頑張っても収入増があまり見込めない業種ですから、それなりの閉塞感があったと思います。
そんな “辛い / しんどい” 農作業を懸命に堪えてきた母ですから、温泉浴が束の間の息抜きとなって、つい口にしたのだろうと思います。そう察しもできずに、私には何とも年寄り臭い言い方だと思えたのでした。
私も多少は、農作業の手伝いをしていたのですが、母の背負っていた辛さは子どもの手伝いぐらいでわかるヤワなものではなかったのです。今となってみれば、この言葉を使えるようになるには、どうやら相当 “辛い / しんどい” 年季(?)が要るように思えてなりません。(この項つづく)
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“楽になる / 楽になった” という言葉は、ひょっとして閉塞感を伴った経験をそれなりに積んだ者でないと出てこない言葉なのでしょうか? 奇妙な話ですが、私はつい最近まで “楽になる / 楽になった” という言葉を知らず(?)に生きてきたのではないかと自分自身訝しく思っています。
言うまでもないことですが、心に背負った重荷から解放されて初めて味わえる感覚が、“楽になる / 楽になった” という感覚だろうと思います。その対極にある閉塞感は心の重荷の代表格で、その感覚を表わす言葉は “辛い / しんどい” でしょうか。
この半生を振り返ってみると、私にもその後の運命を決した重大な転機がいくつかありました。中でも大きかったのは、二浪してやっと叶った大学入試の合格や、担当化合物が晴れて新薬となれるか否かを決した二重盲検比較試験の開鍵でしょうか。いずれも丁か半か二者択一のサイコロ賭博のようなものでした。
これら二つの出来事は長年の苦労がやっと報われたという点では共通していましたが、正直解放されてホッとしたというのが当時の本音でした。どう思い返してみても、出て来たのは “楽になった” という言葉ではなかったのです。それもそのはずで、その頃は将来が前途洋々、閉塞感などどこにもなかったのです。
こんな話もありました。私がまだ小学生だった頃のことと思います。忙しい農作業の合間を縫って、夏休みに家族で近くの温泉に行くことがありました。温泉から上がったばかりの母がよく口にしたのが、
「極楽、極楽! あぁ、楽になったぁ!」という言葉でした。
「(まるで、婆ぁさまみでぇだな)」それを聞いて私はこう思っていました(岩手弁です)。
稲作主体の農作業は、年にたった一回の収穫を目指して際限なく続くものです。どうにもならない自然が相手で、除草などで手抜きでもしたら忽ち収穫減となりかねません。どんなに頑張っても収入増があまり見込めない業種ですから、それなりの閉塞感があったと思います。
そんな “辛い / しんどい” 農作業を懸命に堪えてきた母ですから、温泉浴が束の間の息抜きとなって、つい口にしたのだろうと思います。そう察しもできずに、私には何とも年寄り臭い言い方だと思えたのでした。
私も多少は、農作業の手伝いをしていたのですが、母の背負っていた辛さは子どもの手伝いぐらいでわかるヤワなものではなかったのです。今となってみれば、この言葉を使えるようになるには、どうやら相当 “辛い / しんどい” 年季(?)が要るように思えてなりません。(この項つづく)
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