マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

ヒダリマキな かたつむり

2024-06-30 | いきもの(かたつむり)
都会外れの森で見つけた変わったかたちのかたつむりは、北国から来た貝ではなく、ただのヒダリマキマイマイだったことが、その後のコメントに寄せられた情報でわかりました。

どうやら、多摩地域には同型の左巻きくんらがたくさん暮らしているのだとか。。。🐌🐌

実は最近、ある大学の先生が寄稿した科学雑誌の論文(科学 2024年5)をたまたま読んで、エゾマイマイの生態がかなりユニークだと知りまして、このヒダリマキくんの姿かたちが似ているために、ちょっと期待してしまったわけなのでしたっ😅

とはいえ、、たくさんのビルに囲まれた東京に生きるヒダリマキ貝がなかなかレアなのは間違いないわけでして、しばらくは右巻き貝のミスジマイマイとシェアハウスはして頂くことにします。


わが家での暮らしも1週間め。。
ずいぶん人慣れをしてきた左巻きくんですね。


こちらは、殻がまだら柄のミスジマイマイ。
どうやら、洗いたて✨のケースに嬉々としているようですが、こーいうところにもこの貝の若い衆らしさがありありと出ています。


のんびりとケースのふちを回る左巻きくん。。。🐌


で、やって来たのがミスジくん👀


この目を見ればわかる。。キミはなんかやらかす気ですなっ笑


早速、目でマウントを取った❗️


避けようとする左巻きくんを邪魔しています。



そして、乗っかる。。。
これで左巻きくんは完全にマウントはとられましたね💧


そして、左巻きくんの上でしばらく優越感を堪能してから、悠々と降りていったミスジくんなのでした。

こーいう多動で好奇心があるところも、この貝の個性がありありと現れていますね。
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食べざかりのかたつむり

2024-06-28 | いきもの(かたつむり)


そんなわけで、エゾマイマイによく似たちびっこ貝をウチで観察しはじめて、5日め。。。


ニンジン、小松菜、そしてうまうまと、、同居のミスジマイマイのチビとともに、なかなか適応力はあるようでして、これまでは好き嫌いなく、たくさん食べているようです。


石っころでくつろぐエゾもどきくん💤
そこにミスジのチビが近づいてきました。


そのまま通り過ぎていくようです。。。🐌


今のところは距離をとるというより、お互いが見えていないかのように、過ごしています。


水を含んだ砂利場で憩む2匹。。。👀

この縦並びもなんだか微妙っ。


因みに、、


別ケースのミスジマイマイの先達同士は、縦ではなく、横並びで涼んでいるようです。


これは、並び方ひとつで、かたつむり同士の関係が察せられる一例でしょう。。



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珍しいかたつむりの観察をはじめる

2024-06-25 | いきもの(かたつむり)

東京都心からそう遠くない場所に今なおたくさんの巨木が残る森があるのですが、実はそこって都内でもとっても貴重なかたつむりのパラダイスでもあるのです。

そして、なかなか興味深いのは、かたつむり(例えばミスジマイマイ)の殻の模様が似ている個体同士が、まとまった場所で生息しているんですねー。

例えば、このあたりにはシマシマ模様、あっちにいけばまだら模様、、と森を歩くにつれて、いろんな殻アートを鑑賞することができるのです。

それは、遠くに移動するのが苦手なため、同じ木にずーっと住み着くこともあるというはなしを聞くくらいに、かたつむりってほんのわずかな距離のなかで、一族皆が生涯を終えては生まれることを果てしなく繰り返しているからなんですね。。


とまぁ、前置きが長くなりましたが、そんな森はずれの一箇所に、なかなか珍しい個体が、数多く生息していることをつい先日気づいたのです。

それが、こちらの貝くんっ👆
なんだか小松菜が相当お気に召しているようですが。。


まだまだ子どものようですが、見れば見るほどこのカタチって、北海道や東北にいるはずの貝に似てるんですよね🤔


後ろ姿👀


そして、まるっちい殻の独特のカタチなどが、エゾマイマイの亜種?いや、左巻きなので、ものすごーくよく似たそっくりさんなのででしょうか。。


たしかに北国の貝が、遠く離れた東京の森に来るのも不思議だし。。



というわけで、今回は、こちらの貝と別種のミスジマイマイのちびっこを同居をさせて、このエゾマイマイによく似たヒダリマキくんとのその暮らしを観察してみたいと思っています。

