マイmy巷話

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小野路から八王子みちを辿ってみる 最終回

2019-11-16 | 街歩き・歴史散歩
小野路から八王子までの道のりを古地図を頼りに京王線の北野駅までやってきました🐾


辿った道は長い時間とともに土地開発や川の治水、鉄道敷設などで相当にあやふやな場面があったものの、それでも尚、今も古道が確かに残ることにちょっとびっくりしてます。


この明治末期の古地図を見るのもあとわずか。
北野駅から古道の実線(県道)を八王子まで辿る道のりもいよいよラストスパートなのです。。


国道16号を北上するには、駅のガード下をくぐらなくてはいけません。


しかし、やけに大きな国道だな、、💧
お掃除をする人と比べてもこのスケール感は半端ないっ笑


突き当たりに鬱蒼とした木立に囲まれた、、というかまるで緑が蓋をしているような北野八幡社が見えてきました👀

古地図では鳥居に向かう道がここで鍵の手に曲がっている場所。
北野の街も今とは違いかなりの賑わいを見せていたことから、むか〜しはここが城下町だったのかもしれませんな…🤔


静かな境内でしばしのひとやすみ。
秋はずるいな。。
秋色ひとつで全てがステキにみえちゃうんですからっ❗️


天満社を後に再び国道へ出て、北野町南の交差点からひとつ西側の道へと入っていきます。


すると、ここで絹ケ丘の交差点でお別れしたはずの野猿街道と再び出会うことができました🙌

がそれも束の間、、野猿街道は鉄道高架を上がってしまうため、ここは慎重に右手の側道を選んで進むことにします🐾


踏切音が聞こえてきました🦻
正面を走るのはどうやら京王線の電車のようですね。


どうやら京王線と横浜線が並走する大きな踏切のようだな。。

よくみると横浜線側にはさりげなく小野路街道踏切と書かれた標示物、いや貴重な遺構が残っています。
でも、、横浜線側にだけ今は存在しない街道の名前の踏切名が何故こうして残っているのかな…🤔

それはおそらくここに線路が敷設された時代背景と関わりがあるのかもしれません。

横浜線が開業したのが、ちょうどこの古地図が作成された頃の明治41年。
当時の八王子は政府の殖産興業の要だった生糸の集積地でして、ここに近郊から集められた生糸は、いくつかの陸路(絹の道)で輸出地の横浜港へと運ばれていたのです。

早く、安く、しかも安全確実に❗️はいまの配送と何ら変わりはないらしく、未舗装道で起伏の激しい街道筋を人力荷車で頑張って運ぶ💦よりも、平地を走る鉄道🚂が望まれるのは自明のことですよね。。

そんなわけで、満を辞しての横浜線の開業は地元のひとらにとってはお祭り騒ぎだったんじゃないかと。。
だから、花形機関車が八王子を出発して最初に通過する小野路道の踏切の存在は、かなりのインパクトがあったのは想像に難くないんじゃないのかな、、❓


いよいよ古道は八王子の市街地に入っていきます。
六万坊という、仏教めいた交差点名が残るすぐ側には、今日拝んだなかで1番に大きなお地蔵さんが佇んでいました。
隣りに残るのは、街道沿いらしく常夜灯かな❓


ここは注意深く古地図を見て👀、右の側道を選びます。


その先のやや下がった敷地に建つ、江戸時代の修行の場だった滝不動尊は、八王子が扇状地だということがよくわかる場所だとか。。

山から平地に土砂が堆積して出来た扇状地の末端に湧いた水が、さらに下がった低地へと滝のように流れた箇所がこのあたりらしく、すでに滝のある景色は失われていますが、お堂裏手に湧き水だけは今もしっかり流れているようでした。
古地図をみると、ここには田んぼのなかに水車記号が2つ並んでいることからも、水の豊かな土地だったのがよくわかりますね。


滝不動からは右手が下がった扇状地のキワをしばらく歩いていくと、、


青い空の下に都会らしい風景が現れてきました。八王子駅もあとすこしっ。
この橋名も小野路街道時代の貴重な名残でして、小野路がむかしの八王子の人にとって、よく知られた土地だったことが橋名からもわかる気がします。


いよいよ八王子駅前に到着しました😆

小野路からの長い旅はここまで、、、と言いたいところですが、正しい終着地までもすこし行ってみましょう🐾


駅前の高層ビルを通り越した先の門前らしき細い路地の突き当たりにお寺の本堂が見えてきました。

この興林寺前が小野路みちの始まりであり、今回の八王子道の終着点に当たるわけなのです。


やっとゴールに着きました。

すでに西日だし。。
小野路から8時間かかったし。。。
距離としては15キロ、いやもっとかな。。。。

地図とにらめっこしながら、ひたすら歩き続けた一日となりましたね💧


お寺の敷地塀に続く野猿街道は、この先の横山町の郵便局前を起点にしているそうです。。


振り返り:
今回は、小野路のバス停に建っていた宿場見取り図のなかの八王子道という文字を見つけて始まった古道歩きでした。
実は歩いてみると八王子道は野猿街道、小野路街道または小野路道、そして、よこやまの道にからきだの道、、と様々な名で呼ばれていることも、なかなか興味深かったですね。
そのことからも、この道は長い歴史とともに、複雑な顔があり、人の暮らしに欠かせない存在だった、と言うことでしょうか。。

また、面白そうな古道があれば、是非歩いてみたいと思っています。


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