マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

かたつむりの食べ納め

2022-12-30 | いきもの(かたつむり)
いよいよ今年もあとわずかとなりました。。

そして、面倒くさい換気扇掃除の前に、わが家の貝どもの家を掃除することにした貝ぬしなのです。




掃除のために起こしてしまった貝にはお詫びの印にうまうまを与えます。

ひと月ぶりのうまうまを顔いっぱいに抱え込んで食べてる姿はなんだか健気だな。。😌




こちらはガツガツと食ってるようだっ😆



しかも2個も欲張って食べてますねー😆
隣でキミのなかまが物欲しそうな顔をしてるんだから、1個はあげてくださいよ〜。




が、あげたくないようだっ笑



そして、当然揉める。




渡せっ❗️



いやいやっ、だれがオマエになんて渡すかっ❗️



×%!〆〆💢💢…



と今年最後に珍しく火花を散らす貝ですが、、💧




あんたらのすぐ横にももう一個あるんだからさ、、、どっちかそれ食えよっ😅


🐌


🐌




ここ連日わが家からの峰々がきれいです。
では、よいおとしを。。

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世田谷 陸軍獣医学校の境界標石

2022-12-16 | 街歩き・歴史散歩

以前、敷地まわりを歩いたことのある淡島通りの陸軍獣医学校跡地で、新たに陸軍標石をふたつ見つけました。
以前に見つけた石とあわせて、旧陸軍施設の跡地に文字がはっきりと確認できる境界標石が現在3つも残っているのは、なかなか都会では珍しいような気がします。



まずは獣医学校正門のあった付近からの眺めを。。

師走も半ばをすぎると冬暮れの陽になんだか忙しなさを感じますな。。。




そんなことより石ですねっ😆
手前の石は以前にブログ記事で紹介した標石ですが、実はそのすぐ並びにもアタマだけがわずかに出ている石があったんですねー。




たしかに「陸」という文字が見えていますね👀

雑草が刈られて、周りがきれいになったため、近頃になって気づいてしまいました。




そして、もうひとつは富士中学校の正門横に建っているのをフェンス越しに偶然発見しました❗️

ここも旧獣医学校の敷地内ですが、土地の境界ではないため、おそらく他の場所から移ってきたような気がします。



確認までに近づいてみると、、



確かに陸軍と刻まれています。


3つの標石はすべてが中学校の敷地内にあるため、この先も貴重な歴史資料として失われることなく残っていくことでしょう。。😌


因みにフェンス内の標石は中学校の正門内のため、勝手に入ってはいけませんよー。念のためっ。


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長老かたつむりはわかっている

2022-12-14 | いきもの(かたつむり)


このところずっと冬眠を続けていたわが家の貝が起きてきた。

部屋の温度は大抵20度近くある。
だから、冬眠なんて要らないんじゃないか、、?と貝ぬしはいつも思っているが。



今ではオマエがとうとう最長老になってしまったのう。。😑

この貝はもともと多動で、見た目わかりやすい行動をすることが多い。
だから、今日も起きて真っ先に風呂に入りにきたようだ😌



しかし水は冷たいだろー?と貝ぬしが指で確かめると、これが意外にも暖かい😯

さすが長老❗️
確かにこれなら、ずーっと入っていたくなるわけだっ。



さて、貝ぬしはキミらのメシの準備をしようかな。
メニューはもちろんキミらの好物、うまうまですよー笑


コメント (2)
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世田谷 公務員宿舎跡地と謎の標石

2022-12-13 | 街歩き・歴史散歩
再び、境界標石のはなしを。。




近所を散歩をしていると何故か❓旧郵政省の社宅が多いことに気づくのです。



この空き地にも以前は細長くて寂れた社宅が建っていたのですが、いつの間にか残っているのはポストマークの境界標石だけになってしまいました。



少し離れたこちらのお宅の前にも標石だけが、取り壊されずに残っていました👀


郵政省の他、周辺には陸軍省の名が刻まれた境界標石もいくつかあったりするのですが、もし自分ちの玄関前に何故か石だけ残されるのなら、「陸軍」より「〒」のほうがワタシも見た目には良いかな…と。


話変わって、このあいだ。
用賀に所用で出かけた折に変わった標石を偶然見つけてしまいました。



ここもやはり国家公務員用の社宅跡地らしいのですが、、👀

どうやら広い敷地は近い将来、区の再開発で公園整備が計画されているそうですが、いまは只々不気味な空気が漂っています。。



で、なんとはなしに見ていると、隣のマンションとの境界に接して、パズルのように外壁にピタリとはまった細長い石があることに気付きました。



これは間違いなく境界標石のようです❗️

日競」と刻まれているようですが、石の雰囲気からするとおそらく戦後のもののようです。

うむ🤔
やはり調べてみたくなりましたっ📖




早速、昭和30年前後の地図を出してみます👀

どうやら、公務員住宅ができる以前にこの場所は東京農業大学の農場だったようです。

隣は馬事公苑。。
なんだかあやしいが、ひとまず、「日競」と結びつく記録が地図には見当たらないようです。



お次は高度経済成長期の航空写真に目を向けてみました👀

見るからに農地から住宅密集地へと一気に変貌していますが、こういうスピード感がまさに高度経済成長期ってことなんでしょうねっ🫢
農大の農地も公務員社宅へと変わっているのがわかります。

そして、「日競」の境界標石が立つ正方形の敷地にも幾つかの建物が建っているようですが、社宅とは建築の形状が明らかに違っていますね!


…これらから、この境界標石の持ち主の目星はつきました🕵️‍♂️

先述したように、ここが馬事公苑に隣接していることから、馬に関連する施設、、ズバリ!「日競」は日本中央競馬会の略だったのではないでしょうか⁉️


そのあと、改めて調べたところ、昭和37年に東京農業大学から日本中央競馬会がこの土地を購入した記録を見つけたのですっ👏👏


やはり、街のいたるところにちょっと目を凝らすと楽しいおもちゃは落ちているものですねっ。

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渋谷 宇田川水源地と町境について

2022-12-03 | 街歩き・歴史散歩
これまで山歩きをしていて、周辺でもひときわ高い山の尾根沿いや分水嶺が県境だったりすることがたびたびありました。

それはおそらくむか〜しは目に見える自然のさまを利用するほうが、人々がいろいろな意味での利便性を図るのに一番都合が良かったからなのでしょう。

ある地域と隣り合う地域を線引きするということは、むかしから決していい加減には出来なかったわけでして、全てに意味があるはずっ。
そんな例を先日の宇田川散歩から取り上げてみたいと思います。




こちらは昭和16年の渋谷区地図ですが、よく見ると、、👀
それぞれ町の境が破線で示されていますが、赤矢印の3箇所がなんだかおかしなカタチで線引きされていますよね。


そして、お次はもうひと昔前で大正末期の古地図からその場所を見てみると、この3箇所はピッタリ宇田川源流部に当てはまりそうです。

つまり、これらの境界線は、宇田川の谷頭部分までを町の区分としたからなんですね❗️

川の源は自分らのものだっ👆、、みたいな諍いが、もしやこの不自然な波線の裏には隠されていたりして❗️❓


というわけで、地図に描かれた線って、自然に対するヒトの思惑が面白いほど反映していたりするんですよねー。
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