マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

小野路から八王子みちを辿ってみる 6

2019-11-14 | 街歩き・歴史散歩
いよいよ、小野路からの八王子道最高峰の野猿峠へ。






八王子城主、そして小野路も支配下に置いた北条氏照。その養父だった大石定久の菩提寺をあとにして、現在の野猿街道に沿った、かつての古道を古地図を頼りに辿ってみたいと思います。







奥には永林寺の赤門が見えていますが、まずは参道を出て右に。
このあたりもほぼ明治末期の古地図の道と重なっています。






ここ、地理院地図にはないものの、野猿街道と合流するかと思いきや、藪の奥に古道が続いていました。
交差点標識には殿ヶ谷戸とありますが、永林寺(由木城)の大石定久が拠点としていた頃の名残かと思われます。






一旦、野猿街道に出ますが、すぐに大栗川支流に沿った、当時の古道を見つけて、草むらのなかを歩いていきます。
古地図を見ると、川の左手が一面田んぼ、右には段丘の上に殿谷戸の村があったようですが、確かにいまも右手が一段高くなっていますね。






その先には、永林寺薬師堂の石標が建ち、いくつもの石仏が並んでいます。
先程の玉泉寺前の観音堂然り、むかしは巡礼の道でもあったのでしょうね。






現在の野猿街道を見下ろす八王子道。
つかず離れずに新旧の道が並んでいますね。
こうしてみると、街道は左右から迫り出す谷間に位置しているのがわかります。






古道のほうが、若干標高が高いため、切通しもわずかに残っていたりしましたよ。







そんな、楽しい古道歩きもこのあたりまでで、しばらくは、野猿街道の大きな道路の広い歩道を歩いていくことになりました。
広くとも人いない、、、車しかいない、、






野猿峠の交差点標識が現れました。
よく見ると、Yaen Passって、上から貼り直されています。
最近、あちこちでインチキなローマ字から英語表記に変わったりしてますが、これもオリンピックに向けての細工なんでしょうかね。

あ、そんなどーでもいいことより、背後のこんもりした山は、伝説では大石定久の墓所、もしくは甲冑を埋めた場所といわれているそうです。
古地図には、名所だったのか手ノ平松と書かれていますが、あたりで一番高い標高の200mはやはり目立ったのかな。






道路の遥か先には奥多摩の山も望めます。
とっても広い野猿峠です。






野猿峠バス停手前には、昭和の初め頃の水飲み場が残っていました。
説明板には、ひと息で峠越えとは人も馬もいかず、、とありますのでかなりの難所だったと思われます。

古地図上は、この水飲み場あたりで突き当たって、右手の尾根沿いの切通し道を大きくカーブしたあと、八王子方向へ向かっていたようです。
いやはや、ずいぶんと変わっちまったもんだ、、、

てことは、、今のようにここからの見晴らしはなかったのかもしれませんね。






そんな野猿街道を絹ケ丘二丁目の交差点まで下りてきました。
ここも人がいないのに、めちゃくちゃ広い交差点です。






街道は直進ですが、かつての八王子道はこのすぐ先を左手に入っていくのです。






一歩入れば、再びむかしみちの雰囲気に。。







高低差のある小さな交差点の路傍に、塚らしき箇所があり、馬頭観音や石仏がここも集まって並んでいます。






古地図には打越とこの辺りは書かれています。見た目分かりにくいものの、むかしは道に沿ったこの川の左右から山が迫り出していたようです。
横浜あたりでもよく聞く地名ですが、まさに、狭く細い土地だったんでしょうね。






なんだか街に出たようだ。。
細い道の先を川が横切っています。
あの湯殿川を渡れば、いよいよ終着駅のひとつ手前。京王線の北野駅のはず。
ホント、遥々来たよ〜八王子っ。




次で最後ですよー。


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小野路から八王子みちを辿ってみる 5

2019-11-11 | 街歩き・歴史散歩
小野路からの八王子みちも、多摩市の丘陵を後にして、いよいよ八王子市へと入ってきました。




とはいえ、広い京王堀之内駅を南から北側へと抜けたその先からは、またもやあやふやに、、






ひとまず、明治の地図を見る(´・ω・`)



で、地理院地図も見てみる(´・ω・`)



