ふたたび、ご近所の川にまつわるおはなしを。。

まずは目黒駒場東大周辺の明治末頃の地図がこちら👆
ソラガワか。。
川の名前としての響きは良いけど、なんだか今の暗渠を予見していたような名前ですが、、ともかく源流から探ってみましょう❗️
🐾
🐾

公園でしきりに鳴いていたシジュウラくんからのスタート。

こちらは古地図1番の目黒区駒場野公園👀
まず、空川の最初の一滴は、そんな野鳥の鳴き声が響くこの公園からはじまりますが、源流探しの初っ端から湧水を確認することが出来ました👏

この湧水の恵みは、明治の黎明期に農学校の実習田として利用されたようでして、古地図には確かに谷間を田んぼの記号が続いています。
ここは、現在ケルネル田圃と呼ばれていて、都会で見られる貴重な田んぼ。

ここは古地図2番の駒場東大第一キャンパス内、坂下門口の小川👀

こうして、2箇所から湧き出た流れは駒場東大駅のガードを越えた、このあたりで合流して、いよいよ空川になるはず❗️(古地図3番)

が、出だしからいきなり立ち入り禁止路に💧💧

この先も、歩いちゃダメ❗️と赤い札が、シート張りの殺風景な暗渠への立ち入り禁止を無情にも訴えてます。
近くを流れる北澤川は、同じ暗渠でも、今は住民に優しいお散歩コースになっているのに。。

ますます護岸の積み上げが高くなっていますが、確かにここは古地図では等高線がかなり詰まっている場所のようですね👀

こうして川跡を眺めながら辿っていくと二股に出ました。

古地図で位置を同定して、なんとか近くのマンションの敷地に暗渠へと降りる階段を見つけました。

再び、縫うように続く狭い暗渠を崖上から追いかけていきます👀
家屋が迫った細い水路跡は、当初の大切な灌漑の役割から、裏路地の生活排水路へと変わっていった川の姿が偲ばれますね。。

やっと川底まで降りられそうな階段を見つけました❗️
眺望が効くこの高台からは渋谷の景色を見下ろすことができました。(古地図7番)

まずは目黒駒場東大周辺の明治末頃の地図がこちら👆
地図の北側には以前歩いた三田用水が流れていますが、今回のお散歩はその崖下を流れるこちらの空川❗️
因みに青い彩色は、ワタシが入れていますが、よくよく見ると、川を挟んだ北側と南側の等高線が細かく迫っているため、ここがかなり深い谷になっているのがわかりますよね❓
古地図を見ると、川の水源らしき三ヶ所(駒場野公園、駒場東大の坂下門口、駒場東大の一二郎池周辺)は、まさに駒場東大の周辺で、散歩を兼ねて回れそうだ。
ソラガワか。。
川の名前としての響きは良いけど、なんだか今の暗渠を予見していたような名前ですが、、ともかく源流から探ってみましょう❗️
🐾
🐾

公園でしきりに鳴いていたシジュウラくんからのスタート。

こちらは古地図1番の目黒区駒場野公園👀
まず、空川の最初の一滴は、そんな野鳥の鳴き声が響くこの公園からはじまりますが、源流探しの初っ端から湧水を確認することが出来ました👏

この湧水の恵みは、明治の黎明期に農学校の実習田として利用されたようでして、古地図には確かに谷間を田んぼの記号が続いています。
ここは、現在ケルネル田圃と呼ばれていて、都会で見られる貴重な田んぼ。
どうやら近くの学校の学生さんが農作業をしているようです。。

さて、もうひとつの水源へと移動します🐾
こっちも都会とは思えないくらいにきれいな水面でしょう?

さて、もうひとつの水源へと移動します🐾
こっちも都会とは思えないくらいにきれいな水面でしょう?

ここは古地図2番の駒場東大第一キャンパス内、坂下門口の小川👀
湧き出た水が水面で動いていますが、ホントに生きているんですね、、水って❗️

こうして、2箇所から湧き出た流れは駒場東大駅のガードを越えた、このあたりで合流して、いよいよ空川になるはず❗️(古地図3番)
…ですが、今ではここから暗渠に転じてしまうのですね。残念っ😓
この先は古地図を見ながら、見えない川の探検が始まります。
まずは、駅前のマンションの路地脇に、取っ掛かりとなる水路跡を見つけて、そこから流れを追っていくことにしましょう🐾

が、出だしからいきなり立ち入り禁止路に💧💧
(古地図4~5番あたり)

この先も、歩いちゃダメ❗️と赤い札が、シート張りの殺風景な暗渠への立ち入り禁止を無情にも訴えてます。
近くを流れる北澤川は、同じ暗渠でも、今は住民に優しいお散歩コースになっているのに。。

ますます護岸の積み上げが高くなっていますが、確かにここは古地図では等高線がかなり詰まっている場所のようですね👀
相変わらず、暗渠への立ち入りは禁止ですけど😑

こうして川跡を眺めながら辿っていくと二股に出ました。
ここ、ナンのこともない場所に見えますが、実は右に続く道は、徳川将軍が駒場野で狩をした際にたびたび通った「御成道」らしいのです😳
(古地図6番)
そんな、御成道に架かっていたといわれる旧御成橋あたりで肝心な暗渠を見失う事態に💦

古地図で位置を同定して、なんとか近くのマンションの敷地に暗渠へと降りる階段を見つけました。
が、、しっかり施錠されているため、またまた降りることは叶いませんね😓
そして、後で分かったのですが、このマンションの敷地に昭和のはじめ頃、マレーの虎と呼ばれた山下陸軍大将の邸宅があったらしいのです❗️
なんだか、都会の暗渠には、将軍やら大将やらといろんな要素が纏わりついているんですね、、😅

再び、縫うように続く狭い暗渠を崖上から追いかけていきます👀
家屋が迫った細い水路跡は、当初の大切な灌漑の役割から、裏路地の生活排水路へと変わっていった川の姿が偲ばれますね。。

やっと川底まで降りられそうな階段を見つけました❗️
眺望が効くこの高台からは渋谷の景色を見下ろすことができました。(古地図7番)