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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

罪から逃れる道 第6回

2015年03月08日 | 日記

  

  罪から逃れる道 第6回

 ≪恐ろしい教えの流行≫

ある人々は、一度救いを受ければもう悔い改める必要はない、どうして救われたのに悔い改める必要があるのかと思っています。救われたんだから、完全に救われたんだからもう悔い改める必要がないという、本当に恐ろしい教えが流行しています。多くの人々は、悔い改めの経験を不必要なものとして、黙殺しています。

今日、韓国においてそのような教えを信じる人がものすごくたくさんいます。おそらく何百万人といるでしょう。それぐらいたくさんいるんです。皆さん、韓国で伝道すると、このような考えの人にたくさん会います。その人たちに聖書の正しい教えを伝えると、「あぁ私たちは、なんて恐ろしいことを信じていたんだろう。私が一度救いを受け、悔い改めればもう大丈夫だと、イエス様は私の全ての罪を背負って十字架に死んだのだから、もう救いは確かなんだ、もう悔い改める必要はないんだ、毎日悔い改めをする人がいたら、信仰がないからだと思っていました」と気付かれる人がたくさんおられます。そのような、本当に変な教えを信じている人がたくさんいるんです。

皆さん、そのように信じている人の心の中には、どういうものがあるでしょうか。罪悪感、心のうちが何か不安、救いを受け入れたのに何か不安、何とも言えない恐れがあるのです。自分のうちに何とも言えない不安と恐れがあり、本当に救いを受けたのだろうかという、もやもやしたものがあるのです。それは間違いなくあります。

そのような不安があって、良心的には分かっているけど、仕方なく罪に引きずられていく人たち、そういう人たちが、本当に御言葉を悟り、特にこの説教を通して目が開かれる体験されるなら、あぁ、なるほどと分かってくるわけです。皆さん、真理の御霊の導きを受け、真理の御言葉をこの説教を通して聞かれた方々が、誰も与えることの出来ない平安と確信を持って生活するようになって来ておられます。そういう人が増えて来ています。

聖書は明らかにこう教えています。「彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となり」(ヘブル5:7~9)。イエス様も肉により苦しまれたと述べているんです。なぜそのように聖書にはっきりと書かれているのに、多くの人々は、もう罪との戦いや肉の苦しみはない、というような変な教えに、本当に恐ろしい欺瞞に陥ってしまったのでしょうか。一度救いを受けたならもう永遠に救われたと、そのような教えの中にいるのでしょうか。


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