なるほど、、このあたりは土地の開発に加えて、治水工事で川も大きく整備されているため、至る所がまっすぐなわけか、、






ひとまずは、駅の西側の南八幡宮までやって来て、古地図にも載っているこの社を基点に、目星をつけて歩いて行きます。






まず、お宮の横を南北に通る道路を横切り、、






その先を左に、右手の細い道なんかも怪しいな、、





川に出ました。
あの橋を、ひとまず渡らねば。





大栗川にかかる橋の上から、大田川との合流地点を眺めています。
古地図では、このあたりはずいぶんと蛇行していて、一面が田んぼだったようですね。





橋を渡って、野猿街道に出ました。
街道は左折。
しばらく歩いていましたが、なんだかつまらないので、そろそろ、このコンビニから北西に標高を上げて、越野の町へと入ってみることにします。

そう、小野路からの八王子道を、八王子側の人は小野路道や柚木街道、もしくは野猿街道と昔は呼んでいたらしいのです。
因みに野猿街道はどうやら昭和に入っての命名のようです。
やえんって、、私最近まで、のざるかと思ってました ⊂((••))⊃







住宅街に入っても、引き続き古道は消えてしまったまま、片鱗さえ見当たらず。
等高線から判断して、昔はこの畑から向こうの畑へと続いていたはずだ、、と、あいまい道中になっていくばかり。。






そんな先、敷地の角にいい感じの石仏が鎮座していますっ。
あそこに行ってみましょう!






緑に囲まれた越野下根公園。
奥のベンチあたりを八王子道はおそらく横切っていたはずなんですねー。
ちょっと、やる気が出て来たぞ。





公園を出るとまもなく、道の雰囲気がガラリと変わったのがわかりました。
八王子みちを捕まえたようですっ。間違いありません。
目の前には小野路を思わせる、谷戸の景色も見えてきました。






脇には観音様のお堂が建つ、この側道もむかし道のようだな、、と思いきや、そこで掃き掃除していた方の話では、この分岐から上がった先には日枝神社と別当寺の玉泉寺が並んでいて、昔はもっと細い道だったとか。
で、車で入れるように、この方が道を広げたんですって。






見晴らし良さげな日枝神社や玉泉寺に興味はあるが、時間も限られているため、ここは忠実に古道を辿っていくことにします。
玉泉寺門前にはコスモスの花が。
ここも、古道映えしてますなっ。






いったんバス道に出て来たようです。

そして、注目すべきは由木中央小学校前のバス停が立っているこの場所。
ここ、古地図を見ると破線と実線記号で、小野路からずっと続いた里道(聯路)が、八王子からの実線(県道)と交わるポイントなんですねー。
で、そのまま八王子道は県道に出世して続いていくわけです。

古地図が作られた明治時代、当時の主要な貿易品だった八王子の絹糸を横浜まで、より早く正確に運搬するため、八王子近辺の里道は県道として、整備されていったことと、このみちも関係があるんでしょうね。

で、小野路道はというと、、悲しいかな今に至ってしまうわけなんですねー。
やっぱ、山道歩きは荷車上がらないし、人件費かかりそうだし、時間かかるし、なにかと大変そう、、






そんな道の出世とともに、立派な寺標が現れました。






立派な朱塗りの総門に出迎えられて、なんだか相当な古刹のようです。。





しかも、マトリョーシカ的に、門の奥にも門が、そのまた奥にも門があります。

で、説明板を読んで、大体わかりました。
この永林寺は、北条氏照が婿養子に入った大石家の居館(由木城)だった場所のようで、氏照もこの寺を助成したことから、今に残る立派な伽藍を持つ寺になったのだとか。。