たぶん続きます。。。🐌
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かたつむりの老後の過ごし方

2024-06-21 | いきもの(かたつむり)


だいたいいつも機嫌はいい。


ちょっかいを出す若い貝には、しらんぷりをしたがる。


絡まれることもある👀


そんなときでも、なんだか嬉しそうだったりする。



風呂に入るのが好き。


夏場はうまうまよりも風呂だったりする。


ごはんはよく食べる。



いったん食べ始めると止まらなくなる。


うむ🤔
これじゃ長生きするのもあたりまえですなっ笑


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かたつむりが涼む姿に思うこと

2024-06-16 | いきもの(かたつむり)
今日は暑すぎる。
蒸し暑すぎて、まったく出かける気になどなれない貝ぬしなのである💧


どうやら貝も今日という日をまともに向き合う気はないらしく、朝からちっとも動かない。

ただし、、


ご長老の場合、休む場所がやはりさすがですなっ❗️
テキトーにそこらへんで張り付いている若輩貝とは一線を画して、一列に並んだうまうまにも見向きもせず、朝から水風呂で涼んでいました👏👏



貝は声のかわりに殻で語る。。

かたつむりの背中には、永く生きればそれだけの悲哀のようなものが現れてくる、そんな気がするのです。

それはヒトに例えればシワや白髪のようなもので、貝も時間とともに殻の表面を覆う外皮とともに光沢もどんどん失われて、最後は本来の炭酸カルシウム状のただの白い物体へと戻っていくのです。

殻がかたつむりの運のすべてを左右すると言っても、まぁ間違いではないでしょうね。

だから、他より永く生きることができた年寄り貝が、たまたま背中を見せて風呂にはいっているのを見ると、いつも貝ぬしはなんだかちょっとだけ、切なくなるのです。。

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目黒・帝国大学農学部の水路を探しにいく

2024-06-09 | 街歩き・歴史散歩
井の頭線池ノ上駅の線路沿いに、今なお残る100年前の帝国大学農学部の境界標石の配置が、2つの水路を挟んだ帝大農場の敷地の形状と深く関係していたことをひとり納得したのが前回の歴史散歩だったのでした🐾
ブログ記事➡︎世田谷・池ノ上駅の帝大境界標石と旧会計監査院官舎 - マイmy巷話


そんなふたつの水路の帝大農場側のほうは、三田用水の分水路と違って、いまではめったに入り込めない場所になっているのです。


というのも、池の上側の帝大標石から井の頭線の線路を越え、木々に囲まれるその場所は、今では国家の第一線で活躍する技術者が集まる東大の研究所になっているからなんですね❗️

そんななか、オープンキャンパス開催のお知らせを、たまたま街の掲示板で知りまして、早速予約をしてみました。



出かけるまえにGoogle地図を見てみます👀

南東側の敷地と建物が、帝大農場の水路があったと思われる場所に沿って、不自然な配置に置かれています。
これはなんだか期待感がもてそうだ。。


それらの建物をキャンパスマップで確認すると、インターナショナルロッジとCOMAハウスあたりでしょうか。。
もし、水路や暗渠があるとすれば、その間あたりになるのかな❓


