マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

小野路から八王子みちを辿ってみる 6

2019-11-14 | 街歩き・歴史散歩
いよいよ、小野路からの八王子道最高峰の野猿峠へ。



小野路城とも関わりの深い八王子城主、北条氏照の養父だった大石定久の菩提寺をあとにして、野猿街道に沿った古道を古地図を頼りに丁寧に辿っていきたいと思います🐾




永林寺の赤門の見える参道を出て右に。
この道も明治末期の古地図の通りですね!



その先、野猿街道と合流する手前の藪に古道はまだ続いているようです👀
交差点標識は殿ヶ谷戸。
地名は永林寺(由木城)を大石定久が拠点としていた名残かと思われます。



野猿街道に沿った大栗川沿いの古道を草むらを踏み分けて進んでいきます。

古地図を見ると、、👀
川の左手は一面田んぼで、右手の段丘には殿谷戸の村があったようですが、今も確かに村側は一段高くなっていますねー。



細い道の先に永林寺薬師堂が現れました。
まわりにはいくつもの石仏が並んでいますが、先程の玉泉寺前の観音堂然り、当時は庶民の巡礼の道でもあったのでしょう。




その後も野猿街道を見下ろす高さで八王子道はつかず離れず新旧並んでいますが、野猿峠までの道は左右から迫り出す谷間に整備されたことが、なんとなくわかるような?



ここは谷間を削った切通しの道だったのでしょうか。




しばらくすると古道は野猿街道と合流して、広い歩道を歩いていくだけとなりました。
広いけど、ここ人いない、、、車しかいない、、💧




野猿峠の交差点標識が現れました。
よく見ると、Yaen Passって、上から貼り直されています。
最近、あちこちでインチキなローマ字から英語表記に変わったりしてますが、これもオリンピックに向けての細工なんでしょうか。。

背後のこんもりとした山は、伝説では大石定久の墓所、もしくは甲冑を埋めた場所とも言われている地。
古地図には、ここが名所だったのかピークには手ノ平松と書かれていますが、標高200mは当時かなり目立っていたのかな。。




道路の遥か先には奥多摩の山も望めます。
とっても広い野猿峠です!



野猿峠バス停手前には、昭和の初め頃の水飲み場が残っていました。
傍らの説明板には、ひと息で峠越えとは人も馬もいかず、、とあるので、かなりの難所だった様子が窺い知れます。

そして、古地図をみると当時の八王子道は水飲み場あたりで迫り出した山を切通して、右に巻きながら峠を降りているようです。
そう考えると、昔はこの野猿峠の見晴らしは迫り出す山に遮られて、八王子側の景色は全く望めなかったのかもしれませんね。。
今ではそんな山ごとすっかりなくなっているのが、なんだか凄いんですが、、💧




野猿峠から絹ケ丘二丁目の交差点まで下りてきました。
ここも人がいないのに、めちゃくちゃ広い交差点です。




野猿街道は直進のままですが、八王子道は交差点先を左折なんですねー。




一歩入れば、再びむかしみちの雰囲気に、ありつけました!




高低差のある小さな交差点の路傍には、塚らしき箇所が曰くありげにあり、ここには馬頭観音や石仏がひとまとめに祀られているようです。




このあたりは古地図には打越と書かれています。
横浜あたりでも聞く地名ですが、おそらくここも、川を挟んで両側から山が迫っている場所だったのでしょう。。




いつのまにか街らしい風景にかわったようです。。👀

この湯殿川を渡れば、いよいよ終着駅のひとつ手前の京王線の北野駅です。
ホント、遥々来たよ〜八王子っ😆




次で最後ですよー。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小野路から八王子みちを辿っ... | トップ | 小野路から八王子みちを辿っ... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。