やはり、道歩けば、北条に当たるっ。
小野路城や八王子城を支配した北条氏照との深い関わりがここでも発見できました。

お次は何に当たるかな。。





そろそろ書き飽きてきたけど、あと少し続きます。

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小野路から八王子みちを辿ってみる 4

2019-11-09 | 街歩き・歴史散歩
町田市小野路の宿場はずれから八王子古道を辿って、八王子市になんとか入ってきました。





唐木田駅を過ぎて砦山まで上がってくると、明治末の古地図通りに里道を辿ることは、土地の開発でとうとう叶わなくなりました。
で、、、






砦山(府中カントリークラブ)と別所公園の間の道路をしばらく進み、別所中学校手前から右への軽車道に入って、古道を探してみることにします。





左手は校庭。右側はカントリークラブの境界壁。
カツラの並木には、まん丸な葉っぱがたくさん落ちていました。






古地図と地形図とのにらめっこの結果、1つ目の鉄塔を越えた先の街頭が立つこのわずかな部分にのみ、当時の八王子道は残っているようです。






そしてその先、2つ目の鉄塔あたりから本来の古道は左の尾根を下っていくのですが、やはりこのルートも消滅。
で、再び遠回りをして見つけてみましょう。






ひとまず、急な階段で降りて行くことに。いつの間にか山をずいぶん上がっていたのね、、
ここもなかなか雰囲気はあれど、新たに造成された道のようです。






降りてみると、ニュータウンらしい風景が再び現れました。
正面あたりが京王堀之内駅になるのかな。

で、肝心の古道は何処〜??







あった。あったっ古道はここか!?
いやはや、斜行エレベーターとは、あまりの進化ですっ。






未来形のお次は、まるでガウディだな、、、無言




いろいろありましたが、ひとまず、京王堀之内駅前まで来たようです。





面白くもなんともないけど、続きます。。

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小野路から八王子みちを辿ってみる 3

2019-11-07 | 街歩き・歴史散歩
今回は携帯でwebを利用しながら古道歩きを続けています。






この今昔マップon the webは、現在と過去の地図を一画面で見れるため、今回ホントに役に立ちまくっています。

江戸の町に特定した古地図アプリは今までもたびたび利用していましたが、こうして広範囲を見れるツールがあるなんて、最近知りました。






さて、明治期の古地図を読みながら、小野路の宿場から八王子道を辿って、赤丸地点の唐木田駅周辺まではなんとかやって来ました。

ここまでは、里道(聯路)に沿った形でほぼ、いまの道路が作られていることもあり、割と苦もなくたどり着けました。







そして、唐木田駅前。
いよいよ、ここからが大変だ。。
web地図で比べると、どうやら八王子道は、このショッピングセンターに沿っていたようです。






古地図を見ると、そこは大きなV字の谷。かつての古道はその谷を巻いているようですね。
いまは、そんな地形を生かして谷底に小田急の車両基地が造られていて、なかなかの景観でした。






にしても、この景色では古道をわずかでもキャッチするなんて、難易度高すぎ、、、
それでも先へと、車両基地を見下ろしつつ、谷に沿って急カーブ。






カーブを曲がると、道路はいい感じの曲がり具合に続いていました。
こーいうのは古道歩き好きにはたまらないワクワク感があるんですよっ。







開けた左手からは、大きく谷を巻いているのがここからよくわかります。
谷の向かい側に、あの要塞建築の福祉センターが見えています。
小野路からここまで、遥々来たもんだ、、







そんな道の先には、鳥居が見えてきました。古地図にもその位置に鳥居の記号があるため、ルートとして間違ってはいないようです。





説明板を読むと、この唐木田稲荷は、この地域の氏神様で、境内のお堂には石仏が並べられていました。
あの小野路の路傍に集められた石仏と同様に、かつては唐木田の道ゆく人らの守り神さまだったのかもしれません。






その先、古地図を確認しながら右へと曲って、閑静な住宅地のなかを突き当たりまで進んでいきます。






やっと古道の雰囲気が漂ってきました。
さっきはよこやまの道に途中出会いましたが、今度は、からきだの道と書いてあります。





古地図の聯路は、ここから正面の唐木田の山を越えているようです。
で、私もからきだの道を使って、尾根を上がってみることにします。







上がってすぐにアズマヤが建つ、見晴らしのよい場所に着きました。
説明板にはこの唐木田の山は砦山と書かれていますが、多摩のあたりはふらふら歩くと何処でも関東武士の遺構と出会ってしまうようですね。

からきだの道の散策路はここをピークにそのまま西へと作られているようで、これ以上は尾根を上がれず、八王子道を辿ることもままならず。
残念だ。。






かつては混合林が広がるこの山一帯は、造成されて、府中カントリークラブのコースになっているため、おそらく古道も消滅してしまったんでしょうね。

それでもわずかに残る、からきだの道を歩けば、少しは古道歩きの気分も上がってきました。






とはいえ、遠回りをしてでも、消滅した先からの古道をつかまえなくてはいけません。
あ、八王子市に入ったようです。
しかし、まだまだ序の口。。




実は、小野路を出た八王子道の終点は八王子の駅前なんですよー。
歩けるか?自分は!?