とにかく、そこを目指して出かけてみましょう🐾


当日はとても晴れた週末になりました☀️
正門を入って、入場チェックを済ませてから、いよいよ探索ははじまりますっ📷


いつもは正門の外からのぞき見ている13号館は昭和初期の航空研究所時代から残る貴重な建築物のようです。

くわしくは省略しますが、戦時中に帝大農学部は本郷に移転をしていて、ここは国の航空技術を研究する場に変わっていたのです。

そして、いまではこの建物がキャンパスのランドマークになるのかな。。


また、15号館も戦災を免れて、長い歴史を背負った昭和初期の建物❗️


おそらく帝大の農場時代から残っているのは、紅葉の頃には我が家から美しく見えている、このメタセコイアの並木だけかもしれません。。


と、めったに入り込めない場所✨に、目をキョロキョロ、足をウロウロさせながらも進んでいきまして、いよいよ敷地外れまで辿り着きました。


左手がお目当てのインターナショナルロッジのようです👀

確かに地図で見たように、フェンスがゆるくカーブをしていますが、ロッジの敷地内の駐輪場や通路に暗渠の跡は見当たりません。

この水路の用途が農場用水路、もしくは周辺への水害対策用に掘られた排水路かもしれないだけに、暗渠にしておく必要もなく、埋めてしまったようですね、、。


COMAハウスから回り込み、キャンパスの最奥部まで来ましたが、やはりここにも水路のあとは見当たりませんでした。。

すぐ先には井の頭線の架線も見えています。
かつての水路は、先程のフェンス沿いから未舗装のこの場所を抜けて、線路向こうの帝大標石のある場所へと続いていたはず❗️
とすると、、まぁるい形をしたこのクスノキが線路向こうからいつも眺めている木々になるのか。。🤔



こうして、帝大農学部の水路が跡形なく失われていたのは、ちょっと残念でしたが、普段はめったに入れない場所で、貴重な建築や木々を見学することができたのは、このあたりをよく散歩するワタシとしては立派なお土産になったようです。

まぁ、100年以上前の小さな水路探しを目的に、国の最先端✨な場所にノコノコ出かけてくるヒトはまず、いないでしょうけどっ笑

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かたつむりにアンビバレントな気分になる

2024-06-07 | いきもの(かたつむり)


不安定な天気のせいか❓近頃の貝は動きが鈍い。。

ただし、ご長老は残り少ない時間を天気ごときにいちいち振り回されるつもりはないようで、今ものんびり入浴を愉しんでいるようだ👀


かたつむりは目が出ていても起きているとは限らない。
だからご長老も寝てるのか❓まどろんでいるのか❓どっちかな。。


起きてたぞっ👀
目📡∠∠∠が貝ぬしに向いているっ。


泰然な風は年長の賜物らしく、邪魔な貝ぬしなど気にもしないようだ。
ほっぺが膨らんでいるのはご機嫌な証なんですねーさすがっ👍

そんなわけで、たかが貝でもその生きる姿勢に貝ぬしは感心をし、見習いたくなることがたまにあるのですが、その反面、長く生きた貝が安穏な姿を見せれば見せるほど、そろそろあの世からの迎えがくるころかな、、と思ったりもするのです。


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六月はかたつむりの忙しい季節

2024-06-02 | いきもの(かたつむり)


選んでいる👀
どっちがいいか悩んでいる。。。



そして、選んだ相手は最長老の貝らしい👀
実はご老体の殻の色が最近は死相を帯びてきていて、ちょっと心配な貝ぬしなのです。

身体の調子はヒトなら顔色、貝なら殻の色でだいたいわかったりするのです。。。



何故かご老体をつかまえて、浮かれる一年目の未熟者。



ものすごーく喜んでいるようですっ笑


で、その隙に逃げるご老体。。。🐌
多動な未熟者なんかを相手にする気はないようですが、そんな若輩者もどうやら気づいたようですね。


そして捕まえる😑


でもそこは年の功。
老練で老巧な動きで、結局振り切られたようです💧


そんな未熟ものは諦めも早いらしく、別の貝に迫っていくのかっ😅


が、、相手に寝たふりを決め込まれて、またまたフラれてるっ笑


そんなわけで、動けどもなかなか貝にはうまくいかないことばかりの六月がはじまるようです。。



🐌hirekato832さん。いつもご支援深謝です❗️

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世田谷・池ノ上駅の帝大境界標石と旧会計監査院官舎

2024-06-01 | 街歩き・歴史散歩
貝が不精中💤のため、今回もぶらぶら歩きの途中に道端で見つけた石のはなしをしたいと思います。。。🐌


ここは井の頭線 池ノ上駅から渋谷側へと線路沿いに続く道の曲がり角。。。

この場所には、ずいぶん前から使われなくなった会計監査院の官舎群が未だに残っているのですが、その一角の草むらで気になる石を、またもや見つけてしまいました。


フェンスに挟まれて見えにくいものの、「帝大」とクセのある書体で刻まれている、なかなか立派な花崗岩の境界標石のようです。。👀


おまけにそのすぐ背後にも別の帝大標石が立っていました。

書体は花崗岩の標石と似ていますが、こっちは細長いコンクリート製で、外観はなんだか鉄道と関わりがありそうな雰囲気ですね。


で、他にもないか🕵️❓❓
と、線路沿いの坂道を池ノ上駅側へと辿っていけば、その先にも、コンクリート製の帝大標石がアタマだけ出ていました。


さらに坂を下るともうひとつを発見しました👀

やはり、これらの標石が井の頭線との境界に設置されているのは確かなようですが、こうたくさん並べられると、なんだか帝大ブランドで縄張りを誇示しているかのように見えてきますね。。