儘に、続く。
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小野路から八王子みちを辿ってみる 2

2019-11-06 | 街歩き・歴史散歩



かつての小野路宿の外れから八王子を目指した古道歩き。

ここまでの道中は、町田市の歴史環境保全地域内の尾根沿いを当時の八王子道を思い浮かべながら、かなり楽しく歩くことが出来ました。
正直、ここまででかなりの満足感がありますが、なんとか頑張ってみることにします。






でこの先、山をいったん降りてきた小野路のバス道路から先(赤丸地点)を、明治期の古地図で確かめてみると、目当ての聯路は現在の地理院地図上の道路とおおよそ変わらないことがわかりました。






まずは、下りてしまった尾根を再び上がり、軌道修正しなくてはいけません。
で、案内板の通りに回り込むと、、、





公園内の階段近くにどうやらスズメバチの巣があるようで、シャレにならないほど飛び回っています!

これは退散だ、、、(´・ω・`)







とんだハプニングに合いました。。
仕方がないので、本来歩くはずの尾根を左上に見上げながら、しばらくは辿って行くことにします。





その先から少し戻り、尾根に上がった153m三角点のあたりからは丹沢の山々が綺麗に見えていました。

小野路宿は江戸時代に大山詣のルートに当たり、旅人らで賑わったそうですが、こうして、昔は至るところで見られた大山の姿を見て、人びとが憧憬の念を抱いたのも、なんだかわかる気がしますね。






しばらくの間、八王子道はよこやまの道と重なって続いていきます。
よこやまの道はとても整備された尾根沿いのハイキングコースで、何人もの人らが秋晴れの下を颯爽と歩いていました。







車道の左手に東京国際ゴルフ倶楽部のコースが見えてきました。







ゴルフ場の北側敷地に沿って、尾根は続いているので、道もそれに従っているわけですね。

ま、古道歩きはもはや車道をただ歩いているだけと化していますが、モチベーションを保つために古地図を見ると、かつては谷戸の間に田んぼが続き、広葉樹と針葉樹が左右に茂った景色がここでは見られたようです。






その先、よこやまの道は丘陵に沿って左方向へと続いていきますが、八王子道は多摩市のプールと福祉センターの角を右折しなくてはいけません。
しかし、、要塞か監獄にしか見えなかったな。あの福祉センターは( ̄(工) ̄)







右折の先、大きな幹線道路を渡って、唐木田駅の方向へとそのまま行きたいところだが、、






このあたりからは、ひたすら古地図と地理院地図との見較べ状態になるのですが、古道はおそらく唐木田駅への幹線道路のひとつ右隣りじゃないかと思うわけ。



もはや、イマジネーションでしか古道は追えなくなっていくのです。。





それなりにはなしは続きます。。。
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小野路から八王子みちを辿ってみる

2019-11-05 | 街歩き・歴史散歩
再び、小野路の古道歩きのはなしです(・Д・)





前回の小野路城歩きの帰りのバス待ちで、ずっと見ていた江戸時代の小野路宿図。
(写真は一部分。赤丸、点線は描き込み)

当時の宿場外れは突き当たって、八王子道と府中道に分かれていたようですね。






明治末頃の古地図を見ると、赤丸ポイントはT字路から交差点に変わっていて、現在のバス道路に当たる里道が破線で記されています。
府中道は太い実線の県道に。

そして、八王子道は、実線と破線で記された里道(聯路 れんろ)として載っています。

小野路〜八王子ルートは、遥か昔から明治頃までは貴人、武士、庶民らに利用された、主要な往還だったらしいのですが、今も道が残っているのか?なんてわからないですよね。
でも、江戸期とさほど変わらないはずの明治の聯路を頼りに、今の地理院地図で地形を見ながら辿っていけば、なんだか八王子までうまく行けそうな気がしてきました。