ちなみに現在の東大の敷地境界は、線路向こうの、あの森のあたりから。

とすると、、🤔
むかしの帝大の敷地は線路を跨いで、こちら側にも拡がっていたとしか考えられません。


でも調べたくとも、そこは今じゃジャングルのような官舎跡で、立ち入り禁止なんですよね…💧


ひとまず、ここまでを地図に落としてみると、帝大標石とこの官舎跡の土地の境がぴったり当てはまっているのは間違いなさそうです。
おまけに、官舎跡地の形状もそこだけが飛び出たような、なんだか不思議なかたちをしていますね。。

以前に渋谷の住宅地で見つけた古い帝大標石が、かつての帝大農学部の正門跡地と三田用水路の境にあったことをブログ記事➡︎渋谷 帝国大学農学部と境界標石 - マイmy巷話 に書いたことがあるのですが、今回も興味を覚えて、標石と土地のつながりをちょっと調べてみたくなりました。



まずは大正期初めの帝大農学部の敷地図で、この場所を確かめてみることにします👀

当時、まわりは広い畑のようですが、旧官舎の敷地部分はこの頃から不自然に突出していることがわかりました。
つまり、この形状が発生したのは、それ以前からのようですね。


続けて大正5年の古地図を見て、やっとヒントを見つけました💡

どうやら、ここは、ふたつの水路の出合いらしく、三角橋から北澤川まで引かれた三田用水の分水路と、帝国大学農学部の農場からの水路に挟まれた三角地帯のようです。

ちなみに三田用水とは玉川用水の分水路で、そこから更に遠くの地域の灌漑用途に造られたのが、この分水路。
おそらく江戸時代から使われていたのではないでしょうか。。

また、もう一方の帝大農場からの水路は、山手台地上に広がる農場の斜面を低地へと流していることから、なにか人為的な感じがします。
当時、南東側に下がった場所に練兵場があったことから、水害対策で明治期以降に造られた排水溝なのかもしれません。

で、、そんなこんなのいきさつから、帝大がこの尖った土地を管理を兼ねて所有するなりゆきになったんじゃないか、、と思い至ったわけなのです💡


そんなことを踏まえて、標石が並んだ線路を再度眺めると、、👀
お馴染みの駅前のきつい坂道は、三田用水の分水路(暗渠)を基点にV字に伸びた谷に見えてきました❗️

春には線路沿いを菜の花が咲く、そこそこに有名なこの駅の高い築堤は、じつは、この谷を埋めるために造られたものだったんですね。。


最後に戦後間もない昭和21年の地図でおさらいをしてみると、、👀
確かに井の頭線は、標石の部分で帝大農場の尖った土地を分断しているかのような配線なんですね❗️

ただし、井の頭線が開通した昭和8年にはすでに帝大農学部は本郷に移転計画が進行していたため、終戦間際は農場だけが残っていたようです。

ちなみに新しい本郷のキャンパスは昭和20年に戦災で全焼して、その4年が過ぎて新制の東京大学が発足したらしいので、鉄道開通で設置をされた帝大時代の境界標石の役割は、実はほんのわずかな期間のみだったんですね。。


ついでに線路向こうの駒場側にも回って、三田用水分水路(暗渠)沿いを続く、東大の境界を歩いてみたところ、境界標と刻まれた、長細い石の柱が六基並んでいました。


石の質から戦後のもののようですが、集中して立っているのは、もしかすると戦後のどさくさに、勝手に入って、畑にするヒトがいたのかもしれませんねっ。


こうして、今回も、100年近くを置き去りにされた道端の石と謎のかたちの土地のつながりには、やっぱり水路が絡んでいたことをひとり結論づけて、仕事から帰途についたわけなのです笑

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