で、今回は八王子道(小野路道)の踏み跡を確かめに出かけてみることにします。








快晴の秋空の下、またもや小野路にやって来ました。
八王子道はこのバス停降りてすぐ先の交差点(赤丸ポイント)を右折ですね。






交差点といえど、むかし道は狭い!
よくよく見ないと通り過ぎそうな暗さです。







程なく、小野路川が流れていました。
宿場図にはこの場所に水車小屋が描かれていましたね。






まずびっくりしたのは、めちゃくちゃ狭い道に何台も車が来るんですっ。
あんな風に道幅いっぱいにギリで走って行きますっ。
入り口の看板にも狭くて対向はできないと書いてあるのに、敢えて通るのはこの先に抜け道か、何か目当てのものがあるとしか思えない。。





すると、その先に農場が見えてきました。
なるほど、車は畑仕事に来た方々だったのね、、

宿場図を見ると、このあたりは明治初年に廃寺になった清浄院という寺があったらしく、昔は八王子城主だった北条氏照も曼陀羅供養の法会に訪れているのだとか。
かつては小野路を支配した後北条氏に庇護された立派なお寺だったのかな。






当時の聯路は道幅2メートル前後で、荷車がやっと通るか通らないか、、という感じでしょうか。






ここもかなり古道映えしていますな。






時折、分かれた道に建つ案内板を見れば、近場の谷戸や小野路城への方向はおおよそはわかりますが、八王子へ行くとなるとやはり、地図とGPSは必携なのです。






見渡せば、中央に見える木々がすこし盛り上がった場所が小野路城跡でしょうか。

こうしていると、むかしの人らにとって、道というのは、地図がないかわりに、重要な景色や目的物を点にして、長い時間をかけて無数の点を繋いでは消してを繰り返した末に出来た形なんでしょうね。

つまり、むかし道は全てにおいてワケがある。
いまとは真逆の発想ですよね。





再び、道が分かれています。
ここはわかりにくいですが、案内板の浅間神社の方向に、右折です

ここで明治の古地図をよく見ると、この先の聯路は、破線が下で実線が上へと、逆に描かれています。
これは書き間違えではなく、道がますます狭くなり、荷車もむりですよ〜という表示なのです。
ま、そんな地図記号を見て、活用する人など、そのころは軍人しかいないかも、、








案の定、荷台が通れないほどの狭さかもしれません。
にしても、数百年と変わらないように思えてしまう古道が、都会からすぐの場にこうして生き続ける小野路の町はホントにすごいな、、






町田市の基準点が続く尾根沿いの道を辿るとひときわ標高が高い位置に建つ浅間神社が見えてきました。
富士山信仰、、ってなんだかいきなり感がありますが、先日高尾山に登った際に、山の1番奥の浅間神社は、後北条氏が建立したとあったのを、ふと思い出しました。

小田原を拠点とした北条氏なら尚更、地理的に見ても富士浅間大権現への信仰心は当然厚いわけで、自らの所領に社を建てたのも納得かもしれません。
小野路が北条氏のかつての支配地とはいえ、この社がその頃からあったかどうかはわかりませんがっ。






浅間神社から見渡す里山風景。
小野路からの府中道もあのずっと向こうに続いているのかな。。
八王子まで行くのもなんだか難儀なのに、府中はねぇ、、、






浅間神社から道は下っていくと、小野路のバス道路が見えてきました。
本来の八王子道は、尾根沿いをそのまま西に進まなくてはいけません。
どこかで尾根に上がらなくては、、、






バス道路は狭くて、絶えず車の往来があるため、おちおち歩いていられません。
そんな道の路傍には石仏が並んでいました。

歴史のある古道のわりに、何故か石仏が見当たらないのは廃仏毀釈のせいかな、、とも思えましたが、きちんと祀るためにここに移されたのかもしれません。







そして、八王子道の尾根に再び上がるためには交差点を左折して、よこやまの道と大きく書かれた案内板に従い、進んでいくことにします。

よこやまの道とは、東西に連なる多摩丘陵に沿った道の総称のようですが、今回の八王子道は、そんな尾根道の一部を通っているからなのです。


確かに、ここまでの八王子道は、高低差が少なく、標高も高めで見晴らしの良いところを選んで、続いていました。
それに、先日の台風の後でも崩れているような箇所が見当たらないことから、地盤もしっかりしているのかもしれません。


さて、この先はどんな道が続くのでしょうか。。






いろんな意味で一気に八王子までは無理なので、ゆっくり続きます(´・ω・`)

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きれいなかたつむり

2019-10-29 | いきもの(かたつむり)



昨夜、千葉の災害ゴミ捨て場から、拾ってきた貝なのです。






どんな貝でも大好物がこのザリガニ用のエサ。通称ウマウマ。
このかたつむりも、おいしそうに食べていました。






まだ若い貝のようですが、殻がスッキリしていて、なかなかきれいな貝です。






裏側の殻の模様が、なんだか一筆書きの線に見えてきました。
いい感じのまん丸になっています。






で、思わずウチの日用皿を思い浮かべてしまいました。
これはかれこれ、20年は使っているでしょうか。




無意識に好きなものはどこか根底で、なんとなく繋がっているようですな。。



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被災地とかたつむり

2019-10-28 | いきもの(かたつむり)


本日はボランティアで、続けざまに台風被害に遭われたお宅の片付けを手伝いに、千葉へと出かけて来ました。






ブルーシートで覆われた屋根や、足場が組まれて補修中の建物があちらこちらに点在する町から少し離れた山道を進んだ先に、今回私らボランティアチーム6人は派遣されました。
もちろん、皆初対面。
でも、出来る人たちだ!って感じのメンツ揃いにひと安心。。






作業としては、今回の水害で廃棄になってしまった大量の家財や敷地まわりの倒木をノコギリで切りながら、3台のトラックに、どんどん載せていくわけですが、リーダーのあまりにも的確で素晴らしい指示のもと、考えるひまなく、どんどん作業ははかどっていきました。

私も日頃から棚田でなかなかキツイ農作業をしているおかげで、こ〜いうのは結構慣れていたりするのです。







そんなハードな作業のなか、この無人のお宅の庭にはたくさんのかたつむりが、すやすや居眠りをしていました。








その後、車で30分先の災害ゴミ置き場へ積荷を運びます。






この広い敷地は、一方通行になっていて、絶え間なくあちこちから来る車が、細かく分別された場所にそれぞれの廃棄物を置いていく流れになっています。






ついこの間まで誰かの愛着の品々だったはずが、一瞬で無の物体へと様変わり、他所から来た知らない人らがあっという間に運び出して、大きく黒い山を築いてしまった、、というわけなんですね。
辛いですね。。


ま、とりあえず何にも考えることなく、お天道様の下、自分が出来ることをやって、めちゃくちゃ働きましたよ。今日は。






そして、空っぽになったトラックの荷台で、動くものを見つけました。






ありゃりゃ。
どうやら、積荷の葉っぱにくっついていたようです。
よくも、上手にこうして残ったもんだ。






かたつむりも被災するんですね。。。



仕方がない。
私が保護するかっ。



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小さなかたつむりと手遊びしてみる

2019-10-26 | いきもの(かたつむり)
実は、小さなかたつむりなんかもウチにはいたりするのである。




小ささは、ニンジンと比べるとわかるだろうか。
まっ、これでも結構大きくなったのですが、、






そして、小さくとも怖いもの知らずだったりするので、ついつい遊んでしまうときもある。







窮地に追い込まれても、俄然がんばるチビ貝。






軟体をおもいっきり捻ってます。。






で、難なく抜け出しました笑


 



しかし、困難は続き、絶壁にっ。
ここはどこー!?って顔ですな。







そうして、山越え谷越え、、を繰り返すかたつむりなのでした。




まるで、孫悟空とお釈迦さまの手のひらって?


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添い寝をするかたつむり

2019-10-16 | いきもの(かたつむり)



先日の台風の日には、砂利に潜っていたわが家のかたつむりが、今日はケースに登って居眠りをしています。






この貝らの同居年数は、およそ2年半。。 

かたつむりだって、他の生き物同様に、各々に個性ってものがあるわけですが、この2匹の場合、ほとんどがスルーな関係だったりするので、こうして並んで寝るのは珍しいのです。






しかも、よく見るとコンマ数ミリ的な絶妙な距離で並んでいるではないかっ。
こりゃ大きなコンテナ車をぶつける事なくギリに並べて停めるよりも難易度高い気がする…







ついつい正面から見てみた。。

我関せずの間柄も、たまにはお互いの人肌、、いや貝殻が恋しくなる時もあるってわけなんですねー。


やっぱ、台風のせいでもあるのかな、、




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